引きこもりの生活は結構辛い――。
夏のはじめ、腰の骨を折る重傷を負ってからというもの、何をするにも気分の乗らない日々が続いていました。
安静を言い訳に育った、世にも恐ろしい「怠け癖」が原因です。
Amazonプライムで下らない昔のアニメにうつつを抜かし、吐き気を催すほどプレステ4をやり込み、体重ばかりがどんどん増えていき…。
そんな「残念な生活」が楽しいはずもありません。
いうなれば、座敷牢に閉じ込められたような、緩やかながらも密度の濃い苦痛です。
今回のプーログは「引きこもりの苦悩」を考察してみました。
自分のことが嫌になる
自堕落な生活のなかで「自分が嫌になる」というのは、結構辛いものです。
- 「焦り」「負い目」「苛立ち」が募る反面、どうしてもやる気が起きない
- それでも刺激を求めて、DVDやゲームにうつつを抜かしてしまう
もし僕に妻子がいなければ、あるいは、生涯癒えぬ傷を負っていたのであれば、出口の見えない「怠慢地獄の苦しみ」を味わっていたに違いありません。
きっと世の中には、「甘え」「逃避」などの自己責任を指摘されるばかりで、誰にも理解されぬ苦しみを抱いている人が少なくないはずです。
事実、2019年8月に実施した内閣府の調査によると、中高年の引きこもり者数は推計61万人に上ります。
理由を分析してみると
今回、僕が半ば「引きこもり状態」になった理由を分析してみると、以下の2つに集約されます。
- 腰の怪我
- 好調だった本業ブログの「失速」
とくに自分でも意外だったのは後者。
モチベーションの低下は、脱サラした者にとっては致命的です。
今回それを身にしみて感じました。
もうひとつ要因を付け加えるとするならば、気持ちが後ろ向きになり、外部の人とのコミュニケーションを絶ったことが挙げられます。
大切なのは意志とお金
ただ、僕は引きこもりの理由が重要だとは思いません。
注目すべきは「経済的に成立するかどうか」、そして「本人が幸せかどうか」という点に尽きると考えます。
つまり、そこそこお金があって、引きこもり生活に心底満足しているのであれば、本人が決めた「ライフスタイル」について、誰もとやかく言う筋合いはありません。
まあ妻子がいたり、他人に迷惑をかけたりすると、話は変わってくるのかもしれませんが…。
極楽行き自堕落列車
少なくとも僕は、「療養」を口実に過ごした自堕落な生活に苦痛を感じた口です。
かりそめの刺激と安楽に身をゆだねながらも、「お金がない」という現実を前に、苦悩と苛立ちが常にまとわりついてきました。
ある意味で、お金の乏しさこそが「極楽行き自堕列車」のブレーキになっていたのかもしれません。
いずれにしても今回の一件で、僕は引きこもりの中高年が感じる苦しみの「一端」を味わった気がします。
家族があり、家にも居場所がある分、僕の引きこもりは「児戯のレベル」に過ぎなかったかもしれませんが、それでも苦痛を感じるには十分でした。
見過ごされがちな中毒性
そんな経験の中で気づいたのが、引きこもりの「中毒性」です。
太ると分かっていても、やめられない・止まらない「かっぱえびせん」のようなものです。
- 怠慢な生活から「抜け出し方」が分からない
- いまの生活を変える気力も勇気も湧かない
- 嫌だと思っても心がいうことをきかない
そこを理解されずに苦しんでいる人も、案外多いのではないでしょうか。
引きこもりの処方箋
そもそも、本人の気合で何とかなるのであれば、家にこもる状況には陥りません。
少なくとも、社会復帰を前提とする「前のめりのお説教」をされたところで、中毒性の強い安全地帯から脱するのは難しいように感じます。
社会復帰は義務というより、むしろ権利に近い性質だからです。
踏み出したいけど怖い、戻りたいけど面倒くさい――。
そんな思いを抱えた中高年の「飲み会」なんかがあってもいいと思います。
僕は改めて自分を律するのに「短期のバイトでもしてみようかしら」「それよりもっと自分を追い込むべきかしら」などと悩む今日この頃です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。