プーログ

ジャーナリストから転身 40代妻子持ちが自由に生きてみた

40代妻子持ち脱サラ<体験談>無職の身ながらも沖縄旅行へ「なんくるないさー」

プーログは、2018年に脱サラした管理人「プー」が自らの手に人生を取り戻すべく、自力で収入源を確保するプロセスをリアルタイムで紹介するブログです。

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こんにちは。

 

脱サラしてから1年あまりが過ぎ、最近、カレンダーを見るのが怖くなった管理人のプーです。

 

起死回生の一手を見いだせないまま、8月18日からの1週間、家族で沖縄旅行に出かけました。

 

貯金が底をつきかけている状況下にあって、やはり愚かで軽率な行動だったかもしれません…。

 

僕の中での1000円の価値は、もはや現役時代の3倍ぐらいに膨らんでいます。

 

仮にお金がなくなれば、バイトで急場をしのぐか、あるいは、コレクションのファミコンソフト(在庫)などをさばいて資金づくりに奔走するといった展開が予想されます。

 

いかに我が家の家計がスリムだろうと、さすがに妻のパートだけで生活費は賄いきれません。

 

こうなると、もう消火作業と一緒です。

 

いくら水をかけても火の勢いは衰えず、最終的にプーの儚い夢ごと一家を燃やし尽くす――。

 

割と具体化してきた恐怖を背に、常識の逆を行く狙いで実行に踏み切った沖縄バカンスですが、これで完全にお尻に火が付きました。

常識の逆を行く真意はこちらの記事

 

今回は、「単なる逃避行だったのではないか」との自問に背筋が凍り付いた沖縄旅行の顛末について、僕なりに得た発見とともにまとめました。

 

 

無収入の沖縄バカンス 

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水色の爆弾を爆発させたような明るい空に、カラフルな熱帯魚が泳ぐコバルトブルーの海。

 

沖縄は、やはり最高の場所でした。

 

素朴な食堂で味わったフ―チャンプルに本場アメリカ仕込みの分厚いステーキ、どちらもコストパフォーマンスが異様に高く、筆舌に尽くしがたいほど美味しかったです。

 

立て続けに来襲する台風に肝を冷やしつつも、結果的に向かう先はすべて晴天。

 

趣味と実益を兼ねたパワースポットめぐりでは、縁起のいいリュウキュウアオヘビが現れたり、幸運を告げるツマベニ蝶の大群が押し寄せたり、おかしな発光体が写真に写ったり。

 

地元ガイドさんらの度肝を抜くような、幸先(さいさき)の良い仕切り直しができました。

 

 

また、10年前に式を挙げた海辺の結婚式場も健在で、突然の来訪にもスタッフの方は迷惑な顔一つせず、当時と同じカットの写真を撮ってくれました。

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そこでふと思い出したのは、道中、宝石店でみつけた看板です。

 

 

「結婚指輪 ニューデザイン大量入荷 3点セット 5万円

 

 

 

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「僕の妻には、大量入荷されたニューデザイン3点セット5万円の指輪を受け止める器量が、はたしてあるのだろうか」

 

そんな妄想にふけりつつ、作り笑いを浮かべる僕の背に、オレンジ色の夕日が雲間から浮かび上がってきました。

 

それは結婚式当日とまったく同じ状況で、最近冷たい妻のご機嫌とりにもつながって「めでたし、めでたし」の結果となりました。

 

 

脱サラにみる「なんくるないさー」の意味

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そんな楽しい思い出と最高の気分転換を与えてくれた沖縄の旅ですが、ひとつ、僕の印象に強く残ったのは「なんくるないさ~」のスピリットです。

 

楽天的に物事を受け流す大らかさが、島人(しまんちゅ)の県民性としてクローズアップされがちですが、この言葉、実は別のことを意味するようです。

 

 

どことなく排他的ながらも一様に親切な沖縄の方々と接し、また、薩摩やアメリカの統治下に置かれた歴史的事実に触れる中で、「沖縄=楽天的」という図式には、違和感を覚えずにはいられませんでした。

 

 

それで少し「なんくるないさー」の意味を調べてみたわけですが、やはり一般的な解釈とは異なりました。

 

要約すると「精一杯の努力をもって、結果には縛られない」というのが正解のようです。

 

つまり、「なんくるないさー」の言葉の本質は、「楽天さ」ではなく、「たくましさ」にあるわけです。

 

僕がいま、もっとも向き合うべきテーマが、この言葉なのかもしれません。

 

 

仕事の貴賤とダイヤの指輪

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かくして、夢の沖縄旅行から現実世界に戻ってきた僕ですが、この際、バイトもアリかと思うようになりました。

 

目指すべき道が明確になっていて、現状、明らかに力不足を感じるのであれば、いったん引くのはむしろ得策かもしれません。

 

いわゆる立て直しというやつです。

 

つまり、脱サラ後、借金を負うようなギャンブルをしない限り、一度や二度つまずいたとしても、やり直しはいくらでも利くわけです。

 

 

 

先日、たまたま近くの公園で会った幼馴染から「落ちぶれるのって、嫌じゃない?」と聞かれ、僕はこう答えました。

 

「君が思うほど嫌じゃない」。

 

少なくとも僕は「人に迷惑をかけない限り、仕事に貴賤はない」と心の底から言い切れます。

 

貴賤があるとするならば、それは仕事に向き合う人の姿勢です。

 

つい最近、イズミヤで這いつくばって床の汚れを落とす年配の清掃員をみかけましたが、そこに感じるのは、やはり尊さでした。

 

