ありったけの勇気を振り絞って脱サラし、晴れて自由の身になった僕が最初にとった行動とは何か。
「世界をめぐるカッコいい旅」ではない。
アップルの創設者、スティーブ・ジョブズも実践した瞑想修行だ。
「仕事の能率がアップする」との触れ込みで、最近、経済誌でもよく特集が組まれている。
実際、僕は兵庫県の山奥にある道場に10日ほど籠ったのだが、この怪しげな施設でさえ、男女合わせて80人近い参加があった。
一時は偏見がぬぐい切れなかった瞑想も、いまでは立派な市民権を得た存在になっている。
といっても、僕を修行に駆り立てたのは、そんな流行を追うミーハーさではない。
仕事の関係で10年前、曹洞宗の禅寺を訪ねた折に、「あんたは坊さんになる」と断言されたことがあったのだ。
今思えば不思議な住職だったが、以来、一度は本格的な座禅・瞑想に挑戦したいとずっと思っていた。
ぶれる気持ちをきちんと正す意味でも、僕にとってこの修行は避けて通れない道だったといえる。
“自由な人生” 【瞑想】を振り出しに
道場は、市街地よりも2~3度低い山の中にあって、庭には野生動物のフンが落ちていた。
外界から隔絶された道場で供される食事は、野菜と玄米だけで、肉や魚の類は一切出ない。
電話やLINEはもちろん、参加者同士の会話、ジェスチャーさえも一切禁止されていて、朝4時から晩の9時まで、ひたすら座るだけの孤独な生活が10日間もつづく。
座っているだけといっても、瞑想は結構難しく、当然ながら、最初のうちは誰もまともにできない。
目を閉じ、体の一点に意識を集中させるのだが、ものの数分でとりとめもない雑念が湧いてくる。
境界線をはっきりさせぬままシーンは目まぐるしく変わり、勢いよくパトカーが飛び出してきたかと思いきや、イボが急激に膨らむようすが脳裏に浮かぶ。
刺激に飢えた人間特有の生理現象なのか、頭の中がとにかく騒がしい。
こんな調子で最初のうちは、まず10分も瞑想状態はもたない。
続出する脱走者
朝4時に起き、ひたすら座禅に打ち込む生活が3日も続くと、あまりのキツさに脱走者が出始める。
実際、僕の前に座っていた大柄で人の好さそうな外国人男性が姿を消し、とてもショックだった。
僕も家族に会いたくて仕方がなかった。
無茶な注文
そんなハードルを超えた人には、さらに厳しい条件が突きつけられる。
「1時間、ピクリとも動いちゃダメ」
それが、1日×6本だ。
同じ姿勢で座り続けると、30分ぐらいで足の感覚が麻痺し、50分を過ぎたころには、耐え難い激痛が襲ってくる。
「痛い痛い痛い!何これ、股にアイスピックが刺さっているんじゃないの」
絶対に動かぬとの決心もむなしく、思わず目を開いて確認すると、股間はなんともない。
アイスピックの正体は「チャック」だった。
「耐える」から「受け入れる」へ
過酷な修行生活も終盤に近づき、痛みを受け流すコツさえ覚えれば、1時間、涼しい顔でじっとしていられるようになる。
道場の溝でつくったねん挫の痛みも、どこ吹く風だ。
「ガネーシャ」が降臨!?
この段階で、神秘的な体験をする人が出てくる。
僕は、「象の顔をした神様」が降りてきて、足の痛みががフッと消える経験をした。
インドの神様の容姿をよく知らないだけに、頭の中できちんと像を結ばず、なんだか安っぽい姿だった。
いわずもがな、これは単に脳内で起きた現象だ。
それを知らない人が、突然、いままでの常識を覆され、カルトなんかにハマるのかもしれない。
本当はもっと色々おかしなこともあったのだが、事実関係がはっきりせず、また、僕の存在自体も怪しくなるので内緒にしておく。
刺激だらけが煩悩だらけを生む
待ちに待った最終日には、「沈黙の掟」が解禁され、苦楽を共にした同室のメンバーとの会話が許される。
同室のメンバーは年上の方ばかりで、職業はデザイナー、工場経営者、大学教授、格闘家などさまざま。
厳しい修行を乗り超え、やっと許されたコミュニケーションとあって、堰を切ったように会話が始まる。
再開を誓い合い、携帯番号を交換して、僕は山を下りた。
刺激だらけの外界に脳の処理能力が追い付かない。
どこをみても宣伝だらけ。
これでは「自分が見えなくなる」のも当然だ。
そんな恐ろしい下界では、修行よりももっと厳しい現実が待つ。
ここからが本当の勝負だ。
待ちわびた家族との再会、爆発する喜びをカッコよく抑え、僕は娘をぎゅーっと抱きしめた。