こんにちは。
プーです。
先月から、無職で暇な僕が我が子に空手を教える「親子空手」の話題について、連載形式でお届けしております。
前回、トーナメント出場に至るまでの軌跡を描く「2章」に突入したわけですが、今回は優勝をかけた厳しい修行のなかでも、姉弟が最も嫌がった「地獄ミット」の話題についてご紹介します。
では、どうぞ。
関西弁のデスピエロ
昇級審査に向けた2か月の稽古は、これからはじまる地獄に比べると児戯(じぎ)に等しかった――。
「泣いてもあきまへん!左ミドル(中段蹴り)をもう1セット、おかわりだす!」
エセ関西人を気取る父の言い回しに、反応している余裕もない息子。
鬼の形相で、再びミットを蹴り込む。
「いまのがユーのマキシマムですか?またやり直しますか?」
涙を流しながら咆哮(ほうこう)し、ピッチをさらに加速する。
「OKボーイ、それでいい。さあ次はお姉はんの番でっせぇぇ!」
娘は自分に「注射の番」が回ってきたような、情けない表情を浮かべた。
地獄ミットの日
今夜は3日に1度の「地獄ミットの日」だ。
下段蹴り、中段蹴り、上段蹴り、膝蹴り、正拳突き、アッパー、フック、コンビネーションなど、オーソドックスな打撃技をそれぞれ左右100本ずつ、一定の強度とリズムで打ち込むものだ。
少しでも甘さが出れば「やり直し」を言い渡されるのが、地獄たるゆえんだ。
地味ながら、この修行はとても苦しい。
なかでも上段蹴りのやり直しは、子どもにとっての最悪の事態だ。
無職の父からこの残酷極まりない宣告を受けると、子どもたちは決まって怒りに歯を食いしばり、なかばやけくそになって蹴り込みをはじめる。
地獄ミットの日、父は徹底していやらしいピエロを演じるのだった。
限界を超えた先に
確かに、悲痛な子どもの表情に父自身の心が折れ「そうだ、そのフックだ」などと適当なことを言って中断してしまうこともある。
が、甘いだけが親の優しさではない。
現に、プー姉弟のなかに芽生えた空手への自信は「人生初の限界を超える稽古」からきている。
とはいえ、己の理想を子に投影する「親のエゴ」ほど恐ろしいものはない。
ある意味で、子からすれば親は生殺与奪の権を握る、ほとんど暴君に近い圧倒的な存在だ。
そんな親から無理矢理「地獄空手」を迫られるとなると、たまったものではない。
つまり、ひとつの夢を追う親子の共同作業は、「火加減」がとても難しいのだ。
とくに空手の場合、「子どものだらしなさ」が勝っても、「親の過大な期待」ばかりが目立っても、きっと、あまり幸せな結果にはならない。
千切れ飛ぶミット
新たな奥義「虎鉞」(こえつ)の稽古中、ついにミットの持ち手が千切れ飛んだ。
Amazonで購入した安物とはいえ、とくに娘の蹴りは小学生とは思えぬ威力だ。
トーナメントに向けたハードな練習に、最初は涙目で怯えるばかりだった姉弟も、ここにきてどんどんた逞しくなっている。
僕は安定した職を手放して、自由を買い、子どもとの濃密な時間を得た。
お金への心配は尽きないが、後悔は微塵もない。
そんな父のことを、大人になった君たちはどう受け止めるのだろうか。
父:「よし、最後にお父さんの肩に『逆雷』だ」
娘:「ゥンワークック!」
父:「痛っ!」
その答えは、いまのところ誰にもわからない。