また公益事業を担う大企業の社長さんが、利益よりも公共性を重んじる経営姿勢にもまた、同じように尊さを感じました。

 

仮に自営の道が閉ざされ、どんな仕事をするにしても、その尊さだけは見習いたいと思うところです。

 

そんな姿勢で得たギリギリのお金で贈る 「結婚指輪 ニューデザイン大量入荷 3点セット 5万円」の結婚指輪の価値は、浅ましいお金で買った1カラットのダイヤモンドの指輪に勝るかもしれません。

 

お金では届かない世界に輝く人の気持ちこそ、美しいと思うのは僕だけでしょうか。

 

まあ、僕のような解消無しが言うと、負け犬の遠吠えに聞こえたりもしますが…。

 

いずれにしても、勝負はまだまだこれからで、面白いのもここからです。

 

最後まで長文をお読みいただき、ありがとうございました。

 

40代が患う人生の疲れ「特効薬」と処方箋とは【40代脱サラ経験者より】

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プーログは、「人生に疲れた」と苦しむ40代サラリーマンの方にも結構読んでいただいているようです。

 

本当にありがとうございます。

 

 

人生に疲れた経験、もちろん僕も踏んできましたが、その原因は理想と現実とのギャップに横たわる「閉塞感」ではないでしょうか。

 

そこに重い荷物がのしかかり、まったく身動きが取れなくなってしまっている。

 

仕事上の責任だったり、出世競争にまつわるプレッシャーだったり、世間体だったり、ローンだったり、人間関係だったり、一家の大黒柱としての責務であったり。

 

「お金さえあれば」と思ってみたところで、むなしいばかりです。

 

ただ、半ばしあわせをあきらめつつも、握りしめている重い荷物というのは、そこまで大切なものなのでしょうか。

 

 

仮に要らないと思うのであれば、片っ端から捨てる「覚悟」を持つだけでも、グッと楽になれます。

 

 

僕自信、夕日の沈む海に向かって20年勤めた会社を「ポーン」と投げ捨てた口です。

 

「ポーン」とするのにそれなりのエネルギーを費やしたのも事実ですが、後悔なんて一切ありません

 

 

今回はそんな脱サラ実践者の立場から、人生の疲れにケリをつける方法を徹底解説してまいりますので、どうか最後までお付き合いください。

 

【40代人生の疲れ】増える荷物と財産

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人生も折り返し地点を迎えると、財産と荷物が大きくなります。

 

 

財産というのは、経験とスキル。

 

荷物というのは、いわば責任とプレッシャーです。

 

 

人生もここまでくると、社内で評価の高い人も、そうでない人も、「社会人」としての色が強まり、「本来の自分としての輝き」を失っていきます。

 

自分が「馬」であることを忘れ「馬車」だと錯覚を起こすようなイメージです。

  

そこに、人生に対する疲れの一因があります。

 

【40代人生の疲れ】行動の決定権

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自分という存在が「組織の一員」としての立場に取って代わられると、生まれ持った「特権」がどんどん希薄になっていきます。

 

万人が持つ特権とは、「自分の行動に対する決定権」です。

 

  • 嫌いな奴とは口をきかない
  • 汚い生き方はしたくないから正直でいる
  • 違う人生を歩んでみたいので離職する

 

人が決めたことは、誰にも止めることはできません。

 

だから、やりたいと思ったことは、その気になれば何でもできます。

 

悪い例でいけば、犯罪がなくならない理由もそこにあります。

 

本来、人は自由だからです。

 

逆に社会的な権利と義務は、すべて与えられたものといえます。

  

【40代人生の疲れ】②思い込み

それでも「辞めたくても辞められない」と声を荒げる人が多いのではないでしょうか。

 

ただ、本当は「辞めたくても辞められない」のではありません。

 

みずから進んで「辞めない選択」をしているというのが、正確な状況分析です。

 

 

そこにあるのは制約ではなく、多くの場合、「常識の壁」です。

 

はなから夢や自己実現をあきらめる格好で、「離職」という現実的な選択肢を視界の外に追いやっているのです。

 

 人生の疲れにケリをつけるには、まずそこを強く意識する必要があります。

 

【40代人生の疲れ】現実問題の罠

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「辞めたくても辞められない」という主張には、得てして「現実問題」という枕詞(まくらことば)がセットでついてきます。

 

脱サラした僕からすれば、この「現実問題」こそ、むしろ冷静な判断を曇らせる諸悪の根源です。

 

ここでいう「現実問題」は、たいていの場合、会社を辞めた経験のない人が持ち出す「空想の産物」に過ぎません。

 

実際、自営の道を選ぶ場合は、「退職するまでに整えておくべき条件」というのがいくつかありますが、転職を志すのであれば、そのハードルはグッと低くなるはずです。

 

 

それ以上に厄介なのは、「いくら辞めたくても、辞めることができない」との思い込みからくるプレッシャーです。

 

この錯覚も、人生を疲れさせる大きな要因といえますが、別にいまの仕事を辞めて、違うことをやってもいいんです

 

 

 【40代人生への疲れ】痛みと心のメカニズム

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人はいったん「痛み」が気になりだすと、実際のダメージ以上に「痛さ」を感じてしまう生き物です。

 

とくに「痛さ」から逃げられない状況が続くと、恐怖心をあおられ、肌にジッパーが触れる感覚でさえ激しい痛みに化けます。

 

嘘だと思うなら、胡坐(あぐら)をかいて1時間、座り続けてみてください。

 

断固たる決意をもって、体をピクリとも動かさずにです。

 

