プーログ

ジャーナリストから転身 40代妻子持ちが自由な生き方を提案

『不登校』の実態と支援のお仕事/40代脱サラ男が重い腰上げる

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2年ほど前、20年続けた会社をおもむろに辞め、自由な生き方を模索してきた僕ですが、この間、独自で収入源を確保する試みを続けてきました。

 

物販などをかじった時期もありますが、いまは家でひたすら原稿を書いています。

 

ただ、こうして自宅にこもってコソコソと記事を書くだけの日常を送っていると、外部の人と接する機会が極端に乏しくなり、視野もチャンスも人脈も、一向に広がらない状況に陥りがちに。

 

自堕落な生活がたたり、フットワークの軽さも完全に失ってしまいました。

 

 

半分引きこもりのような状況は、「楽でいい」という面もありますが、結構な苦痛を伴うのも事実です。

 

そこで、少し目先を変えて、今後の人生の糧になり、人様のお役にも立てるようなバイトがないか、少し調べてみることに。

 

そうしたなかでピンときたのが、今回のテーマ「不登校支援協力」というお仕事です。

 

週3回程度、1日3~6時間という条件も僕のライフスタイルに合っています。

 

仮に宝くじが当たった後でもやってみたい――。

 

そんなわけで、僕は圧迫骨折から復活した「重い腰」を上げ、早速、具体的な話を聞きにハローワークに出向きました。

 

今回はその顛末についてご報告します。

 

 

2人の子供が不登校

僕がこの仕事に強い興味を感じたきっかけは、最近、不登校の子を持つ妻の友人から聞いた話です。

 

妻の友人には2人の子供がいて、一人は中学生、もうひとりは小学生。

 

プライバシーの関係上、少しぼかして書きますが、いずれの子供もほぼ同時期に不登校になったそうです。

 

僕ら世代の言葉で言うと「登校拒否」というやつです。

 

 

中学生の子供は、友人とのトラブルが引き金になったようですが、小学生の子が不登校になった理由は曖昧ではっきりしません。

 

どうも「不安」や「コンプレックス」などにあるようですが、みずから命を絶とうとするほど、事態は深刻化しています。

 

相談に乗った妻が「そこでまで無理して学校に行かせる必要って本当にあるの?」と素朴な疑問をぶつけたところ、くだんの友人は「この言葉に救われた」と涙を流していました。

 

 

登校ありきの説得 行くも行かぬも地獄

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文部科学省が2017年度に実施した「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」(最新データ)によると、不登校にあえぐ小中学生は約14万人に上ります。

 

こんなに大勢の子供と親が、日々悶絶しているのには驚きました。

 

実際、不登校をテーマにするテレビ番組では、「登校ありき」の周囲の説得に苦しむ子どもの実態が浮き彫りになっていました。

 

また学者先生のまとめたレポートによると、不登校の理由は千差万別のようで、大きく分けると小学生は「不安」、中学生は「友人関係」に集中しているようでした。

 

最近では国としても「行きたくても心が付いてこない子供たち」の存在を認め、教育の機会を別枠で設ける方向に話が進んでいるそうです。

 

義務教育の「義務」というのも、ニュアンスとしては「親側に課せられた約束事」のようなもので、子供に等しく通学を強要することはなさそうです。

 

 

イレギュラーな人生経験

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僕は家庭環境こそ複雑ではありませんでしたが、「イレギュラーなところでの人生経験」は結構豊富です。

 

難病を患ったり、バングラディッシュで死にかけたり、20年勤めた会社を突然辞めてみたり、クラスでボッチになったり。

 

記者時代には、社会の内幕にある「明・暗」をたくさん見聞きしてきました。

 

「合法的な毒饅頭」も胸やけを起こすほど食べてきました。

 

こうして振り返ると、本当にロクな思い出がありませんが、人生プラスマイナスでバランスしているようで、結果的に「それなりに幸せな人生」を送っています。

 

ジグザグに生きてきた僕だからこそ、どこかで上手く波長が合えば、苦しむ子どもたちの理解者になれるかもなれない――。

 

そう考えて先日、久しぶりにハローワークへと足を運んだ次第です。

 

 

ハローワークで「好奇の目」

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当日、下の子が通う幼稚園のお休みと重なったこともあり、ハローワークには子連れで出向きました。

 

ハローワークでは珍しい「父子」とあって、皆がチラ見していきます。

 

周囲からた僕らは、とても不幸な親子に映っていたのかもしれません

 

 

僕:「ほら、早く『父ちゃんひもじいよぅ』と言いなさい」

 

息子:「嫌。それよりスマホ貸して。動画見ていい?」

 

 

妻と職を同時に失った人からすれば、こうした好奇の目は、きっと不快以外の何物でもないはずです。

 

「同情するなら金をくれ」

 

昔、そんな言葉が流行りましたが、多くの人のチラ見は、まさにそんな心境にさせられてしまいます。

 

とはいえ、僕も立場が変われば、父子でハローワークに訪ねてきた人に対して、そうした視線を送ってしまうかもしれません。 

 

 

この日の収穫は…

そんなとりとめもない思いを巡らせ、発券機から番号札を引き抜き、待つこと約10分――。

 

担当してくれたのは、奇しくも2年前にお世話になった方。

 

どうやら、僕のことを覚えていてくれたようでした。

 

