プーログ

ジャーナリストから転身 40代妻子持ちが自由な生き方を提案

【40代妻子持ち脱サラ】古い家は惨めなの!?大家族特番にみる世間の目

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大家族のエネルギッシュな姿を追うテレビ朝日の特番「奮闘ニッポン!24時」を見ていて、何となく違和感を覚えました。

 

とても面白かったのですが、何でしょう、この「心のイケない部分」をくすぐられるような、モヤモヤとした感じ…。

 

同シリーズのファンいわく、「大家族ならではの雑多でパワフルな姿」が毎回楽しみで、家族間での協力や子ども同士の喧嘩の中に「懐かしい昭和の団らん」を見つけることができるのだそうです。

 

僕はあまりこの手の番組をみたことがなかったのですが、本当に作り手の意図はそこにあるのでしょうか…。

 

ギリギリの生活感までは分かるとして、「母親のタトゥー」をさりげなく映してみたり、部屋の散らかり具合を強調してみたり…。

 

このあたりを編集であえてカットしないのは、作り手の意図と視聴者のニーズがおおむね合致しているからかもしれません。

 

そもそも、テレビ番組に「意味のないシーン」が組み込まれることなど絶対にありえず、それが「無用のリスクを負う映像」となると、なおさらです。

 

と、大家族シリーズに注がれる「隠れた好奇心」について、ひねた態度でつらつらと書いてみましたが、今回、僕はテレビの評論をしたいわけではありません。

 

僕が驚いたのは、番組の中で揶揄された「築40年の貸家」の扱いについてです。

 

 築40年の一軒家

番組は、熊本地震に被災した11人家族の「尾崎家」に密着したもので、仮設住宅からの退去のリミットと、新たな子供の出産が重なり、このドタバタを一家一丸で乗り切るといった内容でした。

 

退去まであと1か月に迫ったところで、尾崎一家が掘り当てたのは築40年の4LDKの一軒家。

 

家賃6万円。

 

「む、いいとこ見つけたな」という僕の感想とは裏腹に、テレビの中の小さな子供たちは口々に「ボロいから嫌だ」「お化けがでる」と新居をこき下ろし、ナレーションまで「随分懐かしい雰囲気の家」だと揶揄しています。

 

正直、仰天しました。

 

大家族シリーズの人気を支える裏設定から察するに、世間相場からすると、昭和の香りが漂う築40年の一軒家でさえ「好奇の目」を引く対象になるのだと…。

 

タイル敷のトイレにひび割れだらけの風呂の壁。

 

「え、ひょっとして我が家もヤバいんじゃ…」。

 

 住めば都

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 僕はこれまで、東京23区内から労働者の町までいろんなところに住んできましたが、常に「住めば都」と感じていました。

 

新築だろうがボロアパートだろが、不満に思ったことはかつて一度もありません。

 

いま暮らす 2LDKの我が家も、ちょっと狭い程度で特に問題はなく、近所付き合いも至って良好です。

 

「住めば都」という感覚。

 

そこにあるのは、比較の物差しではなく、自分の中に根差す絶対値です。

 

ただ、世間一般の尺度は、ひょっとすると少し違うのかもしれません。

 

大きな家に羨望の眼差しを向け、小さな家には逆の感情を抱く――。

 

僕自身、世間体がほとんど気にならなくなった反動で、そのあたりがどうも視界不良になっていたようです。

 

自分の居場所

 そんな目で見ると、次男はともかく、可哀想なのは長女です。

 

とくに 彼女の一番の仲良しは、お洒落な庭付きの一軒家に住む男の子。

 

我が家と比べると、邸宅と犬小屋ぐらいの開きがあるかもしれません。

 

ただ娘は、いまの住まいを嫌うどころか「愛着」すら感じています。

 

最初のうちは、「古い」だの「階段が怖い」だの子供なりに難色を示していましたが、いつしか家族との温かい思い出を紡ぐ「自分の居場所」になっていたわけです。

 

僕自身、仮に宝くじが当たったところで、しばらく引っ越す気はありません。

 

可愛い盛りの子どもと過ごすのに必要なのは、愛情と時間とちょっとのお金であって、きっと、家のクオリティはあまり関係がないのでしょう。

 

 むしろ娘には、家族と自分の家を大切に思う気持ちを忘れないでいてほしいと切に願うところです。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

会社を辞める決断 一番大事な判断基準と「盲点」 脱サラ体験者談

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会社を辞める決断がどうしてもできない――。

 

長年続けた会社を辞める決断には、相当の覚悟とエネルギーが必要です。

 

脱サラを志す人はなおさらで、安定した収入源も、社会とのつながりも、染みついたサラリーマン思考も全部リセットして、一から組み立て直す必要があるためです。

 

この場合、仕事で培ったスキルを次につなぐ方法が一番手堅いのかもしれませんが、軌道に乗るまでは、大半の人が相当苦労するのも確かです。

 

何より、成功する保証などどこにもありませんし、失敗してもっと惨めになる可能性だって十分にあります。

 

「仕事をやめたい病」にかかると、大方そんなことをモヤモヤ考えながら、葛藤の渦をさまよってしまいます。

 

ただ、そうしたモヤモヤの中で、本当に大事なことの見極めができているでしょうか。

 

つまり、確かな判断材料がないままに、いきなり自分に「重い決断」を迫ったところで、迷いは深まるばかりです。

 