「いったん気になり始めた痛みは、根本原因を取り除かない限り、消えることなく膨らみ続ける」という思考の癖がわかるはずです。

 

 

実際のところ、痛みには波があり、大きくなったり、消えたり、小さくなったりを繰り返しています。

 

だた、置かれた状況次第では、わずかな刺激であっても激痛が走る錯覚を起こすというわけです

 

 

「辞めたくても辞められない」という思い込みもまた、心に同じような影響を及ぼします。

 

つまり、嫌な状況を「凝視」しながら、「逃げ場がない」との思い込みをもって、痛みをどんどん蓄積している格好です。

 

一度気になり始めたそんな苦しみが、そう簡単に消えるわけがありません。

 

こうなると、人生への疲れは本来の100000倍ぐらいに肥大化してしまいます。

 

少なくとも「逃げ場がない」という認識は、早急になくすべきではないでしょうか。

 

 

【40代人生の疲れ】一瞬で消し飛ぶケースも

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ただ、「仕事を辞めたい病」が突然治るケースもあります。

 

それは、人生において極端に大きなピンチが訪れたときです。

 

家族の健康にまつわる問題や自分の命にかかわるリスクなど、考えられないような厄災の前では「人生の疲れ」が一瞬で消し飛ぶことが往々にしてあります。

 

逆に、そこで「何が一番重大切か」を悟ることもあります。

 

また、意識を別のところに向けると、ほんの些細なきっかけで、理想と現実との間に渦巻く閉塞感が解消される場合もあります。

 

もちろん、配置転換や出世などに伴い、「仕事へのやりがいや満足度が高まる」というのも、劇薬に近い効果を発揮するものと思われます。

 

 

つまり、快も不快も、ずっとは続かないわけです。

 

【40代人生への疲れ】死ぬぐらいなら辞めるべし

苦しくても仕事をやめない理由は、人によって千差万別なのでしょうが、最初から「離職」「転職」を選択肢から外している人が多いように思います

 

「子供の将来」を憂い、「会社への迷惑」を嫌い、「生活水準の維持」に腐心し、「ローンの支払い」を背負って、「世間体」を崩さずに必死で生きる…。 

 

そこには、やり遂げた者にしかわからない人生の充実感があるのかもしれません。

 

自分の親を見ていて、そう思います。

 

 

ただ僕はそれを選ばなかった。

 

VIPとのつながりも、世間体も、新聞記者という強い立場も、安定した収入も、親や妻の両親からの期待も丸ごと捨てて、別の道を選びました。

 

先々の安全・安心や体面、中途半端なステータスよりも、自分の人生に価値を見いだす方がはるかに大切だと思ったからです。

 

もし「いまの仕事が嫌で嫌で仕方がない状況」が10年も続いているようならば、手遅れにならないうちに転職や離職を具体的に検討するべきではないでしょうか。

 

 

僕は、満員電車から解放され、ドロドロした人間関係ともおさらばし、自分の意志と時間を仲直りさせたような日々を過ごしています。

 

その反面、収入のない生活に怯え、力のなさに自信を失い、家族に申し訳ない気持ちでいっぱいになることもあります。

 

ただ、会社を辞めた後悔はひとかけらもありません

 

安易な離職はおすすめしませんが、「現実問題」として別の道が常に用意されていることを、どうか忘れないでください。

 

死にたいくらい辛いのであれば、人生を切り替えるのは余裕でありだと思います

 

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。 

【40代脱サラ】哀れな末路回避へ|失敗の連鎖断つ秘策は沖縄バカンス!?

このブログは、妻子持ちの身でありながら20年勤めた会社を辞めて、自力で生き残りの道を探る僕の歩みを公開するものです。

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こんにちは。

 

貯金の底が見えてきた管理人のプーです。

 

先日、古巣で仕えた上司に1年ぶりに会いました。

 

同期も後輩も、「~局長」という厳めしい肩書を与えられ、すごい勢いで出世しているそうです。

 

こちらは「レベル1」からの再出発となりますので、もはや尋常な差の開きではありません。

 

かつての親友はテレビのバラエティ番組にレギュラー出演していて、もう雲の上の存在になってしまいました。

 

  • バズーカVSこん棒
  • トレーラーVS一輪車
  • 年収1千万超VS無収入

 

いざ字にしてみると、なかなか惨めなものです。

 

まあ自分が選んだ道ですので、仕方がないとは思いますが、現実問題、プーの状況はどんどん厳しくなっているのも確かです。

 

貯金は危険水域に突入し、天の恵みはいまだ降りてこず。

 

絶体絶命の状況を味わう気持ちはあっても、鼻歌を歌うほど肝は座っていません。

 

ただ、そんな情けない状態に至り、ある重要なことを思い出しました。

 

 

それは、常識的な行動の真逆をいく勇気です。

 

 

その基本スタンスを取り戻すべく、僕は残り少ない貯金をはたいて「沖縄へのバカンス」に出かけることにしました。

 

もちろん、自暴自棄になった訳ではありません。

 

今回はその必要性と言い訳について、僕の信念を詳しく解説してまいります。

 

 

失敗の連鎖解消策①お宝は「常識の向こう側」に

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僕は若いころから天邪鬼(あまのじゃく)でした。

 

臆病なくせに常に王道からそれて、ほそぼそと生きてきた口です。

 

そんな性格がたたり、学生時代は「独りぼっち」の切なさも味わいました。

 

花いちもんめという残酷な遊びで、一度もご指名がかからなかった経験も踏んでいます。

 

 

ただ、この性格のおかげで「逆を行く大切さ」に触れる機会にも恵まれてきました。

 