迷子にならぬようにと、息子は相談カウンターに横付けされたパイプ椅子に座らされ、音声の消えた動画を大人しく見ています。

 

挨拶もそこそこに、僕は早速要件を切り出しました。

 

 

僕:「あの、不登校支援に協力するというお仕事があるようなのですが、少し詳細をお聞かせいただけませんか」

 

職員:「え、何ですかそれ…」

 

 

この手の仕事はまだ緒についたばかりのようで、認知度が低く、求人は地域全体でも数えるほどしかありません。

 

キーワード検索をかけてもらった結果、求人は民間からもあり、トータルで4件程度。

 

時給は900円~1000円程度と、最低賃金と同水準ですが、生活費の足しぐらいにはなりそうです。

 

ただ残念ながら、僕の住むエリアでの求人はみつかりませんでした。

 

 

自治体への問い合わせ

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今度はダメもとで、直接自治体に問い合わせてみることに。

 

体制面の話から時給の詳細に至るまで、くどくどと聞いてみて、ようやく「不登校支援への協力」というお仕事の輪郭をつかむことができました。

 

 

体制

お仕事の依頼主は、地域の教育委員会

 

僕が暮らす地域の場合、協力者は登録制になっていて、小中学校の要請に応じて派遣する仕組みになっています。

 

そのため、必ずお仕事が回ってくるとは限りません。

 

仕事の内容

お仕事の具体的な中身については、学校校側が決めているのだそう。

 

担当の教員や校長先生からの指示を受け、朝のお迎え、学校施設内での声掛けなどを行います。

 

ちなみに資格は不要で、勉強は専属の教員が教えるのだとか。

 

 

時給と求人

時給は900円程度と、やはり地域の最低賃金の水準。

 

どうひいき目にみても「割のいいバイト」ではありません。

 

登録者の数は現状6人で、これは過不足のないバランスの取れた状態だそう。

 

求人募集というルート以外にも、一部「学校側の推薦」で選ばれた方もいます。

 

また何年も続けるベテランの人もいれば、体調不良を理由に途中でやめてしまう人もあるそうです。

 

 

そして肝心の「新規登録」については、年度末に募集をかけるとのことで、残念ながら期待の「急募」はありませんでした…。

 

 

売り手市場のうちに

この1年、在宅ワーク固執気味になっていましたが、今回の一件で、ライフスタイルや自分の人生観などに応じて外の仕事を覗いてみるのもひとつの手だと感じました。

 

視野、人脈、チャンスが広げるのはもちろん、確実に得られる一定の収入が安心感を生むはずです。

 

2019年12月時点の有効求人倍率は全国ベースで1・6倍を超え、まだまだ高い水準。

 

売り手市場であるうちに、自分のスタイルに合ったレアな仕事を探しておくのも悪くなさそうです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

中高年の「引きこもり」は思いのほかつらい【脱サラ男・腰椎骨折後の体験談】治療法は?

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引きこもりの生活は結構辛い――。

 

夏のはじめ、腰の骨を折る重傷を負ってからというもの、何をするにも気分の乗らない日々が続いていました。

 

安静を言い訳に育った、世にも恐ろしい「怠け癖」が原因です。

 

Amazonプライムで下らない昔のアニメにうつつを抜かし、吐き気を催すほどプレステ4をやり込み、体重ばかりがどんどん増えていき…。

 

そんな「残念な生活」が楽しいはずもありません。

 

いうなれば、座敷牢に閉じ込められたような、緩やかながらも密度の濃い苦痛です

 

今回のプーログは「引きこもりの苦悩」を考察してみました。

 

自分のことが嫌になる

自堕落な生活のなかで「自分が嫌になる」というのは、結構辛いものです。

 

 

  • 「焦り」「負い目」「苛立ち」が募る反面、どうしてもやる気が起きない
  • それでも刺激を求めて、DVDやゲームにうつつを抜かしてしまう

 

 

もし僕に妻子がいなければ、あるいは、生涯癒えぬ傷を負っていたのであれば、出口の見えない「怠慢地獄の苦しみ」を味わっていたに違いありません。

 

きっと世の中には、「甘え」「逃避」などの自己責任を指摘されるばかりで、誰にも理解されぬ苦しみを抱いている人が少なくないはずです。

 

事実、2019年8月に実施した内閣府の調査によると、中高年の引きこもり者数は推計61万人に上ります。

 

 

理由を分析してみると

今回、僕が半ば「引きこもり状態」になった理由を分析してみると、以下の2つに集約されます。

 

  1. 腰の怪我
  2. 好調だった本業ブログの「失速」

 

とくに自分でも意外だったのは後者。

 

モチベーションの低下は、脱サラした者にとっては致命的です。

 

今回それを身にしみて感じました。

 

もうひとつ要因を付け加えるとするならば、気持ちが後ろ向きになり、外部の人とのコミュニケーションを絶ったことが挙げられます。

 

 

大切なのは意志とお金

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ただ、僕は引きこもりの理由が重要だとは思いません。

 

注目すべきは「経済的に成立するかどうか」、そして「本人が幸せかどうか」という点に尽きると考えます。

 

つまり、そこそこお金があって、引きこもり生活に心底満足しているのであれば、本人が決めた「ライフスタイル」について、誰もとやかく言う筋合いはありません

 