そんなときに見切り発車をしてしまうと、後悔の種を残すことになるかもしれません。

 

今回のプーログは、仕事を辞める決断ができず、葛藤のさなかにある人たちに向けて、「一番重要な判断基準」と「思考の盲点」についてまとめました。

 

きっと3分程度で読めますので、どうか最後までお付き合いください。

 

 

 

「仕事辞めたい病」と現実のリスク

ご挨拶が遅れました。

 

管理人のプーです。

 

僕は20年以上続けた新聞社をおもむろに辞めてしまった40代妻子持ちの無職です。

 

2017年に退職し、自力で収入源を確立する試みを続けています。

 

いまは期待できる状況でも、絶望的な状態でもありませんが、会社を辞める決断を下したことに一切後悔はないと言い切れます。

 

 

さて、今回のテーマ「仕事を辞める決断」についてですが、ようするに、新たな人生への決断を鈍らせている原因は、大方の場合、現実のリスクです。

 

  • 失敗して後悔したくない
  • 嫌なことから逃げるとロクなことがない
  • 脱サラに失敗すると惨めな末路が待つ
  • 世間体を著しく損なう

 

いや、確かにそうかもしれません…。

 

実際、退職を迷う人の中には、そんな心配を抱く方も結構いらっしゃるのではないでしょうか。

 

ただし、実はこれ、すべて「辞められない理由」ではありません。

 

「辞めない理由」です。

 

仕事を辞める「損得の天秤」

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長年大人を続けていると、価値判断の軸足が「損得」に縛られてしまい、ものごとを「比較」でとらえる癖がつきます。

 

  • どっちが得か
  • どっちのリスクが小さいか
  • どっちのうまみが大きいか

 

こうした比較の物差しだけに頼ってものごとを判断すると、どうしても大切なものを見落としがちになります。

 

失ってみて、はじめてその大切さに気付くものも少なくありません。

 

  • 生きがい
  • 時間
  • 家族との絆

 

…極端過ぎますか?

 

いずれにしても、大概それは、損得の天秤や比較の物差しから漏れたものです。

 

欲しいものと必要なもの

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では、損得の天秤から漏れたものとは何でしょうか。

 

これは、自分にとって「必要なもの」です。

 

逆に、比較の物差しで測っているものとは何か。

 

それは、得てして「欲しいもの」ばかりです。

 

つまり、大きな決断に踏み切る際には、まず「必要なもの」と「欲しいもの」の区別をつけねばなりません。

 

ここが「肝」です。

 

 

引き算で求める「幸せの形」

この「必要なもの」と「欲しいもの」の見極めこそが、葛藤のループから抜け出す第一歩であり、「本当の自分の思い」をあぶり出す、とても重要な儀式になります。

 

突き詰めると、「欲しいもの」などたかが知れています。

 

自分にとって「必要なもの」を煎じ詰めていくことが、人生の大きな決断を下す前に行うべき作業だと僕は断言します。

 

従って、脱サラして成功したカッコいい人の話も、会社にしがみついて必死で家族を守る人の雄姿も、関係ありません。

 

自分が本当にしあわせだと思う形が答えです。

 

幸せの形は、欲しいものを「足し算」していったところで見つかりません。

 

余計なものが増え、必要なものが見えなくなっていくだけです。

 

不要なものをどんどん捨てていくのが近道です

 

 

仕事を辞めるリスクへの恐怖

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とはいえ、不要な物の中には、「捨てるのが無茶苦茶惜しいもの」も含まれているに違いありません。

 

例えば、「安定した収入源」などがこれに当たります。

 

つまり、捨てるとリスクを負うものです。

 

この恐怖を克服するのは、とても難しいように思われるかもしれませんが、本当に必要なものは、リスクを冒してでも取りに行くのが筋です。

 

たとえば、家族を救うためなら、命を懸けて断崖絶壁に生える仙人の薬草を取りに行く勇気ぐらい、誰にでもあるのではないでしょうか。

 

もっと言えば、本当に必要なものを取りにいくのに、リスクはあまり関係ありません。

 

 どうしても危険を冒せないのであれば、どうかその直感を信じてください。

 

自分にとってのお宝は、自由な新天地なんかではなく、案外、ポケットの中にあるのかもしれません。

 

 

辞めたいけど踏ん切りが…

ただ、頭では分かっていても、染みついた常識の壁を越えて行動を起こすのは、すごく難しいものです。

 

「辞める決意は固いけど…」と足がすくむのも当然です。

 

そんなとき、ひとつの解決策として「全託」という手段があります。

 

退職届を出して、あとはもう運命に委ねてしまう――。

 

この方法は決しておすすめはできませんが、僕がとった行動はかなりこれに近かったように思います。

 

ただし、仕事を辞める人は準備だけは必ずしておいてください

 

いつだったか記事にもしましたが、貯金は必須です。

 

 

長文ながらも、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

【認めてほしい】苦しみを和らげる術<40代無職の涙>

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「認めてもらいたい気持ち」が人を苦しめる――。

 

「認められたい」という思いは、濃淡の差こそあれ、誰しもが抱える欲求です。

 

社内外での競争にさらされるサラリーマンはもとより、漫画家や陶芸家など「認められなければ生活が成り立たない」という切実な世界に身を置く方ならば、なおさらです。

 

  • 親に認められたい
  • 会社に認められたい
  • 社会に認められたい
  • 異性に認められたい

 