  • 戻るのではなく前に加速する
  • 絞るのではなく全部吐き出す

 

僕の経験上、いわゆる「お宝のありか」は、常識の枠から外れたところにあると断言できます。

 

 

僕がこれまでゲットしてきたお宝は、ほぼすべて「一般常識という視界の外」にあったものばかりです。

 

 

たとえば記者時代の経験談をひとつ紹介させて頂くと、僕は社内で「書かない記者」を公言していました。

 

新聞社というのは自己顕示欲の塊みたいな人たちの集まりといえ、その中で僕は完全に異端児です。

 

ただ、取材先からみればこれが「信用力」になります。

 

結果して、それが鮮度の高い情報を集める力になり、「抜く以上」の価値をもたらしました。

 

さらに、世界中のメディアが追っていた原発事故絡みの「あるスクープ」を掴むことができたのも、この信用力があってのことでした。

 

つまり「書かない」から「書けた」わけです

 

 競馬でのエピソード

少し毛色は異なりますが、もうひとつ、競馬でも面白いエピソードがあります。

 

ある友人が競馬にのめりこみ、100万円近い借金を作ってしまったときの話です。

 

ちなみにその友人というのもまた、修学旅行で班のメンバーから置いてきぼりを食らい、甘酸っぱい独りぼっちを経験した「思い出迷子」仲間です。

 

 

そんな同志から相談を受けた僕は、あと10万円追加でお金を借りてくるよう促しました

 

「1点買いの一発勝負」をおすすめしたのです。

 

「そこですべてにケリをつける」との条件付きでした。

 

結果、友人は「2点買いの一発勝負」で150万円の配当金を手にし、借金もチャラに。

 

見届け人として立ち会った僕を、憧れの石垣島へと招待してくれました。

 

その後、彼は1年ほど競馬から遠ざかりましたが、悪い病気はそう簡単に治るものではありませんでした。(じゃあ書くな!) 

 

失敗の連鎖解消策② 成功の鍵は「基本」の中

かくして、常識とは逆の行動を起こしても、常に宝が得られるとは限りませんが、萎縮して縮こまっていくよりも、勝算がはるかに高まるのは確かです。

 

ただし、押さえるべき重要なポイントがあります。

 

それは「基本」や「基礎」の類です。

 

若いときには、この条件を無視することで、手痛い目に合ってきました。

 

独善的ないでたちで異性とのデートに臨んだり、サラリーマン金太郎のような激しいノリで取材先に乗り込んだり。

 

そんな風に基本を無視すると、無謀な決死隊になったり、ドン引きされたりします。

 

ビジネスでも、ギャンブルでも、恋愛でも、武道でも、「基本」ほど重要な要素はありません。

 

 

先の競馬の例で言うと、借金を返す当てがあっての「逆を行く」です。

 

もし、返す当てがなければ、僕も決して一発勝負をすすめたりしません。

 

つまり、お宝は「常識の外」、成功は「基本の中」にあるわけです。

 

この2つの条件を満たせば、あとは一歩踏み出す勇気です

 

背水の陣で原点回帰

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というわけで、僕は自分の原点に戻るべく、勇気をもって沖縄旅行に出かけることにしました。

 

やけくそになっているのではありません。

 

自分の軸を立て直すのに、最高のカンフル剤になると確信しています。

 

 

貯金は残り90万円。

 

ここで使うお金は30万円。

 

収入ゼロ。

 

子供たちは大喜びしているものの、我ながら、正気の沙汰とは思えません…。

 

 

失敗の連鎖解消策 まとめ

いかがでしたでしょうか。

 

この局面での沖縄旅行は、自分の原点を見つめ直す意味でも意義深いと思っています。

 

正直なところ「物販を再開すればなんとかなるかもしれない」という打算がない訳でもありませんが、背水の陣を敷く怖さがあるのも事実です。

 

最悪、割のいいバイトを探すことになるかもしれませんが…。

 

いずれにしても、しあわせ探しの旅はまだまだ続くことになりそうです。

 

以下、今回のまとめとなります。

 

  • 常識の外に「手垢のつかない宝」が潜む
  • 基本の枠の中に「成功の鍵」がある
  • 2つの条件を満たせば、あとは一歩踏み込むだけ

 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

引き続きご愛読のほど、よろしくお願いします。

【体験談】40代家庭持ちの脱サラ|失敗の恐怖と焦り|崖っぷちに立つも

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脱サラ失敗への恐怖、貯金残高は〝タイムリミット〟と同じ意味を持つのか――。

 

気がつくと、昨年の脱サラ劇からあっという間に1年が過ぎてしまいました。

 

申し遅れました。

 

管理人のプーです。

 

このブログは、脱サラした40代妻子持ちの僕が、収入源を得るための歩みについて、リアルタイムで公開するものです。

 

実は3か月ほど「プーログ」をお休みさせて頂いてましたが、それは新しい収入源の確保に向けて、あることに専念していたためです。

 

この間、ちょっとコツをつかみかけていた「物販」も休止していて、収入ゼロの状態が続いています。

 

もう気が気ではありません。

 

貯金は減る一方で、奥さんのパート収入だけが頼りです。

 

プーログ再開のタイミングは「成功のめどが付いた後」と決めていたのですが、正直なところ、大苦戦を続けています

 

なんとか吉報を持ち帰り、「脱サラなんて楽勝ですよ」と胸を張りたかったのですが、残念ながら僕はいま、上の写真の人のような微妙な顔をして、崖の下に落ちかけています。

 

そこで今回は「脱サラ失敗への恐怖」をテーマに、つづってみたいと思います。

 

