クリスマスイブのきょう、子供たちが冬休みに入った。
引きこもり生活を続ける父としても、家族と過ごす時間が増えるのは、とてもうれしい。
お金がないので遊び方は限られるが、できるなら朝も昼も夜も、目いっぱい子どもと過ごしたいと思う。
とはいえ、自分のいまの立場に不安がないわけでもない。
会社を辞めてすでに3年たったが、いまだに僕の心には「解放感」と「先々への恐怖」が共存したままだ。
この相対する2つの気持ちを失った時点で、僕は本格的に駄目になっていくのかもしれない。
プー姉弟:「たっだいま~!」
2学期の終業式を終えた姉弟が意気揚々と帰ってきた。
とにかく、まずは昼ご飯だ。
粗末な昼食にも
きょうの献立は、チーズをたっぷり乗せたチキンラーメンと、「マルシンハンバーグ」でつくった父特製バーガーだ。
健康面では「最低の食事」かもしれないが、親子で食べる手製のジャンクフードは最高に旨い。
最近ごますりを覚えた子どもたちも「お父さんは料理の天才」と喜んでくれている。
一人100円以下の粗末な昼食でさえ、僕にとってはかけがえのないひとときだ。
会社の忘年会などよりも、はるかに有意義な時間になる。
お酒の飲めない僕にとって、「夜の席」は苦痛でしかなかった。
時間の無駄遣いは、すなわち人生の無駄遣いだ。
嫌いな上司に向けた作り笑顔も、いまはもうはるか遠い遠い昔の思い出だ。
飾りつけはディナーの後で
「マルシンハンバーグ」にいつまで満足してくれるのかはわからない。
子どもと過ごす「旬の時間」はそう長くない。
娘はいま4年生で、来年5年生になる。
そんな切ない気持ちを払拭すべく、最近僕は子どもとのコミュニケーションに少し前のめりになっている。
父:「ご飯を食べた後は、お父さんとクリスマスツリーの飾りつけをしよう」
プー姉弟:「はーい」
頂点の星をどちらが置くかで喧嘩する姉弟に、安心する自分がいる。
キラキラした球体をバランスよく飾りつけ、リボンを結び、一本の鎖でつながれたゴールドのベルとシャラシャラモコモコしたものを巻き付け、雪に見立てた綿を散らしたところで、いよいよ点灯式だ。
父:「さあ、つけるぞ」
ピンポーン
ドアのベルが鳴る。
嫌な予感がした。
ドアスコープをのぞき込むと、家の門柱をよじ登っている小学生の姿がみえた。
いつも間の悪いときに訪ねてくる、息子の悪友だ。
息子:「友達がきた!遊んでくる!」
父:「え、はぁい、いってらっしゃい」
娘:「あ、私も1時から友達と約束あるからもう行くね」
父:「え、そうなの?じゃあ、早くしないと…」
自由な立場をとことん楽しもうにも、忙しいまわりがついてこないものだ。
「寒いからジャンバーを着ていくんだぞ」などと大人の態度で見送る僕だったが、
去り行く子どもの姿に、一人社会から取り残されたような侘しさを感じるのであった。
※親子空手の連載は今回お休みしました。