大企業のボードメンバーから僕のような無職の人間に至るまで、この国は「認められたい病」にあえぐ人の苦しみであふれかえっているのではないでしょうか。

 

この話題に関連し、きょう、ある出来事を引き金に、若かりし時代の記憶がよみがえりました。

 

僕が簡易宿泊所の立ち並ぶ街「あいりん地区」のそばで暮らしていたときの思い出です

 

 

今回のプーログは、そんなかつての記憶をたどりながら、「認められない苦しみ」をテーマに、「認める大切さ」についてまとめました。

 

※文中、不適切な表現があるかもしれませんが、弱い立場の人たちを蔑視する内容でもなければ、社会正義や道徳を強調する中身でもありませんので、安心してお読みください。

 

 

認めてほしい-思い出のトリガー-

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あらためまして。

 

管理人のプーです。

 

僕は20年以上続けた新聞社をおもむろに辞めてしまった40代妻子持ちの無職です。

 

2017年の退職から現在に至るまで、自力で収入源を確立する試みを続けています。

 

一家の生活を奥さんの収入に頼る情けない状況に置かれていますが、これを打破すべく、試行錯誤をあれこれ繰り返しています。

 

 

そんないたたまれない立場の僕ですが、実はきのう近所のTSUTAYAで、人目を気にせず、軽やかに踊る初老の女性を見かけました。

 

ひらひらのピンクのドレスでめかし込み、左手に水玉模様の傘、両耳にヘッドホンを装着したような、奇抜な格好です。

 

心が自由になったのか、制御がきかなくなったのかは分かりません。

 

その珍妙ないでたちと軽快なステップは、奇異の目にさらされていました。

 

歩行者は少し離れたところで、侮蔑や哀れみを含ませた眼差しを向けながら、決まってヒソヒソ話を始めます。

 

もちろん僕もギョッとした口ですが、女性のダンスをチラ見する中で、大阪・あいりん地区で暮らしていた時代の記憶がよみがえってきました。

 

そこにあったのは、ある初老の女性が抱える深い孤独です――。

 

 

認めてほしい-仕事を干された過去-

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かくいう僕も、若かりし頃、「認められたい病」を大噴火させた経験があります。

 

風邪をひいて会社を休んでいたところ、当時担当していた業界で突然大きな記者会見が開かれ、それを「テレビで知ることになった」ときの話です。

 

記者にとってのスタートダッシュは、大きな意味を持ちます。

 

とくに不祥事にまつわる大きなニュースは長期戦になりやすく、社内でイニシアチブを握る上でも「最初に情報を押さえた者が勝つ」ところがあるためです。

 

ところが僕は、この大事な局面で躓いてしまい、紆余曲折の末、ついには上司に仕事を干されてしまいます。

 

汚名返上を狙う独自取材での空回りは、取材先の怒髪天を突き、心身ともにヘトヘトに。

 

それでも僕は、食らいつき続けました。

 

この苦い出来事は、最終的に「上司に褒められる形」で決着がついたのですが、恐怖から解放される安堵感と達成感は、僕の脳に「認められるエクスタシーの種」を植えこむ結果になりました

 

こんな感じで、サラリーマンは「競走馬」に仕立て上げられていくのかもしれません。

 

 

認めてほしい-青空カラオケ

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当時の僕は会社に命じられ、大阪の支局に勤務していたのですが、仮のすみかに選んだ場所は大阪市西成区、「あいりん地区」と呼ばれる労働者の街のすぐそばです。

 

路面電車のホームを段ボールハウスが占拠している光景に衝撃を受け、もっと深く「あいりん地区」の実情を知りたくなったのが理由です。

 

この地区を含む周囲一帯を自転車でぐるぐるめぐり、いろんな人と話をするのが休日の楽しみになっていました。

 

本当にディープな街で、時計の針が昭和の時代に止まったようなイメージです

 

町全体を覆う怪しい犯罪の香りとともに、労働者からは、癒えない傷に染みつく哀愁と日々を生き抜くたくましさが漂っていました。

 

そんな特殊な土地柄に、この地域独特の文化が花を咲かせていました。

 

なかでもとくに僕の興味を引いたのは、「屋台カラオケ」です。

 

通称「青空カラオケ」。

 

そして、カラオケの屋台を前に、薄い笑みを浮かべながら踊っていた人こそが、僕の思い出の中にいる「初老の女性」に他なりません。

 

 

認めてほしい-初老の女性-

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天王寺動物園に面した小道にいくつもの屋台が軒を連ね、住民らが野外でカラオケに興じる光景は、世界広しといえど、きっとここだけです。

 

青空の下で歌う屋台カラオケには、底抜けの明るさとそこはかとないペーソスが共存していて、これぞ西成文化の真骨頂といえるのかもしれません。

 

僕は、「驚異の投資術」など怪しいフレーズを名刺に刻む人たちと飲めないお酒を酌み交わし、実際にマイクを取って、壁のない空間でカラオケを楽しみました。

 

そんな屋台がひしめく小道のど真ん中で、初老の女性がずっと踊りを披露しています。

 

「…このおばちゃん、何をしているのですか?」

 

驚異の投資術」のスキルを持つ男性客に聞いていみると、どうやら趣味で遊んでいるわけではありません。

 

「おひねりを求めて、朝からずっと踊っている」のだといいます。

 

実際に、チップを手渡しているお客もいました。

 

ただ、それは洗練された舞踊のたぐいではなく、僕からすると遊びの踊りにしか見えません。

 