まあ妻子がいたり、他人に迷惑をかけたりすると、話は変わってくるのかもしれませんが…。

 

 

極楽行き自堕落列車

少なくとも僕は、「療養」を口実に過ごした自堕落な生活に苦痛を感じた口です。

 

かりそめの刺激と安楽に身をゆだねながらも、「お金がない」という現実を前に、苦悩と苛立ちが常にまとわりついてきました。

 

ある意味で、お金の乏しさこそが「極楽行き自堕列車」のブレーキになっていたのかもしれません。

 

いずれにしても今回の一件で、僕は引きこもりの中高年が感じる苦しみの「一端」を味わった気がします。

 

家族があり、家にも居場所がある分、僕の引きこもりは「児戯のレベル」に過ぎなかったかもしれませんが、それでも苦痛を感じるには十分でした。

 

 

見過ごされがちな中毒性

そんな経験の中で気づいたのが、引きこもりの「中毒性」です

 

太ると分かっていても、やめられない・止まらない「かっぱえびせん」のようなものです。

 

  • 怠慢な生活から「抜け出し方」が分からない
  • いまの生活を変える気力も勇気も湧かない
  • 嫌だと思っても心がいうことをきかない

 

そこを理解されずに苦しんでいる人も、案外多いのではないでしょうか。

 

 

引きこもりの処方箋

そもそも、本人の気合で何とかなるのであれば、家にこもる状況には陥りません。

 

少なくとも、社会復帰を前提とする「前のめりのお説教」をされたところで、中毒性の強い安全地帯から脱するのは難しいように感じます。

 

社会復帰は義務というより、むしろ権利に近い性質だからです。

 

踏み出したいけど怖い、戻りたいけど面倒くさい――。

 

そんな思いを抱えた中高年の「飲み会」なんかがあってもいいと思います。

 

僕は改めて自分を律するのに「短期のバイトでもしてみようかしら」「それよりもっと自分を追い込むべきかしら」などと悩む今日この頃です。 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

嘘のような初期不良【40代脱サラ妻子持ち】脱サラ男の災難

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こんにちは。

 

プーです。

 

前々回、日立のオーブンレンジ「ヘルシーシェフ」を購入した話題をご紹介しましたが、実は新品なのに壊れていました…。

 

いわゆる初期不良というやつです。

 

40年以上生きていて、最初から故障している家電製品をつかまされたのは初めてです。

 

早速、販売店に問い合わせてみたところ、「こちらでは判断しかねる」として、メーカーに指示を仰ぐよう言われました。

 

今回は、そんなヘルシーシェフをめぐる「珍しくもどうでもいい話」について、ご報告します。

 

 

近未来的な演出?

10年間、我が家の食卓に彩を添えてきた「シャープのヘルシオ」に別れを告げたプー一家。

 

息子が「この電子レンジ、捨てたら壊されるの?」と泣き出したのには驚きでしたが、かつての愛機があった場所にはいま、「ヘルシーシェフ」が威風堂々と鎮座しています。

 

黒光りする真新しいボディの右上に、スタイリッシュな「液晶モニター」を搭載し、乱暴なぐらい大きなボタンがどこか安物臭さを印象付けます。

 

「あたためいろいろ」「少人数」などの不明瞭な機能は、きっと一生使わずじまいです。

 

それでも、新品の家電製品はうれしいものです。

 

 

モニターに踊るアルファベット

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早速、冷えたご飯を温めてみました。

 

すると、液晶モニターの中では「U」という文字が浮かび上がり、何やらデジタル表示がクルクルと回転しています。

 

おお、さすがはヘルシーシェフ!

 

10年ほど愛用していたシャープの「ヘルシオ」にはない、新機種特有のお洒落な表示でしょうか。

 

きっと、何かの頭文字をアルファベットで表現しているに違いありません。

 

近未来的でなかなかカッコいい演出に胸が躍ります。

 

  • H
  • S
  • E

 

1秒間隔で変わるアルファベット表示に、無限の想像が広がります。

 

誰も見ていないことをいいことに、僕はリズムをとって叫びました。

 

「HOT! SOON! EAT!」

 

ただ、あと何秒で温まるのかは、まったく分かりません。

 

 

異変に気付いた妻

このシステムに違和感を覚えたのは2日後でした。

 

肉じゃがの残りを温めていた妻が本質的な問題に気づき、こう言います。

 

 

妻:「ちょっと、これ壊れてるじゃない!」

 

 

買ったばかりのヘルシーシェフに限って、そんなはずはありません。

 

 

僕:「いや、これは今風の演出だよ

 

 

僕は本気でそう信じていながらも、少し心配になり、液晶モニターをまじまじとのぞき込みました。

 

そこでようやく、モニターの中で暴れる記号の正体を悟ります。

 

これは、ところどころ「辺」がかけた数字だったのです

 

  • H⇒「8」
  • U⇒「0」

といったところでしょうか。

 

「だまし絵」さながら、人の思い込みというのは恐ろしいものです。

 

こうなると、ちゃんとした新品に交換してもらえるかが心配です。

 

 

機械的な対応

売店に「お前が壊したんじゃないか」と言われても、無実を証明する証拠はありません。

 

それでも、とにかく連絡を取ってみるのが先決です。

 

 

