40代で家庭を持つサラリーマンの場合、大方の人が重視するのは、いわゆる「人並みの生活」ではないでしょうか。
そこは、僕も同感です。
特段、勝ち組にならずとも、それなにり食っていければよしとする。
ただ本当は、それだけでは良くないですよね。
一度きりの人生において、大切なものが欠けているはずです。
自分のポテンシャルに合致した「しっくりくる自分」に、もう一度会いたいのではありませんか。
そして、そこはかとない安らぎや、歌の中にあるような「魂の躍動」を渇望されているのではないでしょうか。
その手ごたえこそが、「自分という命」の実感だと僕は思います。
その感触は、人生における「ぜいたく品」ではなく「必需品」です。
まだ収入源が確立できていない状況だからこそ、いまのうちに胸を張って言っていっておきます。
今回は少し短いですが、そのあたりの理由についてまとめました。
自分の生まれた意義は「味気ない人生」にあるのか
改めまして。
プーです。
僕は全国紙記者という立場から無計画に脱サラし、目下、しあわせな生き方を模索しています。
少年のような甘さと、少女のような無謀さをもって、愚かにも、いばらの道を歩いています。
ただ、割と充実しています。
会社を辞めてみてはっきりしましたが、「人並みの生活」と「自己実現への挑戦」の2つがそろわないと、人生は片手落ちになります。
そもそも「人並みの生活」というのがどの程度の生活水準を指しているのかは不明ですが、どちらが欠けていても駄目なんです。
たとえるなら、人並みの生活というのが「ガム」、夢や志は「味」です。
「味だけが存在する」という状態は物理的に成立しませんが、逆に「味のないガム」であっても、まったく意味がないのです。
そんなものは、ガムではなくゴムです。
ゴムをガムだと思ってあきらめていると、自分を味わうことはできません。
「自己実現」こそが目的地
「マズローの欲求五段階説」というのをご存知でしょうか。
- 生理的欲求
- 安全欲求
- 社会的欲求
- 尊厳欲求
- 自己実現
ざっくりいうと、人はこの順番で欲が生まれるという考え方ですが、少し目先を変えれば、「振り出し」と「ゴール」は最初からはっきりしていることになります。
①~⑤へと流されながら、欲をレベルアップさせるのではく、最初から「自己実現の形」は明確にしておくべきです。
理由は2つあります。
第一に、足元の欲に振り回されていると、人生は近視眼的になります。
第二に、目的地を見失ったまま歩くのは、文字通り「迷子」と同じ状態だからです。
ただし、刺激的な欲望や甘美な満足に惑わされず、「しっくりくる方向性」が重要かと思われます。
人はなぜ生きるのか
少し哲学的になりますが、人が生きる理由や意味を見出すのはとても難しいことです。
ただ、はっきりしているのは、「生きている人にしかできないことをするために」生きている点です。
獣には獣の生き方があります。
木には木の役割があります。
そして人は、木でも獣でもありません。
人に生まれたのであれば、人として生きるのが筋です。
そして、自分に生まれたのであれば、自分として生きるのが道です。
ゴムを噛んでいては、あまりにももったいない。
せめて、クイッククエンチにしてください。
ビッグワンガムでも結構です。
…きっと40代にしか分かりませんね。
Amazonを一時撤退に追い込まれ、僕はいま、とても疲れているようです。
馬鹿っぽく終わってすみません…。
(長文にお付き合いいただき、ありがとうございました)