それでも体験をモットーにしている以上、ここはおひねりを出すしかないと、僕は財布から千円札を取り出して、この女性に手渡しました。

 

 

認めてほしい-おひねり-

活動の軸を体験に据えていたのも事実ですが、正直なところ、面白半分に手渡したおひねりです。

 

常連さんが手渡すおひねりとの違いは、「若い世代のチップ」だったということでしょうか。

 

この女性は両手でお札をぎゅっと握りしめ、「ありがとう、ありがとうございます」と涙を流されました。

 

家族と生き別れ、路上生活に近い状況に置かれていたこの女性は、身を焦がすような承認欲求を孤独の内に秘めていたに違いありません。

 

プライバシーの関係もありますので、これ以上深くは書けませんが、僕は自分の傲慢さを深く恥じました。

 

 

事実上、大阪市もずっと黙認してきた「青空カラオケ」でしたが、市長選のタイミングで「強制撤去」の憂き目にあい、熟した文化ごと根こそぎ刈り取られてしまいました。

 

 

認めてほしい-2つの出どころ-

僕は「認めてもらいたい」と思う気持ちの出どころはは、大きく2つあるのだと思います。

 

ひとつは、競争の中に芽吹く「エクスタシー」。

 

もう一つは孤独です。

 

優位な立ち位置を追えば追うほど、また、社会や家族とのつながりを求めれば求めるほど、その乾きは強くなるのかもしれません。

 

どちらも、人の宿命に組み込まれた感情となるだけに、器用に隠すことはできても、本質的には薄めるのが難しい欲望なのかもしれません。

 

そんな逃れられない渇きを潤すヒントは、実は「認めてもらう」の逆で、「みんなを認めること」にあるのではないでしょうか。

 

 

認めてほしい-認めることから-

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僕の勤めた古巣には、自己承認欲を空回りさせるがあまり、自爆を続ける先輩がいました。

 

人の手柄を横取りし、とにかく言い訳が上手で、周囲から煙たがられていた人です。

 

そんな嫌われ者の先輩ですが、実はこの人、骨髄バンクにドナー登録をしていて、人の命を救った経験があります。

 

僕はその話を本人から聞かされた時、「先輩のその本質はそこにあるので、どうか見誤らないでくれ」といった感想を伝えると、涙を浮かべていました。

 

 

人を認め続けていると、認められない苦しみも、なぜがずっと楽になります。

 

それは、自分を含めて、人間の価値を測る尺度が「比較値」から「絶対値」の側に振れるからなのかもしれません。

 

ただ、生活のかかった「認められたい病」だけは、感情の出どころが違っているせいで、なかなかどうにもなりません。

 

世の中、やはり難しいですね…。

 

 

長文ながらも、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

仕事を辞める=「逃げる」ではなく「克服する」<脱サラ体験者>

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仕事を辞めるのは、逃げなのか――。

 

こんにちは。

 

管理人のプーです。

 

いきなり本題から切り出しましたが、結論からいうと、仕事を辞めるのは100%、逃げではありません

 

突き詰めると、それは「選択」です。

 

そもそも、仕事を辞めるのには、莫大なエネルギーが必要になります。

 

「仕事でご縁を頂いた人たちとのつながり」や「染みついた古い常識」、さらには「安定した収入源」まで断ち切る勇気が必要になるからです。

 

実際に僕は、何の当てもなく40代妻子持ちの身でありながら脱サラしました。

 

その経験からすれば、仕事を辞めるというのは「逃げる」というより、いろいろなことを「克服する」ことだと言えます。

 

僕はとてつもない不安と恐怖に打ち勝ち、すべての責任を「家族で負う」自由な人生を手にしました。

 

ひょっとすると、子供からすれば「たまったものではない」のかもしれませんが、僕は「挑戦者としての生き様」をみせることでプラスに持っていきたいと思っています。

 

 

仕事を辞める前には必ず脅される

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「仕事をやめたい」と人に相談すると、多くの場合、脅しが入ります。

 

  • 一家が路頭に迷う
  • 世間は冷たい
  • 子供がかわいそう
  • 見通しが甘い
  • 老後をどうする気か
  • 世間体が保てない
  • みじめな人生を歩むことになる

 

仕事を辞める前は結構真に受けていましたが、今だからわかります。

 

これらはすべて、単なる「脱サラ未経験者の予想」に過ぎません。

 

ドロップアウトすれば終わりという恐怖を社会全体で共有しているからこそ、「仕事を辞めるのは逃げる行為と同じ」という風に誤解されてしまうわけです。

 

不登校でも卒業できる事実

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これは、不登校の子供を説得する構図とまったく同じです。

 

不登校の子供たちの苦しみを増幅させる社会の力学も、苦悩するサラリーマンのそれに重なります。

 

 

不登校新聞」というネット上の媒体で記者を務める人がいます。

 

 

この人は、自身が学校に行けなくなった時に「人生終わった」と思ったそうです。

 

残酷な話ですが、周囲もきっと、そのように吹き込んだに違いありません。

 

「楽になりたい」衝動に背中を押され、自ら命を絶つ誘惑さえ感じるようになったと言います。

 

 

そんなに嫌なら、別に学校なんて行かなくてもいいんです。

 

というのも実は、小中学校に1日たりとも通わなくても、卒業できるからです。

 

 

つまり出席日数と卒業は無関係で、不登校の子供が「人生が終わる」ことなど、そもそもありえないわけです

 