それと一応、念のために申し上げておきますが、このブログは情報商材を販売するような意図は一切ありませんので、どうかご安心ください。

 

 

【体験談】貯金残高は急降下 市民税は100分の1に

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 昨年は退職金を頂いた関係上、国や自治体に多額の税金を納めました。

 

いまは完全に無職ですので、100分の1は言い過ぎかもしれませんが、驚くほど少額になっています。

 

情けない話、年間「数千円」のレベルです。

 

昼食を外食で済ませることも、夜飲みに行くこともほぼなくなりましたので、支出は相当絞られています。

 

マックに入っても、「チキンクリスプ」しか頼みません。

 

それでも貯金は恐ろしい勢いで減っていきます。

 

 

脱サラすると支出が明確に 

サラリーマンを辞めてしまうと、これまで意識すらしなかった見えない支出が嫌でも浮き彫りになってきます。

 

特に容赦ないのが健康保険料。

 

こちらは年間60万円以上のお金をどうにかして工面しなければなりません。

 

その支払いのために奥さんが働いているようなものです。

 

300円の利益を生む中古のファミコンソフトを2000本売って、ようやくトントンの水準。

 

皆さんこんな大金、どうやって払っているのでしょうか…。

 

 

ほかにもクレジットカード会社からの請求、水道光熱費、通信費、生命保険料、保育料、パルコープ…。

 

やめて、もう取らないでちょうだい!

 

かくして、退職金はわずか1年で見事に吹き飛びました。

 

 

新たな収益源の確保を目指すも…

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さて、収入ゼロの状態に戻してまで、僕が専念してきたものとは何か。

 

それは、ブログの収益化です

 

実は「プーログ」とはまた別に、パワースポットを紹介するブログを立ち上げ、3か月の間、そちらの執筆活動に専念していました。

 

趣味と実益を生かす狙いから始めたものです。 

 

ノウハウは、月間100万PVのブログを運営する優秀なブロガーさんから直接教わりました。

 

またコンテンツの内容は、現地取材とともに、知り合いのお坊さんなどから聞いた話をもとにまとめています。

 

  

そんな流れから、この前、友人を介して崔先生という凄腕の中国人気功師にお会いました。

 

気功や漢方薬などを使って難病を治してしまうような、いわゆる「本物の方」です。

 

ただ、仰ることが少しぶっ飛んでいてい、毎日10時間ぐらいパソコンの前に座り続けている僕の身体からは、「多量の電磁波」がでているそうです。

 

 

プー:「で、電磁波ですか?」

 

先生:「そう、電磁波ね」

 

プー:「…」

 

先生:「…」

 

 

話がそれてすみません。

 

電磁波の真相はともかく、ようするに万全の態勢で「収益化」を狙ったブログをスタートさせたわけです。

 

甘い見通し

ライターの20年選手が、スペシャリストの手ほどきを受けて一生懸命書くのだから、3か月もあれば、それなりに読んでもらえるブログになるだろうと、高をくくっていました。

 

60記事ほどしっかり書きましたが、あれれ?

 

アクセスはずっと横ばいのままで、検索上位には上がってきません…。

 

パワスポブログはちょっと肩に力が入り過ぎていて、「華」がないのかもしれません。

 

何らかの形でテコ入れするつもりではありますが、正直、自分の力のなさに痛烈なショックを受けました。

 

 

時間との闘い 

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ただ、当然と言えば当然かもしれません。

 

ライターとしてのキャリアが長いとはいえ、「ブログの収益化」は僕にとって初の試みです。

 

ブログのノリもイマイチ分かっていません。

 

一応、Googleアドセンスというのを貼ってはいますが、いまだお金に変わっていないのが悲しい現実です。

 

 

実際、もう少し分析を重ねて、ブログ運営の相場観さえつかんでしまえば、いつかは上手くいくのかもしれません。

 

ただ、その「いつか」というのが段々恐ろしくなってきました。

 

「いつか」というのは、貯金残高が枯渇する前に訪れてくれないと、活動に大きな制約を受けることになります。

 

 

強烈なスピード感で過行く毎日

40代の一日、一週間、一か月、一年というのは、恐ろしいほど短く、早く、はかないものです。

 

幼少の時分、あまりの長さに終盤退屈していた夏休みも、大人になるとそれこそ「一瞬」で終わるのではないでしょうか。

 

 大人の時間感覚で「いつか」にすがるのは、かなり危険な状態にあるとみて間違いありません。

 

つまり僕は今、崖っぷちに立っているのです。

 

 

 気になると止まらない「心の癖」

人は何かが気になり始めると、それが心の中でどんどん大きくなっていくものです。

 

コンプレックスであったり、痛みであったり、かゆみであったり。

 

僕の場合は、確実に減っていく貯金に、一向に増えないアクセス…。

 

そもそも、この状態はいつまで続くのか。

 

ひょっとすると、この身体から「電磁波」が出ているのがいけないのかもしれない。

 

 

そんなわけで、いつしか僕の心は「お金」と「アクセス」に支配されるようになりました。

 

  • でっち上げ記事でもいいからアクセスがほしい
  • バイトして手っ取り早く生活費を稼ぎたい
  • もう出家するしかない

 

 最近、何かのドラマで「子供に新しい上靴を買ってやれない親の気持ち、あんたにわかるのか!」という悲しいセリフがありましたが、僕にはこれがとても恐ろしく聞こえました。

 

分かりますとも、その情けない気持ち。

 

明日は我が身なのですから。

 

 

逆に面白いのはこれから

ただ、そんなリスクは最初からはっきりしていました。

 