僕:「壊れているので、新しいのに交換してください」

 

売店:「メーカー側の受付番号とメーカー担当者名をお書き添えの上、ご連絡いただけますようお願い致します」

 

 

まるでロボットのような対応でしたが、販売店がそう言うのは、まあ当然と言えば当然です。

 

この場合、対応すべきは「売った人」ではなく、「造った人」でしょう。

 

次にメーカーに問い合わせてみたところ「あくまでも修理での対応となる」とのことで、「後日、技術者を派遣する」と伝えられました。

 

きちんと直してもらえるのであれば、こちらとしても文句はありません。

 

そして、奇跡が起きたのは「技術者訪問の前日」でした。

 

 

バツの悪い復活劇

 休日の午後――。

 

 妻が昼食の準備をしていたところ、ヘルシーシェフとオーブントースターを同時に使ったことが原因で、突然、ブレーカーが落ちてしまいます。

 

すぐさまブレーカーを上げて電気を復旧し、ふたたびヘルシーシェフの温めボタンを押すと、なんと、不具合が直っているではありませんか。

 

要らぬ疑いを持たれぬよう、ちょっと怒ったふりをして連絡したこともあって、バツの悪いことこの上ありません。

 

再度、メーカーに事情を説明したところ、「一応約束通り、技術者を派遣する」といわれたので、当初の予定通り、現物を点検・修理してもらうことになりました。

 

 

そして当日、我が家に迎え入れた技術者の方いわく、この手の不具合は「初期不良のなかでも極めて珍しいタイプ」だそうで、ご自身も「はじめて見た」というぐらいレアなケースなのだとか。

 

ブレーカーが落ちた後、突然モニター表示の不具合が改善した理由については「(システム的に)リセットがかかったため」との説明を受けました。

 

万一の再発を防止さるため、結局基盤を交換してもらいました。

 

色々ありましたが、新品のオーブンレンジにはとても満足しています。

 

そんな僕の気持ちを察してか、それとも、高度なブラックジョークで笑わせようとしているのか。

 

奇しくも、販売店から修理当日に届いたメールのタイトルがこれ。

 

 

【クーポンあり!】先日、購入頂いた商品レビューをお聞かせください原文ママ

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。 

大人の常識は子供の非常識【40代妻子持ち脱サラ男】子育ての視点

 

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「大人の常識」を子供に押し付けることなかれ――。

 

「ありのままに世界を見る力」というのは、ある意味で、先入観のない子供だけが持つ「期間限定の特殊能力」といえるかもしれません。

 

最近、娘の宿題を通じて痛感させられたことです。

 

無秩序でとりとめのない子供の感性をむやみに奪う行為は、「実は子供を理解しようとしない、大人の怠慢なのではないか」とさえ思うようになりました。

 

今回のプーログは、そんな話題です。

 

 

買い物の宿題で

先週、小学校3年生の娘が「お店で買い物をする」という宿題を持って帰ってきました。

 

商品のレシートと一緒に、「気づいたこと」「感じたこと」をプリントに書いて提出するといった内容です。

 

ちょうど玉子を切らしていたので、半分遊びがてら、僕ら一家は隣町の大型スーパーまで足を延ばし、この宿題に協力することに。

 

 

妻:「じゃあ、10個パックの玉子を探して買ってくれる?」

 

娘:「うん、わかった」

 

 

近所の駄菓子屋さんの常連で、すでに何度も「おつかい」を経験している娘からすれば、この程度の宿題、造作もないはずです。

 

図らずも、隣町のスーパーは「無人レジ」を採用する数少ない店舗のひとつでした。

 

この宿題をこなすには、「とてもおいしいシチュエーション」といえそう。

 

「気づいたことを書く」という点では、もはや「無人レジ」一択だからです。

 

 

さて、娘はきちんとそこを理解し、「正解」を提出することができたのでしょうか。

 

お店を出たところ、さっそく宿題の「答え合わせ」をしました。

 

 

的外れの指摘に困惑

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僕:「ねえねえ、いつものスーパーとはちょっと違ったね」

 

娘:「うん、凄い広かった」

 

僕:「え、レジについてはどんな風に思った?」

 

娘:「たくさん並んでた!」

 

僕:「…」

 

 

娘はもうすぐ9歳です。

 

僕と娘の歯がゆいやり取りに業を煮やし、妻もこの問答に参戦してきます。

 

 

妻:「いや、もっと決定的に違うところがあったでしょ!?」

 

娘:「え?ああ、レジにボタンがなかったね」

 

妻:「キィー!」

 

 

無人」というキーワードに固執する両親の期待にこたえられず、娘の顔色はみるみる曇りはじめました。

 

 

子供がみている世界

目に映るものに「正解の意味」を見つけるのは、先入観の塊である大人の目線です。

 

これは、人間が社会のなかで生きていく以上、必要不可欠なセンスといえるのでしょうが、自分が何をどう感じるかは、他人が決めることではありません。

 

ましてや、「気づいたいこと」「感じたこと」を評価するなど、ナンセンス以外の何物でもないように思います。

 

「違う」

「駄目」

「そこじゃない」

 

こんなことを平気で言ってしまうのが、僕のような「親」という生き物です。

 

子供を大人に近づけようとするばかりではなく、大人が子供の世界に近づく努力もときには必要なのではないでしょうか。

 