僕は、この人の記事を読むまで、そんな事実を知りませんでした。

 

いかに社会が誤解で塗り固められているか、改めて痛感した次第です。

 

 実際、「不登校新聞」の記者の方も、不登校のまま「ごく普通の社会人」になったそうです。

 

 

何事も続けることで、「人生の大きな財産」が得られるのは周知の事実です。

 

ただ、続けない選択をすることで「失わずに済んだ財産」があるのも確かではないでしょうか。

 

本当の「逃げる」とは…

だからと言って、プーは安易な離職をおすすめするわけではありません。

 

会社にしがみつくのも、それなりにメリットがありますし、脱サラすると仕事はすべて一人でやらねばならず、結構大変な時もあります。

 

それでも、死にたいと思うぐらいなら、是非とも仕事を辞める恐怖を克服してください。

 

 

繰り返しになりますが、「仕事を辞める」というのは、逃げではありません。

 

これは、あくまでも選択です。

 

本当の意味での逃げというのは、たぶん「命を絶って楽になる」ことではないでしょうか。

 

そんな「最悪の選択」をしたときに、絶望のどん底に突き落とされるのは、常識の壁を超えられなかった家族らに違いありません。

 

どうか、心に余裕を。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

仕事を辞めるとカモられる!?<40代脱サラ体験談>夢の世界に潜む罠

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仕事を辞めると、そこに待つのは「自由への開放感」と「新しい人生への不安」が渦巻く生々しい世界です。

 

そんな新天地に足を踏み入れたとき、特に注意が必要なのは、転職ではなく脱サラ・独立を目指す人

 

勢いで会社を飛び出してしまった方にも言えることですが、必ず「新参者をエサにする飢えた狼」に狙われることになります。

 

収入源を探すプロセスの中で、ガラクタの眠る「宝の地図」を売りつけられたり、小麦でできた「不老長寿の妙薬」の販売ビジネスを持ち掛けられたり…。

 

今回、僕がこんな話を書こうと思った理由は何か。

 

それは、僕のところにもそんな馬鹿げた儲け話が舞い込んできたからです。

 

商材は、体内に溜まった放射能を除去する「キノコのお茶」でした。

 

さいわい、錯乱状態にない僕は「これでもか」というぐらい丁重にお断りしましたが、甘い儲け話に対する注意喚起の意味を込めて、その顛末(てんまつ)をまとめました。

 

 

弱る人を狙い撃ち 甘い儲け話にご注意を

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改めまして。

 

管理人のプーです。

 

プーログは、2018年に仕事を辞めた僕が、収入源の確保を模索するプロセスについて、リアルタイムで公開するブログです。

 

ちなみに僕は、妻子持ちの40代です。

 

もちろん、プーログに情報商材を売り込む意図は一切ありませんので、安心してお読みいただけるものと思われます。

 

 

さて、今回の儲け話を僕のもとに持ち込んだのは、50代半ばの経営者で、マッサージ店を営むEさんです。

 

この方とは友人を介して知り合いました。

 

いかがわしさがない、といえば嘘になりますが、何冊か本も出しているような、なかなか立派な方です。

 

ただ、経営も少し行き詰り、僕と同じく起死回生の手段を模索するさなかにあるようです。

 

 

 ときは2018年8月下旬――。

 

この日、「ちょっと相談がある」との連絡を受けた僕は、某所からはるばる電車を乗り継いで、Eさんのお店を訪ねました。

 

応接室のソファーに腰を掛け、呼び出しの用件を尋ねたところ、Eさんは「ガイガーカウンター放射線測定器)を探している」と話を切り出しました。

 

いわく「日本の近海でとれる魚はすべて放射能に汚染されていて、これを知らずに食べている国民は皆、深刻な放射線被害にあっている」そうです。

 

僕は「ヨドバシカメラに売っている」と親切に教えて差し上げたのですが、Eさんは「日本の放射線測定器は、事実をひた隠しにする政府によって、数値が上がらないように巧妙に操作されている」と席を立たせてくれません。

 

日本の海産物がすべて放射性物質で汚染されているかどうかはこの際別にして、「まずは市販の計測器がきちんと反応するかどうかを試すべき」と訴える僕。

 

これに対し、Eさんは「ロシア製はきちんと反応する」と腕組みを続けるばかりで、まるで話がかみ合いません。

 

いぶかしく思ったところで、件のお茶の登場です。

 

「白樺って、知ってるか?」

 

 頭の曇り 正体は「焦り」

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これ以上、当日の詳細なやり取りを書いても不毛だとは思いますが、最後にEさんの殺し文句だけ。

 

「目の前で放射線測定器を使い、その事実を客に知らせたら一発だ。俺が卸してやる。大儲けできるし、人助けにもなるぞ」。

 

 

僕は決してEさんを馬鹿にしたいわけではありません。

 

お金にまつわる焦燥感は、得てして人の思考を曇らせる点を強調したいだけです

 

 

不安な自分が、不安な誰かを食い物にする――。

 

 

お金への渇望に心が支配されると、フリーな人間の間では、こんな凄惨な食物連鎖がまかり通ってしまいます。

 

地獄から天国へと続く幻想の階段にすがるあまり、当然見えるはずの「理屈の破綻」も、無意識に見ないようにしてしまうわけです。

 

 

自分は引っかからない?