失敗する覚悟もなしに、20年も勤めた会社を辞めた訳ではありません。

 

自力で何とかしなければならない世界で再び頭を打たれ、少したじろいだだけです。

 

強がりでもなんでもなく、僕は脱サラしたことを一切後悔していません。

 

  

むしろ面白いのはここから。

 

何より、窮地にひねり出す打つ一手こそ、「人生の醍醐味」ではありませんか。

 

映画でも漫画でもドラマでもゲームでも、ピンチを切り抜ける知恵と勇気こそが最高の見せ場に他なりません。

 

まあ、圧倒的な「カタルシス」も好きではあるのですが…。

 

 

アリババグループ創業者、ジャック・マー氏が2014年にニューヨーク証券取引所への上場を果たした折、「ここに至るまでが楽しかった。あの日々はもう帰ってこない」という旨の発言をしています。

 

なるほど、仰る通り。

 

マー氏は、目の前の成功よりも、そのプロセスに人生の価値を見出したわけです。

 

結果がどうであれ、「いま」の状況を目いっぱいを楽しまないと、充実した人生は約束されないのではないでしょうか。

 

 

 長文ながらも、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

退職から現在にいたるまでの僕の歩みについては、連載形式でまとめております。

もしご興味があれば、ぜひ一度お読みください。

リアルタイムで綴っていますが、時間軸は現在にまで至っておりません。

 

プーの退職からいまに至るプロセスはこちら。

 

 

家庭持ち脱サラ40代【苦境を乗り切る秘策】持ち出したのは埃だらけの「あれ」

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僕が脱サラしてもうすぐ1年がたとうとしています。

 

苦しくもまた、充実した1年でした。

 

すみません。

 

感傷にひたり、ご挨拶が遅れました。

 

40代家庭持ちの脱サラ男こと、プーです。

 

最近さぼり気味の本ブログですが、それなりに多くの方に読んで頂いているようです…。

 

お詫びの意味を込めて、久しぶりに筆をとりました。

 

いま、僕は物販の仕事を少しだけお休みし、新しい挑戦を始めています。

 

そのため、「とてつもなく忙しい」というのが現状です。

 

新しい挑戦というのは、お金になるかどうかも分かりません。

 

また、物販をやめたわけでもありません。

 

複数のことを同時にやるのが苦手なだけです。

 

これに「全力でぶつかるのみ」と、歯を食いしばって集中しています。

 

その具体的な内容は、また改めてご紹介したいと思います。

 

 

不安に打ち勝つ強い味方とは

さて、今回のテーマは「恐怖心」に打ち勝つ強い味方についてです。

 

貯えがどんどん減る中で、正直、先々への不安が再燃しています。

 

また収入ゼロの状態に戻ったわけですから、ある意味仕方がありません。

 

仕事を辞めた時に感じた生々しい不安が再び蘇ってきたわけです。

 

そんなおり、強力な味方になるものを見つけました。

 

得意の瞑想ではありません。

 

「歌」です。

 

 

歳をとると音楽から離れる傾向に

30代も半ばを過ぎたあたりから、得てして、音楽を聴く習慣がなくなるものです。

 

僕の場合はとくにひどく、最近の流行りはもちろん、昔の歌でさえ、まったく聴かなくなりました。

 

ところが、いざYouTubeなんかで往時の歌に耳を傾けてみると、心の芯が震えるではありませんか!

 

馬鹿みたいに聞こえるかもしれませんが、驚くほど効果があります

 

本当に、歌には自分を奮い立たせる魔力のような力があります。

 

僕のように、歌から離れてしまった人は、だまされたと思って是非一度、試してみてください。

 

それも、明るい未来を展望するお気に入りの歌があれば、最高です。

 

 

新年度の環境変化を乗り切るためにも

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早いもので4月も下旬に入ろうとしています。

 

毎日家でコソコソやっているうちに、気がつけば新年度がスタートしていました。

 

特にサラリーマンの方は、がらりと環境が変わり、戸惑いの連続となる人も少なくないはずです。

 

そんななかで、行き詰っている人、明るい展望がなかなか開けない人は、もう一度、古いCDなんかを出してきて、聞いてみるのもありですよ。

 

そして、ネガティブからポジティブへと気持ちを切り替える。

 

たとえ状況は同じでも、心のあり様が変わると、問題の捉え方も、課題に向き合う姿勢も、見える景色さえも変わってきます。

 

やる気も落胆も、恐怖も勇気も、結局は自分の中にしかないのです。

 

いま苦境にあえぐ人、どうか邪魔な感情は大好きだった歌で洗い流し、自分の中に眠る情熱や希望をみつけてください。

 

必ず道は開けると信じて、お互いがんばりましょう!

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

本ブログの執筆活動も、少しずつ戻してまいります。

 

もう少し落ち着いた段階で、ドカッと書いていきますので、何卒、プーのことをお見捨てにならないよう、伏して、平にお願い申し上げます。

連載㉖40代妻子持ちが脱サラ生活へ 中国ビジネスでの大失敗(2)

この連載は2017年に脱サラして無職になった僕の歩みをまとめています。この体験談はリアルタイムにまだ追いついていません。

脱サラして無職になった僕が生きる道を見出そうとした店舗は悪質な犯罪行為を受けて潰されてしまった

中国人セラーからの脅迫文が届いた翌日、他の出品者からも同様の「脅し」を受けた。

 

こちらの方がまだ理路整然としたクレームだったのだが、相手の素性を調べていると、また中国系セラーだった。

 

