プーログ

ジャーナリストから転身 40代妻子持ちが自由に生きてみた

離職を親戚に伝えた結果【40代妻子持ち男の現実】堅物の父が意外なフォロー

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こんにちは。

 

管理人のプーです。

 

読者の皆様、なかなか更新できずにすみません。

 

「熱烈なエール」を送ってくださる人もいらっしゃるようです。

 

そうした方には、ありがたいを通り越し、もう申し訳ない気持ちでいっぱいです…。

 

 

さて、40代妻子持ちで「自称ブロガー」(実質無職)となったプーは、ここにきてようやく、親戚一同に「離職した事実」を伝える機会を得ました。

 

報告の場になったのは、休日に開かれた飲み会で、メンバーは幼い時分から僕を知る2人の叔父と年の離れた従兄(いとこ)1人、そして父。

 

僕との歳の差は全員、20歳前後になります。

 

名のある企業に勤めていた人ばかりで、メンバー同士割と仲が良く、現役時代はときどき飲みに誘って頂いたりもしました。

 

会社を辞めてから、割と時間もたっていますし、当方も立派な中年のおじさんなので、怒られたりするようなことはないとは思いましたが…。

 

何より意外だったのは、父の一言です。 

 

今回は、その顛末(てんまつ)についてまとめました。

 

見てみぬふり

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飲み会の舞台に選ばれたのは、住宅密集地のど真ん中にある小さなお蕎麦屋さん。

 

休日ということもあり、2階の座敷もすべてお客で埋まっている状態で、むさ苦しいおじさん一行も、一つの小さな卓を5人で囲む羽目になりました。

 

メンバーは、来年定年を迎える某ハウスメーカーの現役選手1人、某電気工事会社の嘱託1人、定年退職者2人、無職1人という構成。

 

このメンツは親戚の中のいわば「仲良しグループ」で、飲み会も今回が初めてではありません。

 

 

 主催者は、現役サラリーマンと嘱託の2人ですが、会うのはもう3年ぶり。

 

いまから思えば、「しばらくそっとしておこう」と僕の離職に見てみぬふりを決め込んでいたに違いありません。

 

堅物の父への配慮か、野次馬根性をみせぬ大人としての品性か。

 

詳しい理由までは分かりませんが、いずれにしても皆、家族を守るのに精一杯生きてきた人たちばかりです。

 

愛情の矛先を家族一点に集中させ、ときに信念を曲げ、涙を飲み…。

 

そんな末に、彼らはようやく「穏やかな老後のチケット」を手に入れたのかもしれません。

 

 

変な空気も…

そもそも、会社を辞めたことを皆知っているのか――。 

 

20年続けた会社をおもむろに辞めてしまうという愚行について、快く思わぬ父の手前、自発的にこの事実を伝えるわけにもいきません。

 

ただそこは、飲み会開始直後にはっきりしました。

 

近しい間柄での会食は、よそよそしい「時候の挨拶」にはじまります

 

一定の距離感を置いた流れの悪いコミュニケーションにも、違和感を覚えずにはいられません。

 

儲けたお金を社員や世間に還元しない企業に対する批判など、おじさんらしくもどこか熱のこもらぬ会話が続きました。

 

 

「ありゃ、やっぱり知ってたんだ…」と心の中で思う僕。

 

このとき僕にとって、先に待つ最悪の展開は、空々しい会話に終始し「あえて触れない」姿勢を貫かれることでした

 

「裁かれる立場」の気分になったのは、きっとまだ僕の中に「古い常識」がこびりついてるためでしょう。

 

そんな杞憂(きゆう)を打ち破ってくれたのは、飲み会の言い出しっぺの一人、某電気工事会社の嘱託になった叔父でした。

 

「ときにプー君よ、会社を辞めたんだって?」

 

 

いざ打ち明けてみると…

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飲み会開始から30分。

 

僕は少しボーっとしながら、すべての会話を聞き流していたため、叔父の質問には完全に虚を突かれた格好となりました。

 

「いやあ、そうなんですよ。あははは」とごまかし、取り繕うように弁明の言葉を探す僕。

 

どこか残念そうな表情を浮かべる面々に対し、次につなげる言葉がなかなか浮かんできません。

 

 

ただ、こんなときの対処法は知っています。

 

胸の内を堂々と正直に伝えることです

 

 

「いま、ブロガーをやっています。週給40円の時期もありました。皆さんへのご報告をためらってきたのは、離職に大反対した両親への配慮からです。僕は何を言われようが、どう思われようがあまり気にしませんが、そこだけはどうしても…」

 

一同、しかめた顔の上に笑顔をコーティングしたような不自然な面持ちで、場は微妙な空気に包まれました。

 

 

意外な父のフォロー

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親戚のおじさんらは、「ブロガー」という言葉どころか、スマホの操作さえ怪しいひとたちばかりです。

 

叔父:「え、ブローカー?」

 

プー:「い、いえ。ざっくり言うと、インターネットでライターの仕事をやっています」

 

 

ある意味、想像通りのリアクションでしたが、意外だったのは父のフォローでした。

 

「こいつは、俺が酒に酔って駅のエレベーターから転げ落ちた時に、すぐに東京からかけつけてくれた。酔っぱらいの搬送先がみつからない中で、受け入れ先の病院を手配してくれたのもこいつだ。今回、皆に報告しなかったのも、親への気遣いからだ。許してやってくれ」

 

親戚への離職に関する報告義務があるかはともかく、正直なところ、この一言こそが不意打ちでした。

 

穏やかながらも、少し頭の固い父。

 

もともと、簡単に胸の内を明かすような人ではありません。

 

そんな風に思われていたというのは、このときはじめて知りました。

 

 

離職からもう2年近くが経過しているとあって、さすがに父のフォローに涙を流すことはありませんでしたが、僕はとても救われた気分になりました。

 

 

両親との思い出話に花 

そんな告白めいた父の発言により、場の空気は一変しました。

 

  • 「お前ならできる」
  • 「むしろ良かったのでは」
  • 「このご時世、自分で稼げるスキルを身につけた方が得策かも」

 

親戚一同からも、どこかあきらめに似た「フォロー」の言葉をかけて頂きました。

 

 

そうした和やかなムードに後押しされ、話の矛先は「参加者それぞれの両親との思い出話」に向きます。

 

 

孫を溺愛する両親への驚きと感激。

母を施設に入れざるを得なかった後悔と懺悔。

二度と帰らぬ少年時代の日々と今はなき故郷への郷愁。

 

 

「むかし飼った犬を思い出した」

「畑を手伝った」

「父と釣りに行った」

「母にデパートに連れて行ってもらった」

 

僕がジンジャーエールをちびちび飲む傍らで、親戚のおじさんたちは口々に懐かしい昔話に花を咲かせ、ビールも日本酒に代わって、お酒がどんどん進みます。

 

目に涙を浮かべ、かすかに笑うおじさんグループは、周囲から見るときっと不気味に映ったに違いありません

 

いまは父として 

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飲み会から2時間。

 

家族サービスを理由に僕は先に席を立ち、お礼を言って帰宅しました。 

 

 いまは僕も父の身分です。

 

子供たちもいつか、僕との日々を懐かしく振り返る日がくるのでしょう。

 

「穏やかな老後のチケット」を捨てるリスクまで冒し、手にした自由と家族との時間――。

 

尽きぬ不安があるのも事実ですが、僕は会社を辞めたことを一切後悔していません。

 

 

※週1回のお約束が守れず、改めてお詫び申し上げます。

これに懲りず、今後ともプーログをよろしくお願いいたします。