「認めてもらいたい気持ち」が人を苦しめる――。
「認められたい」という思いは、濃淡の差こそあれ、誰しもが抱える欲求です。
社内外での競争にさらされるサラリーマンはもとより、漫画家や陶芸家など「認められなければ生活が成り立たない」という切実な世界に身を置く方ならば、なおさらです。
- 親に認められたい
- 会社に認められたい
- 社会に認められたい
- 異性に認められたい
大企業のボードメンバーから僕のような無職の人間に至るまで、この国は「認められたい病」にあえぐ人の苦しみであふれかえっているのではないでしょうか。
この話題に関連し、きょう、ある出来事を引き金に、若かりし時代の記憶がよみがえりました。
僕が簡易宿泊所の立ち並ぶ街「あいりん地区」のそばで暮らしていたときの思い出です。
今回のプーログは、そんなかつての記憶をたどりながら、「認められない苦しみ」をテーマに、「認める大切さ」についてまとめました。
※文中、不適切な表現があるかもしれませんが、弱い立場の人たちを蔑視する内容でもなければ、社会正義や道徳を強調する中身でもありませんので、安心してお読みください。
思い出のトリガー
あらためまして。
管理人のプーです。
僕は20年以上続けた新聞社をおもむろに辞めてしまった40代妻子持ちの無職です。
退職から現在に至るまで、自力で収入源を確立する試みを続けています。
一家の生活を奥さんの収入に頼る情けない状況に置かれていますが、これを打破すべく、試行錯誤をあれこれ繰り返しています。
そんないたたまれない立場の僕ですが、実はきのう近所のTSUTAYAで、人目を気にせず、軽やかに踊る初老の女性を見かけました。
ひらひらのピンクのドレスでめかし込み、左手に水玉模様の傘、両耳にヘッドホンを装着したような、奇抜な格好です。
心が自由になったのか、制御がきかなくなったのかは分かりません。
その珍妙ないでたちと軽快なステップは、奇異の目にさらされていました。
歩行者は少し離れたところで、侮蔑や哀れみを含ませた眼差しを向けながら、決まってヒソヒソ話を始めます。
もちろん僕もギョッとした口ですが、女性のダンスをチラ見する中で、大阪・あいりん地区で暮らしていた時代の記憶がよみがえってきました。
そこにあったのは、ある初老の女性が抱える深い孤独です――。
仕事を干された過去
かくいう僕も、若かりし頃、「認められたい病」を大噴火させた経験があります。
風邪をひいて会社を休んでいたところ、当時担当していた業界で突然大きな記者会見が開かれ、それを「テレビで知ることになった」ときの話です。
記者にとってのスタートダッシュは、大きな意味を持ちます。
とくに不祥事にまつわる大きなニュースは長期戦になりやすく、社内でイニシアチブを握る上でも「最初に情報を押さえた者が勝つ」ところがあるためです。
ところが僕は、この大事な局面で躓いてしまい、紆余曲折の末、ついには上司に仕事を干されてしまいます。
汚名返上を狙う独自取材での空回りは、取材先の怒髪天を突き、心身ともにヘトヘトに。(ちなみに、当時僕が起こらせた取材相手は2021年現在、経営トップの座についています)
それでも僕は、食らいつき続けました。
この苦い出来事は、最終的に「上司に褒められる形」で決着がついたのですが、恐怖から解放される安堵感と達成感は、僕の脳に「認められるエクスタシーの種」を植えこむ結果になりました。
こんな感じで、サラリーマンは「競走馬」に仕立て上げられていくのかもしれません。
-青空カラオケ-
当時の僕は会社に命じられ、大阪の支局に勤務していたのですが、仮のすみかに選んだ場所は大阪市西成区、「あいりん地区」と呼ばれる労働者の街のすぐそばです。
路面電車のホームを段ボールハウスが占拠している光景に衝撃を受け、もっと深く「あいりん地区」の実情を知りたくなったのが理由です。
この地区を含む周囲一帯を自転車でぐるぐるめぐり、いろんな人と話をするのが休日の楽しみになっていました。
その原動力は、社会正義への信念などではなく、未知の世界に吸い寄せられる好奇心からくるものでした。
