プーログ

ジャーナリストから転身 40代妻子持ちが自由な生き方を提案

40代脱サラ経験者「自由の喜び」と「会社に守られる大きさ」

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今回のプーログは「自由の身でいられる喜び」と「会社に守られる大きさ」についてまとめました。

相反するテーマですが、いずれも、2年前に会社を離職した僕が「最近」感じたことです。

 

家族と過ごす夏の夕暮れ

改めまして、プーです。

 

昨日、雷をともなう大雨が僕の住む町に降り、娘が通う小学校の留守家庭児童会から「おりをみてお嬢さんを迎えにきてほしい」との連絡が入りました。

 

安全上の措置ということですが、これはイクメン気取りの僕にとって、イベントめいたうれしい要請です。

 

車で通勤している妻の帰りを待って、夫婦そろって迎えに行くことに。

 

必要以上に心がウキウキするのは、媚びを売ってでも、ずっと娘と仲良しでいたいから。

 

そんな「極☆親バカ」の気持ちを悟ってか、児童会建屋から出てきた娘は、嬉しそうに僕のもとに駆け寄り、照れ隠しに水筒をグルグル振り回していました。

 

妻の待つ愛車に向かう途中、すれ違ったのは、同じように我が子を迎えにきた若い男性です。

 

「時代は変わったな」

 

見上げた空にもう雨はなく、雲の隙間からは夕日が顔をのぞかせていました。

 

「きれいだね」と目を細める僕に対し、「うわ、お尻の穴みたい!」とせっかくのムードを台無しにする娘。

 

ささやかながらも、かけがえのない幸せをかみしめる夏の夕暮れ――。

 

こうした時間の積み重ねこそが、悩み、苦しんだ末、勇気を振り絞って会社を辞めて得た僕の財産です。

 

ただ、その代償は決して小さなものではありませんでした。

 

 

最悪の2カ月

前回のお知らせ通り、僕はこの7月、近道しようとして高いところから飛び降り、背骨を折る重症を負ってしまいました。

 

精神年齢の低さばかりではなく、加齢の問題もあったのでしょう。

 

最初の1週間は寝たきりに近い状態で、あまりの惨めさとおのれの馬鹿さ加減に精神的に参ってしまいました。

 

優先すべきは「早期回復への努力」ということで、とにかく動かずに横になっていた格好です。

 

収益源にしている「神社仏閣ブログ」もこのプーログも、半ばほったらかしに。

 

  • 歩くのも駄目
  • 立つのも駄目
  • 座るのも駄目

 

原因が原因だけに、誰も優しくはしてくれません。

 

事の重大さを解せぬ下の息子は、布団のなかにうずくまる父に向かって「ダイビング・ボディ・プレス」を仕掛けてくる始末。

 

親には「屋根から落ちた」と嘘をつきました。

 

もはや40過ぎたオジサンのやることとは思えません。

 

 

 相棒との別れ

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近所のゲームショップで買ったPSVitaの中古ソフトも、深手を負う僕に対し、一切手加減なしです。

 

小1時間にわたる連戦連敗に怒髪天をつき、ザリガニのように小さなオツムが大噴火を起こします。

 

「108円の安物のくせに!」

 

怒りに任せて布団から投げ捨てたPSVitaの本体は打ち所が悪く、「パチッ」という軽い音とともに再起不能になりました。

 

長年連れ添った相棒との突然の別れにべそをかいても、後の祭りです。

 

 

脱サラ40男に次々と降りかかる災い。

 

ひょっとして、何かのバチなのか

 

否、すべて自分に原因があるのははっきりしています。 

 

会社に戻りたいとは思わぬまでも、離職後初めて「会社を辞めなければよかった」と少し後悔しました。

 

 

組織の保護

安定した収入を捨て、約束された老後を反故にし、年老いた両親の期待に背いて、僕は自由な時間を手に入れましたが、これと同時に「組織の保護」も失いました。

 

在職中、僕はとても珍しい病気にかかり、1カ月ほど仕事を休んだ経験がありますが、このときも「サラリーマンで本当によかった」と思いました。

 

ほかにも、仕事の都合上、飲めないお酒を無理矢理飲んだ影響からか、ウィルス性の急性肝炎を患い、1カ月ほど戦線離脱する羽目になったこともあります。

 

所属の取材チームは普通に成り立っていたので、僕自身、あまり大した存在ではなかったのかもしれません。

 

そんなお荷物の僕ですら、会社は給料を支払い、ボーナスまで支給し、生活への安心を届けてくれました。

 

まあ、過労やストレスがそもそもの原因だったといえなくもありませんが、いずれにしても、全治2か月の重傷を負った無職の人間を救う公的な制度は、日本にはありません

 

 

価値観のギャップ

そんな甘い会社の手厚い保護が、家族を守る者にとっていかに貴重なものかは、言うまでもないでしょう。

 

ひるがえって、暮れゆく西の空に娘とみつけた「お尻の穴」は、この飴玉に見合うだけの代物なのでしょうか。

 

このワンシーン、僕にとっては確かに「自分が生きた証」そのものです。

 

それでも、人によっては「何の値打ちも持たぬもの」となるに違いありません。

 

 

何が大切か 決めるのは自分

今回の一件で、自分の行動に責任を持つ大切さを痛感させられた僕ですが、この先、また「会社を辞めなければよかった」と思う日がくるかもしれません。

 

ただ僕にはもう、退路もしがみつく場所もありません。

 

残されているのは、幾筋かの前に進む道です。

 

自分が一度下した大きな決断において、「後悔」は何の意味も持たないどころか、邪魔になるばかり。

 

必然的に「反省」も生まれません。

 

これこそが「僕が責任を持って選んだ道」というわけです。

 

まあ、人生どうにかなるでしょうし。

  

結局のところ、「何が大切か」を決めるは自分であり、「生き方」を決めるのもまた、自分なのだと思います。

 

長々と書きましたが、今回はこれが言いたかっただけかもしれません。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。