感激のTwitterに広がる世界――。
記者というのは、特定分野の確かな情報を最先端で追う職種だけに、情報収集は「対人」というのが基本だ。
逆に情報発信の舞台は、いわずもがな固定の購読者を抱える「紙面」となる。
情報の入り口と出口が固定されていた現役時代、僕は「SNS」という便利な代物をあまり利用することがなかった。
モノを書く仕事だけに、プライベートにまで執筆作業を持ち込むのに抵抗があったのも理由といえる。
登録だけしておきずっと放置していたのだが、それがプーの身になってみて、はじめてTwitterの素晴らしさがわかった。
一人一人の生き様を描く言葉が、面白くないわけがない。
つぶやきというより、それはもはや心の叫びだ。
【魂のつぶやき】につながるご縁
Twitterには、無機質な情報ではなく、人の感情が詰まったつぶやきが溢れかえっていた。
想いや願い、楽しみや苦悩、愛着、執着、やりきれない気持ちなどが「共感」となって広がっているのだ。
特に、同じ趣味を持つ人やお坊さんの言には、いちいち頷かされてしまう。
言葉のセンスも素晴らしい。
そんな人たちと敷居の低いところでフォローし、フォローされ、人としてつながっていく。
まるで仮想社会だ。
一人、原稿をコソコソ書いている寂しさなんかも吹っ飛ぶぐらい、魅力的な空間だった。
時間を忘れて没頭してしまった。
脱サラ挑戦者も多く
もう一つ驚かされたのは、同じ境遇の人が意外なほど多いことだ。
無職に離職、退職に自由…
いびつな社会に警鐘を鳴らす力強い言葉も散見された。
また、甘い言葉で「ビジネスを売り込む」つぶやきも沢山あって、思わず乗っかりたくなるほど魅力的なオファーも少なくない。
初日から早速、「集客と営業ノウハウの提供」を申し出るダイレクトメールが僕の元に届いたのだが、丁重にお断りした。
きっと、ビジネスありきでの情報発信に汗を流す人は、冷たくあしらわれることも多いのではないか。
そうなると、心は「お金ありきの割り切り」に逃げ込み、個人の魅力も真心もないがしろにされてしまうのだ。
結果して、貴重な時間も労力も、「お金を求める心」に食われてしまう。
これでは「自分のために生きている」のではなく、「お金のために生きている」ようなもので、あまりにももったいない。
本音を込めたメッセージを
つぶやく側は、不純物のない思いをみせることが、本物のつながりを生むのだと思った。
逆にフォロアーは、バイアスという色眼鏡を外し、心の芯で言葉の意味を見極めることが大切だ。
この点は、現実社会となんら変わりない。
ある人が「選ぶ人」「選ばれる人」ではなく、「エラバナイ人」になりたいとつぶやいていた。
「いいね」に連射機能がついていないのが残念だ。