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ジャーナリストから転身 40代妻子持ちが自由に生きてみた

40代脱サラ男の独り言 義務から解放されて知った「面倒の価値」

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サラリーマン時代を振り返ると、面倒なことを進んでやった記憶がほとんどありません。

 

目標を持たぬまま、常に「義務」に追われていたからです。

 

「ビジョンをもって職務をまっとうする」

「一組織人としてやるべきことを果たす」

 

そういうと聞こえがいいかもしれませんが、きっと、義務以上のところで頑張る余力がなかったのだと思います。

 

出世にモチベーションを見いだせずにいたのも原因でしょう。

 

もちろん「与えられることに慣れ過ぎてしまったため」でもあります。

 

「義務の弊害」というわけです。 

 

 

面倒なことは「踏み込み」を強める効果も 

ただ、「面倒なこと」をすすんでやると、きっといいことがあります。

 

活動の成果をもう一段高める秘策は、面倒なことにあるからです。

 

また、面倒なことの中には、「効率化への道筋」を見つける重要な手掛かりが隠されていることもあります。

 

整理整頓一つでも、可能性は大きく広がるに違いありません。

 

サラリーマンを辞めて、そこに気が付きました。

 

自分の中にある「適度」の物差しを信用すると、あまりロクなことがありません。

 

「また明日」ではなく、きっと「今日だけ」が大切なのです。