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ジャーナリストから転身 40代妻子持ちが自由に生きてみた

【無職の悲哀】40代妻子持ち SNSへの挑戦

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感激のTwitterに広がる世界――。

 

記者というのは、特定分野の確かな情報を最先端で追う職種だけに、情報収集は「対人」というのが基本だ。

 

逆に情報発信の舞台は、いわずもがな固定の購読者を抱える「紙面」となる。

 

情報の入り口と出口が固定されていた現役時代、僕は「SNS」という便利な代物をあまり利用することがなかった。

 

モノを書く仕事だけに、プライベートにまで執筆作業を持ち込むのに抵抗があったのも理由といえる。

 

登録だけしておきずっと放置していたのだが、それがプーの身になってみて、はじめてTwitterの素晴らしさがわかった。

 

一人一人の生き様を描く言葉が、面白くないわけがない。

 

つぶやきというより、それはもはや心の叫びだ。

 

 

【魂のつぶやき】につながるご縁

Twitterには、無機質な情報ではなく、人の感情が詰まったつぶやきが溢れかえっていた。

 

想いや願い、楽しみや苦悩、愛着、執着、やりきれない気持ちなどが「共感」となって広がっているのだ。

 

特に、同じ趣味を持つ人やお坊さんの言には、いちいち頷かされてしまう。

 

言葉のセンスも素晴らしい。

 

そんな人たちと敷居の低いところでフォローし、フォローされ、人としてつながっていく。

 

まるで仮想社会だ。

 

一人、原稿をコソコソ書いている寂しさなんかも吹っ飛ぶぐらい、魅力的な空間だった。

 

時間を忘れて没頭してしまった。

 

 

脱サラ挑戦者も多く

もう一つ驚かされたのは、同じ境遇の人が意外なほど多いことだ。

 

無職に離職、退職に自由…

 

いびつな社会に警鐘を鳴らす力強い言葉も散見された。

 

また、甘い言葉で「ビジネスを売り込む」つぶやきも沢山あって、思わず乗っかりたくなるほど魅力的なオファーも少なくない。

 

初日から早速、「集客と営業ノウハウの提供」を申し出るダイレクトメールが僕の元に届いたのだが、丁重にお断りした。

 

きっと、ビジネスありきでの情報発信に汗を流す人は、冷たくあしらわれることも多いのではないか。

 

そうなると、心は「お金ありきの割り切り」に逃げ込み、個人の魅力も真心もないがしろにされてしまうのだ。

 

結果して、貴重な時間も労力も、「お金を求める心」に食われてしまう。

 

これでは「自分のために生きている」のではなく、「お金のために生きている」ようなもので、あまりにももったいない。

 

 

本音を込めたメッセージを

つぶやく側は、不純物のない思いをみせることが、本物のつながりを生むのだと思った。

 

逆にフォロアーは、バイアスという色眼鏡を外し、心の芯で言葉の意味を見極めることが大切だ。

 

この点は、現実社会となんら変わりない。

 

ある人が「選ぶ人」「選ばれる人」ではなく、「エラバナイ人」になりたいとつぶやいていた。

 

「いいね」に連射機能がついていないのが残念だ。