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ジャーナリストから転身 40代妻子持ちが自由に生きてみた

体験談「脱サラ」すると時間の経過が早くなる理由

このブログでは、2017年まで全国紙の記者だった僕が、実体験をもとに「脱サラの現実」をありのままに公開しています。

脱サラ後は時間の流れが間違いなく早くなる

こんにちは。

 

プーです。

 

何の当てもないまま脱サラしてみて、最近、ふと気が付いたのですが、日々の生活の中に「暇な時間」というのが一切なくなりました。

 

ただ、繁忙感にさいなまれているわけでもなく、特段大したこともしていません。

 

メルカリやAmazonに出品するレトロゲームのソフトを磨いたり、ブログを書いたり、あるいは、確定申告の勉強をしてみたり…。

 

まったりとしつつも変化のある生活の中にあって、なぜこうも時間の流れが早いのか。

 

そもそも、「暇な時間がない」というのは、良いことなのか、悪いことなのか。

 

ざっとポイントをお伝えすると、以下の通りです。

point
  •  暇がないのは「やりたいこと」と「やるべきこと」が多いため 
  •  時間がないのは「退屈がない」証
  •  義務がない分、ノルマを課す自助努力が重要

Amazonからの一時撤退を余儀なくされた、可哀想な僕の近況を含め、今回はそのあたりの話題を詳しくまとめます。

 

 

 

Amazonからの一時撤退 

僕はいま(2018年2月20日現在)、生活費を確保するための具体的な方法を一人で模索している最中なのですが、「駆け出しの立場」となるだけに、とにかくやるべきことが多い状況にあります。

 

確定申告や健康保険の任意継続手続きなど、慣れない事務作業もこなす必要がありますし、風呂掃除や洗濯、育児に家族サービス、さらには「レトロゲームの入念な動作確認」にも汗を流さねばなりません。 

 

そして「想定外の事態」にも遭遇します。

 

先週、悪質な嫌がらせ注文が1週間ほど続き、Amazonマーケットプレイスからの一時撤退を余儀なくされてしまいました…。

 

レトロゲームだけで週5万円程度の売り上げが立ち、練習がてらに始めた物販もそれなりに軌道に乗り始めていたのですが、やはり一筋縄ではいきません。

 

後日連載にまとめますが、僕(正確に言うと妻)は一度、Amazonで競合セラーから悪質な嫌がらせを受け、店をつぶされた経験があります。

 

今回はあくまでも一時的な撤退のつもりですが、いわゆるこの手の「偽計業務妨害罪」を受けると、免疫が乏しい分、精神的に参ってしまいます…。

 

毎日、空き家や「この世に存在しない住所」から注文が入り、購入者にメッセージを送っても一切返事なし。

 

まるで怪奇現象です。

 

Amazonのルールでは、購入者との電話でのコンタクトが禁じられているうえ、どんな場所であれ、必ず発送しなければならないことになっていますので、事実上、提示された住所に送る以外にすべはありません。

 

嘘みたいな事実ですが、お届け先に「東京都葛飾区亀有公園前 キン肉マンハウス」と書かれていた場合、番地の抜けたキン肉マンハウスに必ず発送を試みねばならないのです。

 

万一これを拒否した場合は、アカウントにキズが付きます。

 

こうなると、悪質な嫌がらせはもはや何でもアリです。

 

打開策がないわけでもないのですが、同一商品を複数人のセラーで販売する「相乗り出品」はお勧めしません。

 

やはり、自社のオリジナル商品を出品するのが正攻法です(←といっても、まだ何も持っていませんが…)。

 

少し話がそれました。

 

もとい、そんな形でどんどん時間が食われているわけですが、そんな異常事態への対処にかかる手間を差っ引いても、時間は足りずにいます。

 

これは、年齢的な問題でも、ルーチンワークからくる感覚的な問題でもなさそうです。

 

脱サラ後、なぜかくも時間の流れが早くなるのか、自分でもよくわかりませんでした。

 

それが今回、嫌がらせを受けたことをきっかけに、ようやく整理できたわけです。 

 

僕から「暇」な時間が消えたのは、いい意味でも悪い意味でも、「自由な時間」が増えたためです。

 

おかしな風に聞こえるかもしれませんが、本当に時間がありません。

 

 

