仕事を辞めるのは、逃げなのか――。
こんにちは。
管理人のプーです。
いきなり本題から切り出しましたが、結論からいうと、仕事を辞めるのは100%、逃げではありません。
突き詰めると、それは「選択」です。
そもそも、仕事を辞めるのには、莫大なエネルギーが必要になります。
「仕事でご縁を頂いた人たちとのつながり」や「染みついた古い常識」、さらには「安定した収入源」まで断ち切る勇気が必要になるからです。
実際に僕は、何の当てもなく40代妻子持ちの身でありながら脱サラしました。
その経験からすれば、仕事を辞めるというのは「逃げる」というより、いろいろなことを「克服する」ことだと言えます。
僕はとてつもない不安と恐怖に打ち勝ち、すべての責任を「家族で負う」自由な人生を手にしました。
ひょっとすると、子供からすれば「たまったものではない」のかもしれませんが、僕は「挑戦者としての生き様」をみせることでプラスに持っていきたいと思っています。
仕事を辞める前には必ず脅される
「仕事をやめたい」と人に相談すると、多くの場合、脅しが入ります。
- 一家が路頭に迷う
- 世間は冷たい
- 子供がかわいそう
- 見通しが甘い
- 老後をどうする気か
- 世間体が保てない
- みじめな人生を歩むことになる
仕事を辞める前は結構真に受けていましたが、今だからわかります。
これらはすべて、単なる「脱サラ未経験者の予想」に過ぎません。
ドロップアウトすれば終わりという恐怖を社会全体で共有しているからこそ、「仕事を辞めるのは逃げる行為と同じ」という風に誤解されてしまうわけです。
不登校でも卒業できる事実
これは、不登校の子供を説得する構図とまったく同じです。
不登校の子供たちの苦しみを増幅させる社会の力学も、苦悩するサラリーマンのそれに重なります。
「不登校新聞」というネット上の媒体で記者を務める人がいます。
この人は、自身が学校に行けなくなった時に「人生終わった」と思ったそうです。
残酷な話ですが、周囲もきっと、そのように吹き込んだに違いありません。
「楽になりたい」衝動に背中を押され、自ら命を絶つ誘惑さえ感じるようになったと言います。
そんなに嫌なら、別に学校なんて行かなくてもいいんです。
というのも実は、小中学校に1日たりとも通わなくても、卒業できるからです。
つまり出席日数と卒業は無関係で、不登校の子供が「人生が終わる」ことなど、そもそもありえないわけです。
僕は、この人の記事を読むまで、そんな事実を知りませんでした。
いかに社会が誤解で塗り固められているか、改めて痛感した次第です。
実際、「不登校新聞」の記者の方も、不登校のまま「ごく普通の社会人」になったそうです。
何事も続けることで、「人生の大きな財産」が得られるのは周知の事実です。
ただ、続けない選択をすることで「失わずに済んだ財産」があるのも確かではないでしょうか。
本当の「逃げる」とは…
だからと言って、プーは安易な離職をおすすめするわけではありません。
会社にしがみつくのも、それなりにメリットがありますし、脱サラすると仕事はすべて一人でやらねばならず、結構大変な時もあります。
それでも、死にたいと思うぐらいなら、是非とも仕事を辞める恐怖を克服してください。
繰り返しになりますが、「仕事を辞める」というのは、逃げではありません。
これは、あくまでも選択です。
本当の意味での逃げというのは、たぶん「命を絶って楽になる」ことではないでしょうか。
そんな「最悪の選択」をしたときに、絶望のどん底に突き落とされるのは、常識の壁を超えられなかった家族らに違いありません。
どうか、心に余裕を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。