こんにちは。
管理人のプーです。
プーログは、20年勤めた会社をおもむろに辞めてしまい、現在独力で収入源の確保を目指す僕の歩みについて、リアルタイムでつづっているブログです。
一週間に一度ぐらいのペースで更新しています。
さて、まさかこの歳になって「脱サラの道」をチョイスするとは思いもしなかった僕ですが、人生には「少年時代」、「思春期」、「青年期」など、各段階ごとに経験・卒業しておくべき「レベル別のテーマ」というものが存在するように感じます。
- 友情
- 恋愛
- 冒険
- etc
一部週刊少年ジャンプの編集方針に重なりますが、仮にしかるべき時期にこうしたテーマを経験、あるいは卒業できず、次のステージに持ち越してしまうとどうなるか。
下手すると、満たされぬ渇望を抱えたまま、生きていく羽目になります。
たとえば、恋の味を知らぬがゆえに「キャバクラ」などにハマってしまう人が、往々にして痛い目にあいがちなのは、若かりし頃に済ませずにいた「経験・卒業」に原因があるとみられます。
今回は、昔大好きだった童話の思い出とともに、そのあたりの話題についてまとめてみました。
3分ほどで読めると思いますので、よろしければお付き合いください。
娘の宿題に思わぬ邂逅
最近、小学校に通う娘の宿題で、童話を読む機会を得ました。
親子で同じ本を読み、コメント程度の感想文を提出するという課題です。
この粋な宿題を通じて、僕が娘にプレゼントしたのは「アラビアンナイト」。
小1のときに読んだ思い入れのある一冊で、たくさんの短編からなる「イスラムの民話集」のようなイメージです。
当時感じた「ワクワク」を娘と共有したいと思ったのが、チョイスの理由です。
出会いはクリスマスイブに
この本との出会いは、いまから40年近く前、忘れじの「12月24日」。
まだ低学年だった僕にとって、クリスマスは欲しいおもちゃが手に入る「極めて重要な日」だったといえます。
この日の朝、僕は大きな期待を胸に布団を蹴り飛ばして跳ね起き、枕元にあるはずの「おもちゃの存在」を確かめました。
ところが、そこに転がっていたのは、予想を覆す「とても小さな包み」です。
この包み、僕が切望していた任天堂のテレビゲーム「レーシング112」とは、まったくサイズ感が合いません。
レーシング112は、ファミリーコンピューターが市場投入される以前に発売された代物で、以下の動画がその現物になります。
「?」
事態を飲み込めぬまま、包装紙をバナナの皮ようにむいていくと、赤い太字が目に飛び込んできました。
「アラビアンナイト一年生」
その残酷な衝撃を、いまもはっきり覚えています。
サンタさんの正体
かくして、かつてない絶望感に打ちひしがれた僕は、クラスで噂になっていた「サンタさんの正体」を見極めるべく、父に〝カマ〟をかけます。
僕:「サンタさんって、本当はお父さんじゃないの?」
父:「あははは。そうだ」
屈託のない笑顔で父から伝えられた現実に、半泣きになる僕。
そんな崖っぷちの少年に、引導を渡したのは母でした。
母:「ちょっとお父さん、言っちゃダメでしょ!」
アラビアンナイト一年生
そんな苦い思いとともに、手元に残った「アラビアンナイト一年生」。
半ばやけくそで僕はこの本を読みました。
うつろな少年の目に光が戻るのに、そうは時間はかかりませんでした。
「…」。
当時、活字が大嫌いだった僕ですが、ページをめくるにつれ、異国情緒あふれるアラビアンナイトの怪しい世界観に魅せられていきます。
とくに夢中になったのは「ふなのりシンドバット」の物語。
巨大な鳥とともに島をめぐる空間の広がり、絶体絶命のピンチを乗り切るスリル、そして苦心の末につかんだハッピーエンド…。
経験と卒業
今回、娘の宿題という流れから「アラビアンナイト一年生」との邂逅を果たすに至ったわけですが、大人になった僕が改めて読んでみたところで、あのとき感じた胸の高まりはなく、かすかな懐かしさを残すだけです。
とても寂しいことですが、童話の高揚感は二度と戻らないことを痛感しました。
これは、少年期、思春期、青年期などで得られる「大切な財産」にも、同じことがいえるのではないでしょうか。
友情、喧嘩、恋愛、失恋、挑戦、挫折、成功、失敗、勝利、敗北…。
学生時代にやり残した淡い恋愛も、受験の中で置き去りにした友情も、命を燃やすはずだった部活での不完全燃焼も、いくら悔いたところで、やり直しは叶いません。
逆に、絶望の中で手にしたアラビアンナイトのディープな味わいは、小学生の敏感なセンサーだからこそ感じ取れた輝きだったに違いありません。
しかるべき時期に、しかるべき経験を踏むというのがいかに大切か。
それを子供に伝えるのが、きっと、親としての重要な役割です。
冒険の賞味期限
おもむろに会社を辞めてしまったいまの僕は、子どもの時分に焦がれ、ずっと置き去りにしてきた「冒険」という夢の残骸を追っているのかもしれません。
ただ、この冒険に感じるスリル、失敗、挫折、成功、恐怖、高揚は、すべて紛れもない本物であり、現実です。
育むべき旬や食べごろが存在する「恋愛」や「友情」などに比べて、冒険は賞味期限が長いものです。
なぜなら、ぎこちない学生時代の恋愛も生涯の友と呼べる親友も、「若かりし頃にしか咲かない花」のようなものだからです。
ただ、「冒険」の賞味期限がいくら長いとはいえ、体力のあるうちに済ませるに越したことはないのも事実。
願わくば、子どもには大人になるまでの間に、大切な経験を済ませ、きちんと卒業していく道を歩んでもらいたい、と思う今日この頃です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。