同様にAmazonのテクニカルサポートに連絡を入れると、むしろ相手の方に「注意喚起する」と頼もしい返事が頂けた。

 

ひとまず妻も、取り合わない方向で販売を続けることにしたのだが、ここからが、僕たち一家にとっての試練の始まりとなった。

 

Amazonによる注意喚起はまるで役に立たず、僕のセラーセントラルには、連日のように赤い旗が立った。

 

ついに、最も恐れていた顧客からのクレームが入り、Amazonから至急対処するよう、通告が届いたのだ。

 

そして、商品の販売を止められてしまった。

 

 

中国人セラーの嫌がらせ Amazonビジネスの穴

Amazonは「カスタマーファースト」という理念のもとに、顧客を全面的に保護する立場をとっており、こうなると、手のひらを反すように、どこまでもセラーに冷たい態度に変わる。

 

初めてついた評価は「1」。

 

しかも販売された商品は、返品されているらしい。

 

アカウントに傷がつきまくると、「カート」の獲得もおぼつかず、最悪の場合は永遠にAmazonでの販売権利をはく奪されてしまうのだ。

 

「アカウント停止」という、世にも恐ろしい仕打ちだ。

 

緊張で口が乾く。

 

恐る恐る、クレームの内容を確かめてみた僕と妻は、その文面に驚愕した。

 

「違う商品きた。破れていたなぜか。これは人は駄目で、はじめてひどい」

 

明らかに無茶苦茶な日本語だ。

 

すぐにピンときた。

 

中国人セラーの仲間が顧客になりすまし、悪質な嫌がらせを始めたのだ。

 

 

「なりすまし客」評価1の攻撃 追い込まれる“脱サラ店舗” 

なりすましの客による嫌がらせにAmazonも打つ手がない。僕は再び無職の身に戻った

連日のように続く「なりすまし客」からのクレームと返品――。

 

評価がマイナスにまで下がり、もはや「カート」も獲得できず、売り上げも完全にストップしてしまった。

 

カスタマーサポートに対応を求めても、「打つ手がない」のが実情だった。

 

挙句の果てには、「相乗りするから悪い」と言わんばかりにこちらを責める担当者まで出る始末だ。

 

相乗りは値下げ競争を促す仕組みとして、Amazonが決めたルールであるはずなのに…。

 

「写真と異なる商品が届いた」というクレームには、いくら状況証拠を示したところで、Amazonからは「罪人扱い」された。

 

もちろん、違う商品が届いたという事実など一切ないのだが、「こちらの品質管理に問題がある」として、再発防止策まで提出されられる羽目になった。

 

これに応じねば、アカウント停止措置も辞さないというのだ。

 

ただある意味で、最初に迎えた試練は、長い目で見ると最高の勉強材料にもなる。

 

僕は、いきなり最悪の事態に直面したことで、「防衛策の必要性」を痛感することができたのだ。

 

連日、セラーセントラルとのやり取りを経て、なりすましのクレームを消すことができ、逆に中国人セラ―の仲間と思われる人物のアカウントは抹消された。

 

 

Amazon撤退 再び無職に

ところが「違う商品が届いた」というクレームに関しては、いくら資料を提出したところで、最後まで、こちらの言い分が認められることはなかった。

 

このまま嫌がらせが続けば、本当にアカウントを抹消されてしまう。

 

一カ月弱で半数以上の商品は売却できたものの、マイナス評価のセラーからモノを購入する酔狂な顧客はいない。

 

かくして、僕ら一家が希望を託した最初の店舗は、中国人セラーによる悪質な嫌がらせによって、事実上、つぶされてしまったのだ。

 

僕は精神的に参ってしまった。

 

防衛策を講じるにも、一人ですべてを行うにも、限界があるのだ。

 

僕はアカウント停止を食らう前に、一から出直すことにした。

 

この時ばかりは、さすがの僕もひどく落ち込んだ。

無職の体験談 厳しい現実と卑屈な気持ちに「生きる価値」を見失う人へ

両親が冷たくなるのはもはや無職体験談のあるある話だ

無職の体験談をつづるサイトを見ていると、悲惨な状況を強調する内容ばかりが目立ちます。

 

正確な情報提供というより、何か別の意図が読み取れるものも少なくありません。

 

とはいえ、家庭持ちの場合、本当に惨めな思いをしている人が多いのも事実です。

 

・家族に冷たくされた

 

・世間に後ろ指をさされた

 

・友人に馬鹿にされた

 

・再就職先が決まらず卑屈になっていった

 

・会社勤めのありがたさが身に染みてわかった

 

・自分に生きる価値がないと感じた

 

こうして字にしてみると、身につまされる思いがします…。

 

ただ、「無職の者に生きる価値がない」というのは完全な誤りです。

 

無職を責め立てる人も、責め立てられて自分を見失う人も、単に近視眼的になっているだけです。

 

そんな自己嫌悪はまったくもって、不要です。

 

大丈夫です。

 

周囲も自分も、恐怖と古い常識に飲み込まれて「大切なもの」が見えなくなっているだけです。

 

社会の空気や複雑な構造はちょっと横に置いておき、物事をシンプルに捉えると「本当に大切なのは何か」が単純明快にみえてきます。

 

むしろ、本当に注意すべきは無職の立場の居心地が良くなってしまうことです。

 

無職というのは、早起とも満員電車ともスーツとも無縁となり、とても楽なのです。

 

バイトと妻の収入で何とかなってしまう分、「怠慢地獄」に陥りかねません。

 

こうなると、全てが面倒になり、なかなか脱するのが難しくなるものと思われます。

 