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「こんな馬鹿げた話にひっかかるわけがない」と思われた方。

 

焦りからくるお金への渇望を侮ることなかれ

 

なんだか公共広告機構のCM然としてきましたが、ピンチの中に一筋の光が差し込むと、得てして人はそれに飛びつきたくなるものです。

 

焦りまくりの自分自身はもちろん、聡明な友人・知人が甘い儲け話にすがってしまい、無残に散っていくのを「嫌」というほど見てきました。

 

 

カモがカモを探す

特に、不安や恐怖、焦りで頭の中がいっぱいになった人は、カモられがちになり、また、カモを探しがちになります。

 

さらに厄介なのは、人を食い物にする行為を正当化したいがあまり、無意識かつ自分の中だけで、売り込みたい商品・サービスの価値を極限まで肥大化させてしまうパターンです。

 

これが度を超えてしまうと、お金と時間の浪費にとどまらず、大切な友人を失ってしまうケースもままあります。

 

 きっとEさんは、白樺に生えるキノコで作るお茶に、「3万円」という売値以上の価値を見いだしたに違いありません。

 

そして、放射能汚染の地獄から国民を救う大きな使命の対価として、大金持ちになる夢を描いているのでしょう。

 

そもそも、放射線被害に心配を寄せる人らを食い物にするビジネスなど「もってのほか」だと思いますが、始末の悪いことに、Eさんはそのあたりも含めて一切見えなくなっているのです。

 

実際このお茶は、ネットで2000円前後で売られています。

 

 

スマートに成功し、お金持ちになって遊んで暮らす世界は素晴らしいのでしょうが、最短距離での実現をうたうビジネスや情報商材ほど、いい加減なものはありません。

 

大切なのは、「鵜呑みにしない」「すがらない」といったところでしょうか。

 

甘い儲け話が舞い込んできたときには、「キノコのお茶」のエピソードを思い出し、どうか一呼吸置いてください。

 

 

長文ながら、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

40代妻子持ち脱サラ<体験談>無職の身ながらも沖縄旅行へ「なんくるないさー」

プーログは、2018年に脱サラした管理人「プー」が自らの手に人生を取り戻すべく、自力で収入源を確保するプロセスをリアルタイムで紹介するブログです。

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こんにちは。

 

脱サラしてから1年あまりが過ぎ、最近、カレンダーを見るのが怖くなった管理人のプーです。

 

起死回生の一手を見いだせないまま、8月18日からの1週間、家族で沖縄旅行に出かけました。

 

貯金が底をつきかけている状況下にあって、やはり愚かで軽率な行動だったかもしれません…。

 

僕の中での1000円の価値は、もはや現役時代の3倍ぐらいに膨らんでいます。

 

仮にお金がなくなれば、バイトで急場をしのぐか、あるいは、コレクションのファミコンソフト(在庫)などをさばいて資金づくりに奔走するといった展開が予想されます。

 

いかに我が家の家計がスリムだろうと、さすがに妻のパートだけで生活費は賄いきれません。

 

こうなると、もう消火作業と一緒です。

 

いくら水をかけても火の勢いは衰えず、最終的にプーの儚い夢ごと一家を燃やし尽くす――。

 

割と具体化してきた恐怖を背に、常識の逆を行く狙いで実行に踏み切った沖縄バカンスですが、これで完全にお尻に火が付きました。

常識の逆を行く真意はこちらの記事

 

今回は、「単なる逃避行だったのではないか」との自問に背筋が凍り付いた沖縄旅行の顛末について、僕なりに得た発見とともにまとめました。

 

 

無収入の沖縄バカンス 

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水色の爆弾を爆発させたような明るい空に、カラフルな熱帯魚が泳ぐコバルトブルーの海。

 

沖縄は、やはり最高の場所でした。

 

素朴な食堂で味わったフ―チャンプルに本場アメリカ仕込みの分厚いステーキ、どちらもコストパフォーマンスが異様に高く、筆舌に尽くしがたいほど美味しかったです。

 

立て続けに来襲する台風に肝を冷やしつつも、結果的に向かう先はすべて晴天。

 

趣味と実益を兼ねたパワースポットめぐりでは、縁起のいいリュウキュウアオヘビが現れたり、幸運を告げるツマベニ蝶の大群が押し寄せたり、おかしな発光体が写真に写ったり。

 

地元ガイドさんらの度肝を抜くような、幸先(さいさき)の良い仕切り直しができました。

 

 

また、10年前に式を挙げた海辺の結婚式場も健在で、突然の来訪にもスタッフの方は迷惑な顔一つせず、当時と同じカットの写真を撮ってくれました。

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そこでふと思い出したのは、道中、宝石店でみつけた看板です。

 

 

「結婚指輪 ニューデザイン大量入荷 3点セット 5万円

 

 

 

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「僕の妻には、大量入荷されたニューデザイン3点セット5万円の指輪を受け止める器量が、はたしてあるのだろうか」

 

そんな妄想にふけりつつ、作り笑いを浮かべる僕の背に、オレンジ色の夕日が雲間から浮かび上がってきました。

 

それは結婚式当日とまったく同じ状況で、最近冷たい妻のご機嫌とりにもつながって「めでたし、めでたし」の結果となりました。

 

 

脱サラにみる「なんくるないさー」の意味

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そんな楽しい思い出と最高の気分転換を与えてくれた沖縄の旅ですが、ひとつ、僕の印象に強く残ったのは「なんくるないさ~」のスピリットです。

 

