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ジャーナリストから転身 40代妻子持ちが自由な生き方を提案

連載①40代妻子持ちが脱サラ生活へ 何の当てもない離職

このブログでは全国紙記者の肩書を捨てて、自由な生き方を模索する僕の歩みを紹介しています。脱サラから現在に至るまで、そのプロセスは連載とともに進行中です。

退職届の提出が新しい人生はじまりとなった

一度きりの人生、本当にこのままでいいのか――

 

そんな葛藤に突き動かされ、20年以上勤めた新聞社を離れた。

 

僕は40代の妻子持ちだ。

 

3歳と7歳の子どもがいる。

 

出世からは縁遠かったものの、全国に支局を構える新聞社でそれなりのポストを与えられ、春には管理職の仲間入りも視界にとらえていた。

 

にもかかわらず、だ。

 

精神を病んだわけでもなければ、新しい転職先を見つけたわけでもない。

 

もちろん、悪いことをして追い出されたのでもない。

 

たった一度の人生、自分を殺す生き方への疑問が大きく膨らんだ末の決断だった。

 

企業も社会も、みんな心にゆとりを失っている。

 

法人も個人も、必ずどこかでつながっているのに、許容や感謝がどんどん小さくなっている。

 

そんな常識に迎合するのが、どうしても嫌になったのだ。

 

僕にとってサラリーマン生活は、死にたくなるほど受け入れがたいものになっていた。

 

 

突然の離職で「収入ゼロ」へ 周囲の反応は

 

安定した生活も老後の保証もふいにする子供じみた僕の決断に、当然周囲は猛反対した。

 

「40代で転職は難しい」

「自営業なんてしたことないでしょう」

「フリーで成功する確率なんて一握り」

 

特に、年老いた両親の落胆ぶりは凄まじかった。

 

「お母さんと、老人ホームにでも入る」

「あなたのことは、もう当てにしない」

 

妻の両親に早期退職への決意を伝えたときは足が震えた。

 

「君たち夫婦の考えを尊重するが、余りにももったいない」

「到底、理解できない」

 

 

 「退職」には大きなエネルギーが必要

 

行き先を決めぬまま安全地帯を離れる行動には、相当な覚悟とエネルギーがいる。

 

周囲への影響が大きい分、勢いも必要だ。

 

底の見えぬ崖下が水だと信じて飛び降りるぐらいの勇気も問われる。

 

僕は収入源を失う恐怖と格闘しながら、上司に離職を切り出し、成り行きに身をゆだねた。

 

社内はもちろん、取材先も「本当の離職理由」を聞きたがったが、納得のいく説明などできるはずもない。

 

さわりの部分を話してみても、「?」という反応ばかりが返ってきた。

 

当然だと思う。

 

逆に3年前の自分がこの話を聞けば、きっと「浅はか」「無責任」などの受け止めで終わっていたに違いない。

 

本当に、何の当てもないのだから。

 

 

淡白な会社? 退職届の提出後に続いた「凪」

 

早期退職の審査をほぼ無条件でパスし、申告していた有休消化の日を不思議なぐらい無風状態で迎えた。

 

退職をするのに就業規則を徹底的に調べる一方で、嘱託の上司を味方につけたのが功を奏した。

 

ところが、この段になっても会社はまだ、後任の手配、進捗中の仕事の手当などにまったく動いていない。

 

このあたりは、もとより想定内だった。

 

のんびりした会社のいいところでもあり、「現場の善意」にしわ取りを押し付ける、組織の悪い癖でもある。

 

ただでさえ慢性的な人手不足の職場だ。

 

「頑張れば何とかなる」ような状況ではない。

 

正直なところ、「多少の計算」があったのも事実だが、そんな深刻な状況を放置できるはずもない。

 

ズルズルと居残りを続けるなかで、予想外のところで見えてくることもたくさんあった。

 

 

脱サラまぎわに見えてきたこと

 

自爆テロに近い僕の「メガンテ」が皆、相当ショックだったようで、慰留や後悔、反省の弁が、最終局面を迎える段階になってあちこちから聞かれた。

 

「僕が全力でカバーしますから、ほとぼりが冷めたら会社に絶対帰ってきてください」と感情を高ぶらた同僚。

 

「絶対に戻るなよ」とくぎを刺しながらも、別れ際に「でももしダメで戻ってきたら、受け入れるからね」と目を潤ませた先輩。

 

社会人として僕を育ててくれた元上司は、お酒の席で泣き崩れたと聞く。

 

思いのほか、僕は会社の人たちに愛されていたのだと、帰りの電車で涙がとまらなくなった。

 

隣の席で夕刊を広げるスーツ姿の男性が、興味を隠し切れず、涙する僕をチラ見していた。

 

 

揺れる気持ちながらも

 

「人生を自分の足で歩きたい」「組織や社会のあり方に一石を投じたい」と願う僕のやり方は、本当に正しかったのだろうか――。

 

当時の僕は、先々の不安を払拭しきれず、期待よりも恐怖が勝っていた。

 

でも、サイは振られたのだ。

 

僕の体と心の健康を心配し、決断を後押ししてくれた妻には、心底感謝している。

 

こうして、人生をかけた「生き残りの旅」が始まった。

 

連載②に続く

 

※退職から現在に至るまでのプロセスを連載形式でお届けしていきます。