今回は、40代妻子持ちである僕の体験談を含めて、そのあたりを解説してまいります。

 

 

 

肩身の狭い無職の立場

脱サラ後、いったん無職の身になると、肩身の狭い思いをすることも少なくありません。

 

いまだに母は僕を罪人のように扱います。

 

娘とうまい棒の取り合いをしているだけで、「あんたに食べる権利はない」とすごい剣幕で叱られたりもします。

 

別に子どもとジャレているだけなのですが、駄菓子を食べる権利がはく奪されるのも妙な気持ちです。

 

家族の将来を顧みず、無責任に仕事を辞めて、へらへらしているのが許せないのでしょう。

 

ただ、家族の幸せそうな姿に怒りがこみあげてくるなんて、どう考えても異常です。

 

もっとも「孫のことを思うと」という理屈なのでしょうが、「仕事を続けていれば明るい未来が保証される」などということは、絶対にありえないのです。

 

この手の怒りは、「思い込み」や「思考放棄」からくる不安の産物に過ぎません。

 

そして、いまだに根絶されない古い社会常識の一部ともいえます。 

 

 

甘いリスク計算

人はリスクに対してとても寛容な生き物です。

 

株の「損切り」ができない心理と同じです。

 

・苦しくても乗り切れるだろう。

・何とか頑張ってくれるだろう。

 

残念ながら、日本の自殺死亡率は世界でワースト6位に位置します。

 

そんな事実を知ったところで、「うちは大丈夫」と高を括るに違いありません。

 

それは、リスクに寛容というより、むしろ、心や体が壊れる直前まで人を酷使しようとする、第三者のエゴです。

 

経済を優先するための「少しの犠牲」も、家族にとっては「すべて」であることを、忘れてしまっているのです。

 

 

「人の価値」と「社会的価値」

僕たちみたいな無職の人間は、古い世間の目から見ると、どうやら「社会的価値」が低いところに組み込まれているようです。

 

ただし、あくまでもバイアスのかかった人からみた「社会的価値」です。

 

いずれにしても、「人が生きる価値」ではないわけです。

 

「社会的価値」と「人が生きる価値」、どちらが重いのか。

 

無職の身を責める人も、卑屈になる人も、図式にすると、こういうことになっています。

 

社会的価値>生きる価値

 

つまり、「宝」と「宝箱」の値打ちが逆転しているわけです。

  

いわずもがな、人にとって、生きることが価値そのものなのです。

 

社会的価値なんて、その器に過ぎません。 

 

 

人生はプロセス

とはいえ、無職でいると、焦りや恐怖はなかなか消えないかもしれません。

 

「お金がほしい」

「安定したい」

「安心させたい」

 

退職金が底をついた僕だってそうです。

 

ただ、忘れてならないのは、人生はプロセスということです。

 

人は自由です。

 

どう生きようが、何をしようが、罰せられることはあっても、真に誰にも止める権利はないのです。

 

未来に続く道は無数に用意されています。

 

足かせのない人にとって、どれを選ぶかは完全に自由です。

 

ももクロの追っかけに命を懸けるもよし。

 

キャンピングカーで日本をめぐる夢を追うもよし。

 

海外に移住するもよし。

 

農家になるもよし。

 

在宅ビジネスで生計を立てるもよし。

 

決してはき違えてはいけません。

 

食べていくために生きるのではなく、生きるために食べていくのです。

 

お金も生きるための目的ではなく、手段というわけです。

 

ありたい自己の姿を描く「夢の形」が、人生の昇るべき階段を示してくれるはずです。

 

 

注すべきは怠慢地獄

無職の本当の敵は怠け癖。気持ちよく沈んでもいいが再浮上できる程度に沈むのが得策

ただ無職も慣れてしまうと、 余りの楽さに行動力が鈍ってきます。

 

僕も一度、足をはまらせそうになりましたが、パチンコの犯行現場を義理の母に押さえられ、窮地を脱した経験があります(詳しくはこちら)。

 

無職の快適さになれると「社会から隔絶されたぬるいお風呂」から出られない状態になります。 

 

昼まで寝ていようが、一日中ゲームをしようが、漫画を読もうが、DVDを見ようが、誰にも叱られない。

 

自己管理ができなくなれば、もう終わりです。

 

物事を先送りする癖がついている人は、注意が必要です。

 

とはいえ、自己嫌悪に陥る必要はありません。

 

別に、いろんなことから逃げてもいいんです。

 

人間なんてみんな弱いんです。

 

むしろ、逃げることをきちんと認めるべきです。

 

そのうえで「あんまり逃げないように努める」のが、妥当な線だと思います。

 

「軽蔑されながら一生ダラダラ家で過ごす刑」は、地獄に違いありません。

 

そうした意味で、無職にとっての真の敵は、おのれの卑屈な気持ちでなく、だらしなさを呼ぶ心なのかもしれませんね。

 

 

まとめ

  • 無職の子を持つ一般的な親は冷たい態度をとる
  • 偏見はしあわせの本質を曇らせる
  • 幸せの形が見極められるのは自分自身だけ
  • 人が生きる価値>人の社会的価値
  • 人にあるのは権利のみ
  • 食べていくために生きるのではなく、生きるために食べていくのが正解
  • 逃げる行為を素直に受け入れ、あまり逃げないように努めるのがポイント
  • 怠慢地獄こそ真の敵

 

いかがでしたでしょうか。

 

体験者ならではの理解をもとに、まとめたつもりです。

 

決して自己弁護ではありません。

 

無職の方は、お互い頑張りましょう…。

 

長文をお読みいただき、ありがとうございました。