楽天的に物事を受け流す大らかさが、島人(しまんちゅ)の県民性としてクローズアップされがちですが、この言葉、実は別のことを意味するようです。

 

 

どことなく排他的ながらも一様に親切な沖縄の方々と接し、また、薩摩やアメリカの統治下に置かれた歴史的事実に触れる中で、「沖縄=楽天的」という図式には、違和感を覚えずにはいられませんでした。

 

 

それで少し「なんくるないさー」の意味を調べてみたわけですが、やはり一般的な解釈とは異なりました。

 

要約すると「精一杯の努力をもって、結果には縛られない」というのが正解のようです。

 

つまり、「なんくるないさー」の言葉の本質は、「楽天さ」ではなく、「たくましさ」にあるわけです。

 

僕がいま、もっとも向き合うべきテーマが、この言葉なのかもしれません。

 

 

仕事の貴賤とダイヤの指輪

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かくして、夢の沖縄旅行から現実世界に戻ってきた僕ですが、この際、バイトもアリかと思うようになりました。

 

目指すべき道が明確になっていて、現状、明らかに力不足を感じるのであれば、いったん引くのはむしろ得策かもしれません。

 

いわゆる立て直しというやつです。

 

つまり、脱サラ後、借金を負うようなギャンブルをしない限り、一度や二度つまずいたとしても、やり直しはいくらでも利くわけです。

 

 

 

先日、たまたま近くの公園で会った幼馴染から「落ちぶれるのって、嫌じゃない?」と聞かれ、僕はこう答えました。

 

「君が思うほど嫌じゃない」。

 

少なくとも僕は「人に迷惑をかけない限り、仕事に貴賤はない」と心の底から言い切れます。

 

貴賤があるとするならば、それは仕事に向き合う人の姿勢です。

 

つい最近、イズミヤで這いつくばって床の汚れを落とす年配の清掃員をみかけましたが、そこに感じるのは、やはり尊さでした。

 

また公益事業を担う大企業の社長さんが、利益よりも公共性を重んじる経営姿勢にもまた、同じように尊さを感じました。

 

仮に自営の道が閉ざされ、どんな仕事をするにしても、その尊さだけは見習いたいと思うところです。

 

そんな姿勢で得たギリギリのお金で贈る 「結婚指輪 ニューデザイン大量入荷 3点セット 5万円」の結婚指輪の価値は、浅ましいお金で買った1カラットのダイヤモンドの指輪に勝るかもしれません。

 

お金では届かない世界に輝く人の気持ちこそ、美しいと思うのは僕だけでしょうか。

 

まあ、僕のような解消無しが言うと、負け犬の遠吠えに聞こえたりもしますが…。

 

いずれにしても、勝負はまだまだこれからで、面白いのもここからです。

 

最後まで長文をお読みいただき、ありがとうございました。

 

40代が患う人生の疲れ「特効薬」と処方箋とは【40代脱サラ経験者より】

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プーログは、「人生に疲れた」と苦しむ40代サラリーマンの方にも結構読んでいただいているようです。

 

本当にありがとうございます。

 

 

人生に疲れた経験、もちろん僕も踏んできましたが、その原因は理想と現実とのギャップに横たわる「閉塞感」ではないでしょうか。

 

そこに重い荷物がのしかかり、まったく身動きが取れなくなってしまっている。

 

仕事上の責任だったり、出世競争にまつわるプレッシャーだったり、世間体だったり、ローンだったり、人間関係だったり、一家の大黒柱としての責務であったり。

 

「お金さえあれば」と思ってみたところで、むなしいばかりです。

 

ただ、半ばしあわせをあきらめつつも、握りしめている重い荷物というのは、そこまで大切なものなのでしょうか。

 

 

仮に要らないと思うのであれば、片っ端から捨てる「覚悟」を持つだけでも、グッと楽になれます。

 

 

僕自信、夕日の沈む海に向かって20年勤めた会社を「ポーン」と投げ捨てた口です。

 

「ポーン」とするのにそれなりのエネルギーを費やしたのも事実ですが、後悔なんて一切ありません

 

 

今回はそんな脱サラ実践者の立場から、人生の疲れにケリをつける方法を徹底解説してまいりますので、どうか最後までお付き合いください。

 

【40代人生の疲れ】増える荷物と財産

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人生も折り返し地点を迎えると、財産と荷物が大きくなります。

 

 

財産というのは、経験とスキル。

 

荷物というのは、いわば責任とプレッシャーです。

 

 

人生もここまでくると、社内で評価の高い人も、そうでない人も、「社会人」としての色が強まり、「本来の自分としての輝き」を失っていきます。

 

自分が「馬」であることを忘れ「馬車」だと錯覚を起こすようなイメージです。

  

そこに、人生に対する疲れの一因があります。

 

【40代人生の疲れ】行動の決定権

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自分という存在が「組織の一員」としての立場に取って代わられると、生まれ持った「特権」がどんどん希薄になっていきます。

 

万人が持つ特権とは、「自分の行動に対する決定権」です。

 

  • 嫌いな奴とは口をきかない
  • 汚い生き方はしたくないから正直でいる
  • 違う人生を歩んでみたいので離職する

 

人が決めたことは、誰にも止めることはできません。

 

だから、やりたいと思ったことは、その気になれば何でもできます。

 

悪い例でいけば、犯罪がなくならない理由もそこにあります。

 

本来、人は自由だからです。

 

逆に社会的な権利と義務は、すべて与えられたものといえます。

  

