プーログ

ジャーナリストから転身 40代妻子持ちが自由に生きてみた

40代脱サラ/会社を辞めて得た宝すら…ショックの中に思い出す「幸せのありか」

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こんにちは。

 

プーです。

 

ご無沙汰してしまい申し訳ありません…。

 

これまでは、なるべく「脱サラ」をテーマにまとめてきましたが、編集方針を転換し、雑感を含むライトな記事も掲載してまいります。

 

さて、今回のテーマは「子供の成長と手持ちの宝」についてです。

 

 

子供と過ごす時間

僕が脱サラを決めた理由の一つとして「(人生において)子供と過ごす時間を余すことなく満喫したい」という思いがありました。

 

もうすこし具体的にいうと、以下のイメージです。

 

  • 可愛い盛りの子供との時間を悔いの残らぬよう味わい尽くしたい
  • 平日の学校行事に参加してみたい
  • 専業主婦と同じ距離感で子供の日常を見てみたい
  • 体調不良の際には保健室まで駆け付けたい
  • 永遠の夏休みを子供と一緒に過ごしたい

 

サラリーマン時代、単なる妄想でしかなったそんな夢も、いまは確かに僕の手の中にあります。

 

これは、大きな代償を払って手に入れた「生涯の財産」といえるかもしれません。

 

その点に関しては、申し分のないほど満足しています。

 

ただ、そんな最高の時間にも、必ず終わりが来ることに気づかされました。

 

恐ろしいほどのスピードで、子供は成長するからです。

 

 

娘の行動にショック受け

とくに女の子は、女性としての意識が芽生えるにつれ、キャンディーのように甘ったるい親子関係から段々卒業していくようです。

 

銭湯の男風呂に入るのを嫌がるようになり、あれだけせがんだ抱っこを卒業し、ついには父と手をつなぐのも恥ずかしいと思うように…。

 

休日のイズミヤで、そっと僕から距離をとる娘の行動に、超ド級の親バカであるプーは寂しくて一人半泣きになったわけです。

 

「子どもの健全な成長のあかし」といえばそれまでですが、すべては常に変化の中にあるのだと思い知らされました。

 

「フリーになって得た貴重な宝」でさえ、手のひらからこぼれ落ちていくのが現実です。

 

「いま」に生きる価値

ただ、外出先でのつれない娘の態度にショックを受けたことで、僕は大切なことを思い出しました。

 

家計を心配するがあまり、忘れかけていた「いまを生きる」ということです。

 

もちろん、古い映画のタイトルではありません。

 

サラリーマンを続ける人も、僕のようなフリーを目指す人も、結局は皆「いま」を生きる以外に選択肢はありません。

 

そして、過去や未来に照らされることなく、それみずからが光を放つ「いま」という時間の中にある宝は、身分も立場も収入の多寡も関係なく、等しく輝く代物です。

 

「お父さん、一緒に寝よ」と甘えてくれる彼女と僕のいま。

 

過去、未来、常識、希望、不安、比較などの物差しをいったん横に置き、手持ちの宝に光を当てててみると、案外、つかみどころのない「幸せの絶対値」がみえてくるのかもしれません。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。