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ジャーナリストから転身 40代妻子持ちが自由に生きてみた

連載⑮40代妻子持ちが脱サラ生活へ よみがえる不安

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このまま進むべきか、戻るべきか――。

 

再び人生の分岐点に立つ僕。

 

当時の僕は「脱サラ」してからロクなことがなく、将来への展望もなかなか開けずにいた。

 

たった数か月で何とかなるというほど甘くはないのだろうが、とっかかりすらないのは致命的だ。

 

強がってみたところで、やはり怖いものは怖いのだ。

 

そんな弱気な心に、手放したはずの「安定への渇望」「将来への不安」が忍び寄る。

 

給料、ボーナス、厚生年金…

 

なんという甘美な響きなのだろうか!

 

 

脱サラ生活再び岐路に 飲まれる思考

 

不安にあおられる格好で、とりとめもない思考がぐるぐるループする。

 

 「謝って会社に戻してもらおう」

 「子どもの将来が一番大切」

 「奥さんへの負担も大きい」

 「組織に戻っても、肩身の狭い思いをしながら生きていくことになる」

 「ドロドロは二度とごめんだ」

 

 「40代で脱サラなんて無茶苦茶過ぎた」

 「貯金が底をついた時にどうするのか」

 「愚痴で終わる一生のどこがおもしろいのだ」

 「妻の両親は喜ぶ」

 

 「どちらが挫折で、どちらが英断なのか」

 「人生において何が大切なのか」

 「自分は何のために生きているのか」

 「そもそも未来の保証など、存在するのか

 

人は不安にのまれると、まともな判断ができなくなるものだ。

 

実はそれが「サラリーマン思考」の正体だと、あとで気がついた。

 

サラリーマンを縛り付ける力の源は、やはり「不安」なのだ。

 

特に受験戦争を勝ち抜いたエリートに至っては、安定志向プラスアルファで「元をとるまで引き返せない」心理が働くに違いない。 

 

 

再出発への決意

 

心が生み出す過剰な心配、余計な不安。

 

僕は「核シェルター」に閉じこもって一生を終える気なのか。

 

ただ、この状況で公平な判断などできるはずもなかった。

 

そもそも、何も始まっていないのだ。

 

「ひとまず、やれることやる」

「とにかく、もがいてみる」

 

 それしかなかった。

 

連載⑯