「教育」という大義名分を振りかざしてばかりいると、子供もいつか「下らない大人」になりかねません。

 

事実、大人の顔色をうかがって書いた子供の感想文ほど、つまらないものはありません。

 

そこに「自分」がないからです。

 

あるのは「子供なりの打算」に過ぎません。

 

 

まあ僕のような「ダメな大人」になるよりずっとマシかもしれませんが、日本をとても窮屈にしている原因は、案外、同調のなかに安心感を見いだす「教育の形」にあるのかもしれません。

 

 優れたアイデアをつぶしてしまう保守的な会社組織のなかでも、これによく似た構図がみられますが、きっと源流は同じです。

 

 

読み解きづらい「感じ方」

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みえる景色を「意味」の中に閉じ込めてしまう大人に対し、ビジュアルとしての印象を大雑把に捉えるのが子供。

 

大人になってしまうと、いい意味でも悪い意味でも、これができなくなってしまいます。

 

 

「常識の押しつけ」を反省した僕は、お風呂に入った後、机に向かう娘にあらためてこう伝えました。

 

 

僕:「さっきはごめん。一切何も気にせずに、何でもいいから、買い物をして一番強く感じたことを書いてごらん」。

 

娘:「うん、わかった!」

 

 

3分後、出てきたのがこの答え。

 

 

「玉子のある場所が思ったところになくて、笑えました」

 

 

僕:「…え、ナニコレ?」

 

娘:「玉子を売っているところがなかなか見つからなくて。(売り場が)パッと出てきたときに、びっくりしたような感じ。笑えるでしょ」

 

僕:「う、うーん…」

 

 

思いがけない「事実」

笑えました」といわれても、イマイチ意味が理解できません。

 

仕方がないので、僕は娘がみた景色に少しでも近づこうと、「玉子売り場」をググってみることに。

 

すると、意外なヒントが浮かび上がってきました。

 

 

生活必需品といえる玉子の売り場は、あえて「奥まった場所」や「分かりにくいところ」に設けられているそうです。

 

これは、玉子売り場にたどり着くまでの間、「より多くの商品も見てもらうための仕掛け」なのだとか。

 

娘の書いた感想文は、「とても分かりにくく、意外なところにある玉子売り場」の実態を見抜いた内容だったわけです。

 

 結局のところ、この発見ですら「大人目線での評価」ということになるのでしょうが、否定よりも肯定のなかでこそ、個性を持った子供の感性は磨かれていくに違いありません。

 

表現力うんぬんを考えるのは、きっとそのあとです。

 

僕は大いに反省し、嫌がる娘を力いっぱい抱きしめました。 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

これって八つ当たり!?警備員が妻を罵倒/悪いのは誰?

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高所からの垂直落下によって、腰の骨を折る重傷を負ってから2か月あまり。

 

ようやく背中の痛みも消えてきた今日この頃ですが、今度は長年愛用してきた「ヘルシオ」が故障し、再起不能になりました…。

 

失意のもと、新品を買おうと一家そろって近くの家電量販店に車で足を運んだわけですが、帰り際、駐車場の出口付近でさらに「怒り心頭の出来事」に遭遇しました。

 

愛する妻が突然「警備員」に罵倒されたという話です。

 

完全に「言いがかりレベル」の酷い内容です。

 

今回のプーログは、そんな日常の一こまを綴りました。

 

 

機能停止のオーブンレンジ

忘れじの9月5日――。

 

10年間、我が家に温かい食事を提供してくれた「シャープのヘルシオ」がついに壊れてしまいました。

 

いくらふたを開け閉めしても、エラー表示が出るばかりで、「あたため」のスイッチに電気が灯りません。

 

少し調べてみたところ、修理するには1万5000円~2万5000円ほどかかるようでした。

 

毎日休まず働き続けてくれたオーブンレンジとあって、修理したいのはやまやまでしたが、10年選手だけに、すぐさま別の不具合が出る可能性も否定できません。

 

1~2日ほどは騙しだまし使っていましたが、半ドアからゆっくり閉めてスイッチを押す「昭和マジック」も通用しなくなり、もはや完全なるポンコツに。

 

何をしても動こうとしない、働こうとしない怠惰なヘルシオが、堕落し切った自分の姿に重なり、倒錯した親近感が芽生えました。

 

 

「湯煎で30分」不便なご飯

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文化的な生活を送るにあたり、ポイっと入れてポチっとボタンを押すだけで食材が温まるレンジは、もはや手放せないアイテムです。

 

我が家にとっては空気のような存在だっただけに、一度失うと、不便で仕方がありません。

 

とくに「チンする既製品のご飯」は、鍋で戻すのに「30分以上の湯煎(ゆせん)」が必要になり、実際にやってみると、便利さとは正反対、もはや「非常食」です。

 

また、光熱費に対する割の悪さも痛感させられました。

 

さらに、「自家製の冷凍ご飯」に至っては、数時間かけて自然解凍を待たねばならず、空きっ腹では誰しも途中で心が折れるに違いありません。

 

 

もっとも、電子レンジがない前提で生活設計すれば、実は事足りてしまうのかもしれませんが、妻も子もそんな暮らしを受け入れてくれないのは明白です。

 

冷めたチキンカツ丼を温めるのですら、四苦八苦させられる始末です。

 

