プーログ

ジャーナリストから転身 40代妻子持ちが自由に生きてみた

脱サラ40代男の独り言 離職の今年に一切悔いなし

退職を総括 来年の自分に宛て

ことし、自分の常識を超えた。不安はすべて解消されたわけではないが、脱サラに悔いはない

 

明日で今年が終わる。

 

なんといっても、今年は記念すべき離職の年だ。

 

人生における最大のターニングポイントになった。

 

2年以上迷い続けて、ようやく踏み切った。

 

先々への不安、古い常識との戦いだった。

 

やっと、これを制した。

 

退職届を出し、最も大切なものを守るための意志表示をしたのだ。

 

 

生きる時間の回復 

 

はたからみると、やっていることはたぶん滅茶苦茶だ。

 

一部の身内はいまだに僕が「克服した」のではなく「逃げた」ものと捉えている。

 

それはある意味正解といえなくもないが、本質的には不正解といえる。

 

原因は職場環境という外側の問題ではなく、人生観、死生観という「内側の問題」なのだ。

 

実際、僕は相手を選ばずに盾突く度胸もあったし、サラリーマンの弱点を突く「エグイ喧嘩のやり方」も知っていた。

 

手柄への関心も薄く、記者にしては珍しい「全体最適」を見据えていたものと自負している。

 

つまり、「外側の問題」は、20年以上にわたるサラリーマン生活の中で、対処するスキルをモノにしていたのだ。

 

 

社会人軸から自分軸へ

 

それでも、離職に踏み切ったのは「自分」を取り戻すためだ。

 

僕はサラリーマン生活で「自分として生きる時間」を失っていた。

 

「自分らしく」ではない。

「自分として」だ。

 

僕にとって、これ以上に「生きる意味」はない。

 

必要なものを守るのに、時に不要なものを捨てなければならないのだ。

 

そして僕は安全地帯から外に出る決意を固めた。

 

 

死生観の変化に生じた苦悩

 

退職願を提出するまでの間、会社生活に対する苦悩は半端ではなかった。

 

生きる意味が変わってしまった人間にとって、職場はもはや牢獄でしかない。

 

居場所があって、ないようなものだ。

 

「自分を生きる」という新たな価値観を手放せば、楽になれる。

 

ただ、この価値観は家族同様、決して捨てることができない「必要なもの」なのだ。

 

これを放棄するぐらいなら、死んだ方がマシとさえ思った。

 

自分を追い詰めるプロセスで、命を絶つシミュレーションを何度もした。

 

苦しむ人は、死にたいのではない。

 

ただ楽になりたいだけなのだと分かった。

 

 

酸いも甘いも味わい尽くす

 

会社組織を離れたのは、結果して英断だった。

 

後悔はまったくないが、将来への不安が一切ないといえば嘘になる。

 

ただ、そんなものは邪魔になるだけだと分かっている。

 

そもそも、とてつもない僥倖のすえ、偶然手にした「人生の切符」だ。

 

知的生命体の誕生から受精のプロセスまでを紐解くと、人生がいかに希少価値の高いものなのかがみえてくる。

 

そんな奇跡の存在である人も、いつか死んで土にかえるのだ。

 

僕は無宗教だが、人の生には意味があると踏んでいる。

 

「核シェルター」に閉じこもっていては、あまりにももったいない。

 

とにかく、味わい尽くす。

 

過去というこれまでの自分には後悔でなく慈しみを、今のいう自分には不満でなく満足を、これからという自分には不安でなく明るいビジョンをもって生きていきたい。