役割分担をめぐる「陣取り合戦」は、得てして喧嘩の火種になる――。
こんにちは。
プーです。
今朝、久しぶりに夫婦喧嘩をやらかしました。
事務作業の分業化を視野に入れ、僕が不得意な「Excel」「PowerPoint」のスキルを身につけるよう、妻に打診したのがきっかけです。
妻は、保育園でパートとして働いていて、「そんな余裕はない」と一蹴されました。
そして、「家事をすべて担当するから」という僕の条件交渉に、とても腹を立てました。
「そもそも、現時点での役割分担すら不公平!」
ごもっともです…
そこから妻の怒りは「日ごろの不満」に引火し、口論に発展したのです。
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僕 :「仕事に協力してくれ」
妻 :「自分のことは自分でしろ」
僕 :「一人で捌くには限界がある」
妻 :「昼ごろまで寝ておいて勝手すぎる」
僕 :「辛いならパートなんて辞めてしまえばいい」
妻 :「そういう問題ではない。全然わかってくれない」
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僕は前日、あまり寝ておらず、感情の起伏が激しくなっていたこともあって、「オカドチガイ」なことを言い返したりしました。
このいさかいに、上の娘は泣き出す始末です。
もう、最悪の結果でした…。
反省の先にある互いの理解
ただ、夫婦喧嘩というのは、「お互いに反省し合える」と、捨てたものでもない気がします。
会社勤めの時分、僕は妻の要望に応えたことは一度もなかったといいます。
「もっと子育てに参加してほしい」
「家事の役割分担が不公平すぎる」
確かに僕は「仕事が忙しい」ことを理由に、ことごとく却下してきた気がします。
突き詰めると、今も昔も「妻の頑張り」をちゃんと見ていなかったのです。
だからこそ、「いたわり」が足りなかったわけです。
また、「生理前の女性は睡眠不足と同じ状態」という、一つの物差しができたのも収穫でした。
とばっちりを受ける子ども
さて、心配なのは妻よりも、むしろ子どもの方です。
両親の喧嘩する姿など、本当は見せてはいけないのかもしれません。
実際僕は、親がガチンコで喧嘩をしているところを見たことがありません。
もちろん、古い家庭ならではの「夫婦間のパワーバランス」もあったのでしょう。
とはいえ、時代の流れの中で、夫婦の力関係は完全に変わっています。
父母のイニシアチブが逆転している家庭も多く、僕の幼馴染はスーパーで妻に土下座を強要されたそうです。
我が家も「かかあ天下」とまではいかないにせよ、「ところどころ尻に敷かれている」というのが生々しい実態です。
今の時代、突発的な夫婦喧嘩は、もはや防ぎようのないことかもしれません。
説得力のない言葉 態度と実績が肝に
仕方がないので僕は、喧嘩をしている事実をはっきりと伝え、『仲直りの大切さ』を教えることで誤魔化そうとしました。
当然ながら、子どもに「言葉」は届きません。
見事なまでに、見透かされてしまいます。
愛情も説教も、「実績」が説得力を生むのでしょう。
実際に仲直りをしているところをみて、やっと納得したようでしたが、実は大人も同じです。
言葉で人を動かすのは、詐欺師になったブーチョぐらいの手練れにならないと、なかなか難しいのではないでしょうか。
僕が思うに、「説得力のある言葉」というのは、きっと、筋の通った話でもなければ、落ち度のない理論構成でもありません。
「人の実績」に宿るものです。
未経験者の言葉が共感を生まないのも、成功者の言葉が注目されるのも、そのためです。
「負け犬の遠吠え」が「成功者の談」に転じる日を目指しながら、ブログをつづる今日この頃です。