こんにちは。
管理人のプーです。
このブログは、40代妻子持ちの身でありながら、20年務めた新聞社をおもむろに辞め、自力で収入源を得る試みなどについてまとめたものです。
これまで物語風に「自由な生き方探し」の進ちょくをつづってきましたが、今回はちょっと趣向を変えて、「会社を辞めて手にした最高の財産」についてまとめてみました。
僕が会社を辞めた理由にも通ずる話です。
脱サラへ「決死のダイブ」 離職の先に待つのは…
妻子持ちの身として、20年勤めた組織を離れるのは「底の見えない崖を飛び降りる」のと同じぐらい、勇気が必要でした。
先々のことをほとんど何も決めずに飛び出したものですから、恐ろしさもひとしおです。
妻の両親への報告も、足が震えました。
ただその見返りは、想像以上に大きな価値を持っていたのも確かです。
二度と戻らぬ「いま」
常識を覆し、職を辞してまで僕が手に入れたかったものとは何か。
辞めるまで漠然としていましたが、やっとわかりました。
それは「時間」です。
「本当の意味での生きた時間」「自分の人生」と言い換えることもできます。
どれだけ後悔しても、いかにお金を積んでも、「時間」だけは決して買うことができません。
可愛い盛りの子どもと過ごすのにも、夢に挑戦するにも、「お金」よりも先に「いまの時間」が必要になります。
そして、サラリーマン思考に慣れてしまうと、最も重要な【今という時間への関心】が驚くほど希薄になることに気が付きました。
実際、夢想を続けた長期の家族旅行が実現し、とても満足しています。
家族と過ごす時間が増え、その絆は一段と深まっています。
心が楽になったことで、自分のやりたいこともクリアにみえています。
収入源を自力で確保する方法を、心底楽しみながら開拓しています。
これまで、いかにいびつな生き方を強いられてきたかも、感覚としてわかるようになりました。
これらは全部「自分のいまを取り戻した」からこそ、得られたものです。
将来不安への呪縛は、「かりそめの安定」よりもはるかに大きな財産を奪い続けるものだと、改めて痛感しました。
会社を辞めて、めちゃくちゃよかったです。
ただ、「今より労働条件が悪くなる」という理由で二の足を踏む方は、転職・離職しない方が無難です。
そうした「価値観」を抜けない限り、次のステージにコマを進めても、疑念や後悔、恐怖心などにメンタルをやられてしまいます。
実際、時間の大切さに気付いた後でさえ、厳しい状況に心が大きく揺れ動くこともよくあります。
ただ、延々苦しむ人に限っては「悩むより先に行動すべき」という方が、実は正解かもしれませんが…。
時間の持つ意味とは
ありていな例えで恐縮ですが、人にとって一番大切なのは「命」です。
ただ、人は必ずいつか寿命が尽き、「タイムリミット」を迎えます。
それだけに、この限りある自分の「尊い時間」をどのように過ごすのかが、人生の価値を決めるのだと思います。
安全で無難な生き方に固執するだけが、人生ではありません。
二度とない自分という命の時間です。
そして僕の場合、この貴重な「時間」を手に入れる唯一の手段こそが、離職だったわけです。
実際のところ、僕は家族や両親をとても大切に想っています。
そうしたものを守るために、捨て石になる覚悟もありました。
そんな姿勢に美徳を感じていました。
ただ、それだけではダメなんです。
大きなものがひとつ、抜けているんです。
「自分」です。
すべての中心軸にあるのは、どこまでいっても自分です。
社会を思い、他人に尽くす行為でさえ、その軸は自分にあるものです。
自由を得るには
もっとも、自由は、一生遊んで暮らすほどの大金があれば買える代物です。
もちろん、僕は大金なんて持っていません。
ですから、安定した生活を売ることで自由を買い、新しい時間、つまり新たな自分の人生を手に入れたのです。
時間はどうにもなりませんが、お金は何とかする方法がいくらでもあります。
驚くほど簡単というわけでもありませんが、どうしようもなく難しいわけでもなさそうです。
「脱サラ」に【貯金】は必須
ただ一つ、大切なことを書いておきたいのですが、脱サラするには当座をしのぐ生活資金が必要です。
ローンなどがある場合は、決断が鈍るのも当然だと思います。
僕は退職金を取り崩しながら生活している状況ですが、貯金も退職金もない人は、当然ながら準備が必要です。
お金がなければ生活は立ち行かず、心も消耗しやすいので、独立どころではありません。
脱サラ後も貯金は使い切らず、必ずそれなりの額をキープしておくべきです。
底をつくと、恐怖に見舞われます。
僕は1年足らずで退職金が全部吹き飛びました。
転職を志す人も、ここは要注意です。
時間をどう使うか
さて、「かけがえのない今」を、皆さんは何のために使うのでしょうか?
老後の生活保障?
それとも安定した収入の維持?
「家族を守る」という意見には大賛成です。
ただ、これを実現するための手段は「どんなに辛くても、会社を続けねばならない」という一択ではないはずです。
家族を守る決意がある人は、逆に家族からも守ってもらえます。
我が家の家計も妻のパートに随分救われている形になっています。
権利と責任
本当に多くの心ある社会人が、家族を守る愛情の深さゆえに、人としての尊厳や思いやり、正義感などを犠牲にしつつ、葛藤の中で働き続けていることだと思います。
もし今の生活が死ぬほど苦しい、あるいは「自己実現への冒険」みたいなものを目指すのであれば、外に踏み出すのも手だと僕は思います。
いつまでも社畜でいる必要など、どこにもありません。
「自分」を放棄することほど、もったいない行為はないと思います。
この世で自分以外、誰にも自分はできません。
「ただしい」と思う自分を信じ、演じ切るべきです。
逆に、我慢できるレベルであるのなら、もう少し続けることをお勧めします。
自由な生き方というのは、すべての責任を自分で負う覚悟が問われるためです。
進も戻るも、最終的な正解は「自分を信じ切る」ことによって得られます。
結び
いずれにしても、もし僕が「自由に生きる方法」を何らかの形できちんと確立・提唱できるようになった暁には、包み隠さず、情報発信させていただきます。
そしていつか、当時の僕のように苦しむ人たちのセーフティーネットになることを切に願っています。
当てのない脱サラでしたが、必ずいつか這い上がってみせます。
気が向いたらまた遊びに来てください。
一進一退しながら、ちょっとずついい感じになってきました。
昨日との境目がなくなってきた今日この頃ですが、必ず這い上がる覚悟です。
もしうまくいけば、微力ながらもお力になれるかもしれません…。
いずれにしても、最後までお読みいただき、ありがとうございました。