やりたいこと偏重の「自由な時間

犯罪行為にへこまされる中で、改めて「自由」という意味を考えました。

 

僕は脱サラ前、自由な立場に「突き抜けるような解放感」や「カタルシス」なんかをイメージしていましたが、いざ仕事を辞めてみると、あまりそんな感じでもありません。

 

どちからといえば、脱サラによって得られる自由というのは、「責任を一人で全部負う代わりに、好き勝手にやってよろしい」という印象です。

 

離職当初得られた解放感も、時間が経つにつれ、当たり前の状態になってしまいます。

 

以前、僕にとっての脱サラ最大のメリットは「生きた時間が得られる」(詳しくはこちら)と書きました。

 

どうやら、この自由な時間というのは、しっかり管理しておかねば「やりたいことに偏って割かれていく」性質を持っているようです。

 

たとえば、こういうことです。

 

  •  フリーになると「愛するわが子と遊ぶ時間」が増えます
  • 自由になると「趣味に費やす時間」も増します
  • 義務から解放されると「睡眠時間」も増やせます

 

その一方で、「分からないことだらけ」の世界を探訪するには、新参者のわが身にとって、勉強なり準備なりにかかる相応の時間が必要になるわけです。

 

つまり、脱サラすると、「やるべきこと」と「やりたいこと」に自動的に時間が割かれるため、「暇な時間」がなくなってしまうのです。 

 

そうした時間感覚のなかで「人の一生がいかに短いか」というのも見えてきました。

 

 

 「暇がない」のが良いか悪いか

現役の記者時代、そこそこあくせく働いていたのですが、仕事にはやはり波があって、暇な時間を持て余していたことも少なくありませんでした。

 

正直に告白しますが、公園のベンチで本を読んだり、マックでスマホのゲームにうつつを抜かしたり、漫画喫茶で瞑想にふけったりすることも、ままありました。

 

ところがいざ独立してみると、そんな時間はありません。

 

やるべきことの、実に多いこと…。

 

国や地方自治体に収める税金の情報も、梱包材など仕入れにまつわる情報も、独立開業に関連する情報も、人なり本なりネットなりから、自分で集めねばなりません。

 

そして、実践するのも自分です。

 

正直、面倒なことも少なくありません。

 

ただ、「忙しい」というより、むしろ「退屈な時間がなくなる」といったところです。

 

いくらやるべきことが多くとも、ペースは自分で決められるからです。

 

貯金が尽きてしまうと、割のいいバイトをしながら独立の道を探る形になるのかもしれませんが、もとより覚悟の上です。

 

多少時間がかかっても、必ず何とかしますし、何とかなります。

 

 

脱サラ後は時間の管理が重要に

かくして、脱サラすると時間の流れが極端に早くなるわけですが、スケジュール管理が極めて重要になってきます。

 

遅まきながら、その点に気が付きました。

 

退屈しない充実感はそこそこありますが、義務という足かせが解かれる分、自己管理が重要なファクターとなってくるのです。

 

自分に「ノルマを課す」というのがポイントになりそうです。

 

実はこの記事を書くのでさえ、徹夜で取り組んでもまだ追いつきません。

 

また、いまサラリーマン時代と大きく異なるのは、「きょう一日だけ頑張る」というシチュエーションに立たされることです。

 

極端に「暑い日」「寒い日」が続くと、モノがよく売れるようになります。

 

これは僕の肌感覚としても感じるところですが、そんな時は徹夜で出品作業を続けます。

 

自由というのは、それなりの充実感が約束される分、自助努力がどこまでも大切になってきます。

 

 

まとめ 

 

  • 脱サラすると「やりたいこと」と「やるべきこと」に時間が割かれるので暇がない
  • 最初のうちは「やるべきこと」の情報収集にも時間と手間がかかる
  • 意識せぬところで「やりたいこと」に時間をもっていかれる
  • 日々充実するもスケジュール管理が欠かせない
  • 「やるべきこと」に対して自分にノルマを課すのがポイント
  •  きょう一日だけ頑張るというシチュエーションが出てくる

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回は、脱サラすると時間が早くなる理由について解説を試みました。 

 

これからも自分の体験談を通じて、脱サラにまつわる情報を提供してまいります。

 

長文をお読みいただきありがとうございました。