 

家電量販店へ

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そんなわけで休みの日に、近くの家電量販店を「視察」することにしました。

 

少しクオリティは下がるものの、きょうび、修理代の範囲内で立派なオーブンレンジが買えてしまえるのには驚きでした。

 

正直なところ、ヘルシオ最大の魅力である「スチーム」はこの10年で数えるほどしか使ったことがなく、我が家では「温める」「焼く」(オーブン・グリル)機能だけでで事足ります。

 

そんなわけで、プー一家は「コストパフォーマンス」と「火力」を基準に、各社の製品をふるいにかけた結果、日立の「ヘルシーシェフ」を買うことに決めました。

 

心の深いところに響いたのはそのネーミングです。

 

ヘルシーシェフ」。

 

ヘルシオを露骨に意識した、優しく甘美な響きです。

 

また、お飾りレベルのスチーム機能も、控え目で奥が深く、とても気に入りました。

 

 

駐車場で事件勃発

僕も途中まで失念していましたが、今回はオーブンレンジの話題ではありません。

 

警備員が2人1組で番をしている駐車場出口で、車道にアクセスするタイミングを計っていたときに起きた出来事です。

 

 

駐車場と車道の間には、小さな歩道が横たわっています。

 

運転しているのは妻の方。

 

車道は信号待ちの車で詰まっている状態で、プー一家の車が入る隙はありません。

 

仕方がないので、駐車場の出口のところで、大人しく待っていました。

 

 

これに気を利かせた警備員の一人(警備員A)が、信号待ちするドライバーにもう少し車間距離を詰めるようお願いして回っていました。

 

プー一家が入る余地をつくろうとしてくれているわけです。

 

「お、親切な警備員(A)さんだね」と妻はいいました。

 

 

親切が「仇」に

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この計らいに気を良くし、妻は車を「見切り発車」させてしまいます。

 

ところが、善意を積み重ねてできた車道のスペースは車一台分には少し足りず、結果してプー一家は「歩道の上」で待ちぼうけを食う羽目になりました。

 

すると、車間距離を詰めるよう公道で頭を下げていた警備員Aが血相を変えて飛んできました。

 

さきほどの笑顔とは打って変わり、苦い表情でプー家の車にバックするよう促しつつ、相棒の「警備員B」を怒鳴りつけているではありませんか…。

 

車を駐車場側へと後退させるさなか、窓をしてめていたので、声はかすかにしか聞こえませんが、年配の「警備員B」はきっとこんな感じで叱られていたに違いありません。

 

「あんた何してんだ!まだ来させるなよ!歩道をまたいで停車させるなって、きょう言われたばかりだろう!」

 

人が誰かを叱りつける光景は、見ていて決して気持ちの良いものではありませんが、問題はここから先です。

 

 

誘導棒をかざし怒鳴り声

怒られた警備員は、「LED誘導棒」を妻に向けてグイグイとバタつかせながら、妻を激しくののしっています。

 

車の窓が閉まっていて、よく聞こえませんでしたが、かすかに届く音の意味から察するに、きっとこんな感じです。

 

「なんで突っ込んでくるんだ!こっちが指示するまで駐車場で待っていろよ!歩道に乗り上げると迷惑なんだって。分からないの!?」

 

 

外見は子羊のようですが、心に凶暴な鬼を飼う妻。

 

「チッ、あんたらが行かせようとしてたんだろう!」

 

 

誰が悪いの?

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僕が思うに、プー一家の車が歩道を行き来する原因をつくったのは、警備員AでもBでもなければ、ドライバーの妻でもありません。

 

しいて挙げるなら「3者の連携不足」です。

 

少なくとも、仮に「お客さん」という点を差っ引いても、妻だけの責任ではありません。

 

 

そもそも、3人ともに作り笑顔で「ごめんね」と言い合えば、気持ちよく済む話です。

 

怒りに燃えて妻の髪が逆立つのも無理のない話。

 

そんな激しい熱に当てられた僕は、バシッと一言いってやろうと、警備員をまっすぐに見据えました。

 

視線の先にある「警備員B」。

 

齢70を超えた年配の人。

 

顔が一瞬で短くなる「クシャおじさん」に似た、どこか憎めない人相の人です

 

そんなお年寄りを相手に、僕は何がしたいのか…。

 

そう考えたところで、ふと我に返りました。

 

 

むやみな怒りは連鎖する

結局、プー一家は信号が変わるタイミングを待って、何もいわずに立ち去りました。

 

瞬発的な怒りが尾を引くようであれば、一言いうべきだったと後悔していたでしょう。

 

また妻を罵倒され、笑って納められるほどの寛容さを僕は持ち合わせていません。

 

でも、結果的に何も言わなくてよかったと思っています。

 

仮に怒りをぶちまけたところで、残るのは「後味の悪さ」と見知らぬところで起きるであろう「怒りの連鎖」ではないでしょうか。

 

 

 もし「ごめんなさいね」と作り笑いで流せるほどの余裕があれば、僕の世界は内側からもっと居心地のいい場所となるに違いありません。

 

そんな「心のゆとり」を得るのに、何が足りないのか――。

 