【40代人生の疲れ】②思い込み

それでも「辞めたくても辞められない」と声を荒げる人が多いのではないでしょうか。

 

ただ、本当は「辞めたくても辞められない」のではありません。

 

みずから進んで「辞めない選択」をしているというのが、正確な状況分析です。

 

 

そこにあるのは制約ではなく、多くの場合、「常識の壁」です。

 

はなから夢や自己実現をあきらめる格好で、「離職」という現実的な選択肢を視界の外に追いやっているのです。

 

 人生の疲れにケリをつけるには、まずそこを強く意識する必要があります。

 

【40代人生の疲れ】現実問題の罠

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「辞めたくても辞められない」という主張には、得てして「現実問題」という枕詞(まくらことば)がセットでついてきます。

 

脱サラした僕からすれば、この「現実問題」こそ、むしろ冷静な判断を曇らせる諸悪の根源です。

 

ここでいう「現実問題」は、たいていの場合、会社を辞めた経験のない人が持ち出す「空想の産物」に過ぎません。

 

実際、自営の道を選ぶ場合は、「退職するまでに整えておくべき条件」というのがいくつかありますが、転職を志すのであれば、そのハードルはグッと低くなるはずです。

 

 

それ以上に厄介なのは、「いくら辞めたくても、辞めることができない」との思い込みからくるプレッシャーです。

 

この錯覚も、人生を疲れさせる大きな要因といえますが、別にいまの仕事を辞めて、違うことをやってもいいんです

 

 

 【40代人生への疲れ】痛みと心のメカニズム

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人はいったん「痛み」が気になりだすと、実際のダメージ以上に「痛さ」を感じてしまう生き物です。

 

とくに「痛さ」から逃げられない状況が続くと、恐怖心をあおられ、肌にジッパーが触れる感覚でさえ激しい痛みに化けます。

 

嘘だと思うなら、胡坐(あぐら)をかいて1時間、座り続けてみてください。

 

断固たる決意をもって、体をピクリとも動かさずにです。

 

「いったん気になり始めた痛みは、根本原因を取り除かない限り、消えることなく膨らみ続ける」という思考の癖がわかるはずです。

 

 

実際のところ、痛みには波があり、大きくなったり、消えたり、小さくなったりを繰り返しています。

 

だた、置かれた状況次第では、わずかな刺激であっても激痛が走る錯覚を起こすというわけです

 

 

「辞めたくても辞められない」という思い込みもまた、心に同じような影響を及ぼします。

 

つまり、嫌な状況を「凝視」しながら、「逃げ場がない」との思い込みをもって、痛みをどんどん蓄積している格好です。

 

一度気になり始めたそんな苦しみが、そう簡単に消えるわけがありません。

 

こうなると、人生への疲れは本来の100000倍ぐらいに肥大化してしまいます。

 

少なくとも「逃げ場がない」という認識は、早急になくすべきではないでしょうか。

 

 

【40代人生の疲れ】一瞬で消し飛ぶケースも

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ただ、「仕事を辞めたい病」が突然治るケースもあります。

 

それは、人生において極端に大きなピンチが訪れたときです。

 

家族の健康にまつわる問題や自分の命にかかわるリスクなど、考えられないような厄災の前では「人生の疲れ」が一瞬で消し飛ぶことが往々にしてあります。

 

逆に、そこで「何が一番重大切か」を悟ることもあります。

 

また、意識を別のところに向けると、ほんの些細なきっかけで、理想と現実との間に渦巻く閉塞感が解消される場合もあります。

 

もちろん、配置転換や出世などに伴い、「仕事へのやりがいや満足度が高まる」というのも、劇薬に近い効果を発揮するものと思われます。

 

 

つまり、快も不快も、ずっとは続かないわけです。

 

【40代人生への疲れ】死ぬぐらいなら辞めるべし

苦しくても仕事をやめない理由は、人によって千差万別なのでしょうが、最初から「離職」「転職」を選択肢から外している人が多いように思います

 

「子供の将来」を憂い、「会社への迷惑」を嫌い、「生活水準の維持」に腐心し、「ローンの支払い」を背負って、「世間体」を崩さずに必死で生きる…。 

 

そこには、やり遂げた者にしかわからない人生の充実感があるのかもしれません。

 

自分の親を見ていて、そう思います。

 

 

ただ僕はそれを選ばなかった。

 

VIPとのつながりも、世間体も、新聞記者という強い立場も、安定した収入も、親や妻の両親からの期待も丸ごと捨てて、別の道を選びました。

 

先々の安全・安心や体面、中途半端なステータスよりも、自分の人生に価値を見いだす方がはるかに大切だと思ったからです。

 

もし「いまの仕事が嫌で嫌で仕方がない状況」が10年も続いているようならば、手遅れにならないうちに転職や離職を具体的に検討するべきではないでしょうか。

 

 

僕は、満員電車から解放され、ドロドロした人間関係ともおさらばし、自分の意志と時間を仲直りさせたような日々を過ごしています。

 

その反面、収入のない生活に怯え、力のなさに自信を失い、家族に申し訳ない気持ちでいっぱいになることもあります。

 

ただ、会社を辞めた後悔はひとかけらもありません

 

安易な離職はおすすめしませんが、「現実問題」として別の道が常に用意されていることを、どうか忘れないでください。

 

死にたいくらい辛いのであれば、人生を切り替えるのは余裕でありだと思います

 

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。