本当にディープな街で、時計の針が昭和の時代に止まったようなイメージです。
町全体を覆う怪しい犯罪の香りとともに、労働者からは、癒えない心の傷に染みつく哀愁と日々を生き抜くたくましさが漂っていました。
そんな特殊な土地柄に、この地域独特の文化が花を咲かせていました。
なかでもとくに僕の興味を引いたのは、「屋台カラオケ」です。
通称「青空カラオケ」。
そして、カラオケの屋台を前に、薄い笑みを浮かべながら踊っていた人こそが、僕の思い出の中にいる「初老の女性」に他なりません。
初老の女性
天王寺動物園に面した小道にいくつもの屋台が軒を連ね、住民らが野外でカラオケに興じる光景は、世界広しといえど、きっとここだけです。
青空の下で歌う屋台カラオケには、底抜けの明るさとそこはかとないペーソスが共存していて、これぞ西成文化の真骨頂といえるのかもしれません。
僕は、「驚異の投資術」など怪しいフレーズを名刺に刻む人たちと飲めないお酒を酌み交わし、実際にマイクを取って、壁のない空間でカラオケを楽しみました。
そんな屋台がひしめく小道のど真ん中で、初老の女性がずっと踊りを披露しています。
「…このおばちゃん、何をしているのですか?」
「驚異の投資術」のスキルを持つ男性客に聞いていみると、どうやら趣味で遊んでいるわけではありません。
「おひねりを求めて、朝からずっと踊っている」のだといいます。
実際に、チップを手渡しているお客もいました。
ただ、それは洗練された舞踊のたぐいではなく、僕からすると遊びの踊りにしか見えません。
それでも体験をモットーにしている以上、ここはおひねりを出すしかないと、僕は財布から千円札を取り出して、この女性に手渡しました。
おひねり
活動の軸を体験に据えていたのも事実ですが、正直なところ、面白半分に手渡したおひねりです。
常連さんが手渡すおひねりとの違いは、「若い世代のチップ」だったということでしょうか。
この女性は両手でお札をぎゅっと握りしめ、「ありがとう、ありがとうございます」と涙を流されました。
家族と生き別れ、路上生活に近い状況に置かれていたこの女性は、身を焦がすような承認欲求を孤独の内に秘めていたに違いありません。
プライバシーの関係もありますので、これ以上深くは書けませんが、僕は自分の傲慢さを深く恥じました。
事実上、大阪市もずっと黙認してきた「青空カラオケ」でしたが、市長選のタイミングで「強制撤去」の憂き目にあい、熟した文化ごと根こそぎ刈り取られてしまいました。
認めてほしい気持ち「2つの出どころ」
僕は「認めてもらいたい」と思う気持ちの出どころはは、大きく2つあるのだと思います。
ひとつは、競争の中に芽吹く「エクスタシー」。
もう一つは孤独です。
優位な立ち位置を追えば追うほど、また、社会や家族とのつながりを求めれば求めるほど、その乾きは強くなるのかもしれません。
どちらも、人の宿命に組み込まれた感情となるだけに、器用に隠すことはできても、本質的には薄めるのが難しい欲望なのかもしれません。
そんな逃れられない渇きを潤すヒントは、実は「認めてもらう」の逆で、「みんなを認めること」にあるのではないでしょうか。
まずは認めることから
僕の勤めた古巣には、自己承認欲を空回りさせるがあまり、自爆を続ける先輩がいました。
人の手柄を横取りし、とにかく言い訳が上手で、周囲から煙たがられていた人です。
そんな嫌われ者の先輩ですが、実はこの人、骨髄バンクにドナー登録をしていて、人の命を救った経験があります。
僕はその話を本人から聞かされた時、「先輩のその本質はそこにあるので、どうか見誤らないでくれ」といった感想を伝えると、涙を浮かべていました。
人を認め続けていると、認められない苦しみも、なぜがずっと楽になります。
それは、自分を含めて、人間の価値を測る尺度が「比較値」から「絶対値」の側に振れるからなのかもしれません。
ただ、生活のかかった「認められたい病」だけは、感情の出どころが違っているせいで、なかなかどうにもなりません…。
長文ながらも、最後までお読みいただき、ありがとうございました。