悲しいかな、貧乏に怯えるいまの僕にとって、心の余裕は「感謝の気持ち」でも「心の清らかさ」でもなく、「経済的なゆとり」とつながっている気がします。

 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

40代脱サラ経験者「自由の喜び」と「会社に守られる大きさ」

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今回のプーログは「自由の身でいられる喜び」と「会社に守られる大きさ」についてまとめました。

相反するテーマですが、いずれも、2年前に会社を離職した僕が「最近」感じたことです。

 

家族と過ごす夏の夕暮れ

改めまして、プーです。

 

昨日、雷をともなう大雨が僕の住む町に降り、娘が通う小学校の留守家庭児童会から「おりをみてお嬢さんを迎えにきてほしい」との連絡が入りました。

 

安全上の措置ということですが、これはイクメン気取りの僕にとって、イベントめいたうれしい要請です。

 

車で通勤している妻の帰りを待って、夫婦そろって迎えに行くことに。

 

必要以上に心がウキウキするのは、媚びを売ってでも、ずっと娘と仲良しでいたいから。

 

そんな「極☆親バカ」の気持ちを悟ってか、児童会建屋から出てきた娘は、嬉しそうに僕のもとに駆け寄り、照れ隠しに水筒をグルグル振り回していました。

 

妻の待つ愛車に向かう途中、すれ違ったのは、同じように我が子を迎えにきた若い男性です。

 

「時代は変わったな」

 

見上げた空にもう雨はなく、雲の隙間からは夕日が顔をのぞかせていました。

 

「きれいだね」と目を細める僕に対し、「うわ、お尻の穴みたい!」とせっかくのムードを台無しにする娘。

 

ささやかながらも、かけがえのない幸せをかみしめる夏の夕暮れ――。

 

こうした時間の積み重ねこそが、悩み、苦しんだ末、勇気を振り絞って会社を辞めて得た僕の財産です。

 

ただ、その代償は決して小さなものではありませんでした。

 

 

最悪の2カ月

前回のお知らせ通り、僕はこの7月、近道しようとして高いところから飛び降り、背骨を折る重症を負ってしまいました。

 

精神年齢の低さばかりではなく、加齢の問題もあったのでしょう。

 

最初の1週間は寝たきりに近い状態で、あまりの惨めさとおのれの馬鹿さ加減に精神的に参ってしまいました。

 

優先すべきは「早期回復への努力」ということで、とにかく動かずに横になっていた格好です。

 

収益源にしている「神社仏閣ブログ」もこのプーログも、半ばほったらかしに。

 

  • 歩くのも駄目
  • 立つのも駄目
  • 座るのも駄目

 

原因が原因だけに、誰も優しくはしてくれません。

 

事の重大さを解せぬ下の息子は、布団のなかにうずくまる父に向かって「ダイビング・ボディ・プレス」を仕掛けてくる始末。

 

親には「屋根から落ちた」と嘘をつきました。

 

もはや40過ぎたオジサンのやることとは思えません。

 

 

 相棒との別れ

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近所のゲームショップで買ったPSVitaの中古ソフトも、深手を負う僕に対し、一切手加減なしです。

 

小1時間にわたる連戦連敗に怒髪天をつき、ザリガニのように小さなオツムが大噴火を起こします。

 

「108円の安物のくせに!」

 

怒りに任せて布団から投げ捨てたPSVitaの本体は打ち所が悪く、「パチッ」という軽い音とともに再起不能になりました。

 

長年連れ添った相棒との突然の別れにべそをかいても、後の祭りです。

 

 

脱サラ40男に次々と降りかかる災い。

 

ひょっとして、何かのバチなのか

 

否、すべて自分に原因があるのははっきりしています。 

 

会社に戻りたいとは思わぬまでも、離職後初めて「会社を辞めなければよかった」と少し後悔しました。

 

 

組織の保護

安定した収入を捨て、約束された老後を反故にし、年老いた両親の期待に背いて、僕は自由な時間を手に入れましたが、これと同時に「組織の保護」も失いました。

 

在職中、僕はとても珍しい病気にかかり、1カ月ほど仕事を休んだ経験がありますが、このときも「サラリーマンで本当によかった」と思いました。

 

ほかにも、仕事の都合上、飲めないお酒を無理矢理飲んだ影響からか、ウィルス性の急性肝炎を患い、1カ月ほど戦線離脱する羽目になったこともあります。

 

所属の取材チームは普通に成り立っていたので、僕自身、あまり大した存在ではなかったのかもしれません。

 

そんなお荷物の僕ですら、会社は給料を支払い、ボーナスまで支給し、生活への安心を届けてくれました。

 

まあ、過労やストレスがそもそもの原因だったといえなくもありませんが、いずれにしても、全治2か月の重傷を負った無職の人間を救う公的な制度は、日本にはありません

 

 

価値観のギャップ

そんな甘い会社の手厚い保護が、家族を守る者にとっていかに貴重なものかは、言うまでもないでしょう。

 

ひるがえって、暮れゆく西の空に娘とみつけた「お尻の穴」は、この飴玉に見合うだけの代物なのでしょうか。

 

このワンシーン、僕にとっては確かに「自分が生きた証」そのものです。

 

それでも、人によっては「何の値打ちも持たぬもの」となるに違いありません。

 

 

何が大切か 決めるのは自分

今回の一件で、自分の行動に責任を持つ大切さを痛感させられた僕ですが、この先、また「会社を辞めなければよかった」と思う日がくるかもしれません。

 

ただ僕にはもう、退路もしがみつく場所もありません。

 

残されているのは、幾筋かの前に進む道です。

 

自分が一度下した大きな決断において、「後悔」は何の意味も持たないどころか、邪魔になるばかり。

 

必然的に「反省」も生まれません。

 

これこそが「僕が責任を持って選んだ道」というわけです。

 

まあ、人生どうにかなるでしょうし。

  

結局のところ、「何が大切か」を決めるは自分であり、「生き方」を決めるのもまた、自分なのだと思います。

 

長々と書きましたが、今回はこれが言いたかっただけかもしれません。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

脱サラ40代妻子持ち【背骨を折る絶体絶命のピンチ】そして大人に…

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家族持ちの身でありながら、2年ほど前におもむろに会社を辞めた僕ですが、本当に人生に山あり谷ありです。

 

ブログなどの執筆活動でようやく収入増への光が見え始めた矢先、いま思えば考えられないほど子供じみた軽率な振る舞いで、「背骨」を折ってしまいました…。

 

悪い展開が続くと、もうロクなことがありません。

 

卑屈な思考が悪循環を生み、これまで積み上げてきた「努力の結晶」も、砂山のようにさらさらと崩れていきます。

 

振り返ると、けがや病気は人に自慢できるほどたくさん経験してきました。

 

骨折や靱帯断絶はまだ軽い方で、サッカーボールごと蹴られて腎臓が傷ついたり、200万人に1人の割合で発症する奇病を患ったり、はしかに2度もかかったり――。

 

そんな僕でも、腰の骨まで折るとは想像だにできませんでした。

 

それも、脱サラした妻子持ちの立場で…。

 

 

細り続ける収入に反比例し、肥大化していく腹回りの脂肪も厄介です。

 

プーではなく、もはやブーです。

 

今回は、僕を絶望の淵へと突き落とした2か月前の出来事をご報告いたします。

 

 

中古車屋さんで

ときは7月上旬、事故が起きた場所は、愛車の無料点検を受けるために一家で訪ねた町の中古車屋さん――。

 

「点検には1時間ほどかかかるそうだから、隣のショッピングモールで時間をつぶそう」。

 

そんな僕の提案に、家族は誰も耳を貸しません。

 

2人の我が子は、おもちゃが散乱するキッズスペースから出ようとせず、妻も「面倒だ」と知らん顔。

 

スマホに視線を落としたまま、銅像のように動きません。

 

ちょっと意固地になった僕は、隣のショッピングモールで一人「ウインドウショッピング」と洒落込むことにしました。

 

いざ一人で慣れないところに足を踏み入れると、何をしていいか分からないものです。

 

家電量販店でマッサージチェアに座り、ステーキの食品サンプルに微笑みかけ、UFOキャッチャーに大金をつぎ込むカップルを温かく見守るなど、無意味な時間を過ごします。

 

いい加減、一人でいるのも馬鹿らしくなり、中古車屋さんに戻ろうとしたところで、魔が差しました。

 

 

DIVE

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ショッピングモールの自動ドアを出て、最初に僕の視界に飛び込んできたのは、モールと中古車屋さんとの間に連なるフェンス。

 

よくみると、この境界線上には一部フェンスのない空白地帯があります。

 

中古車屋さんに戻る「正規のルート」は、フェンスに沿ってぐるっと回り込み、歩いて5分ほどの道のりになります。

 

フェンスのない空間からショートカットすれば、中古車屋さんには1秒で到着する計算です。

 

ただ問題なのは、この場所が「絶壁」になっている点。

 

ショートカットを試みる場合、背丈ほどの高さのところから、飛び降りねばなりません。

 

それは運動不足の40男が挑戦して、無事で済むはずのない高さです。

 

 

勇気の証明

僕はまだ小学生だったころ、自分の勇気を試す手段を2つ持っていました。

 

ひとつは、一人でお化け屋敷に入ること。

 

そしてもう一つが「高いところから飛び降りる行為」でした。

 

家の屋根からジャンプしたときは、己(おのれ)の恐怖心に勝った気がしたものです。

 

 

これは、当時週刊少年ジャンプで連載していた本宮ひろ志さんの作品「ばくだん」という漫画の影響です。

 

主人公の少年が崖から飛び降りる雄姿に、当時の僕は魅せられました。

 

それは、中層マンションと同じくらいの高さの崖から飛び降り、木造船の甲板を突き破って着地する一コマでした。

 

ちなみに、体重60㎏の人間が落下した時にかかる衝撃は、1mの高さでも1.5tに及ぶそうです。

 

Gをすべて背骨で受け止める

若かりし頃の感覚そのままに、僕は若干ためらいつつも、思い切ってダイブしました。

 

落下中、制御不能の感覚を味わったのは今回が初めてです。

 

これは明らかに「加齢による影響」です。

 

少し前のめりに着地して手をつこうにも、体がまったく動きません。

 

一本の矢のように、鋭く大地を目指します。

 

 

「ドスン」

 

 

手もお尻もつかず、屈んだ姿勢のまま両足で着地しました。

 

落下の衝撃は膝のクッションでは吸収しきれず、すべて背骨に集中する格好に。

 

鉛のミートボールのような姿で、一人、じっと動けずにいます。

 

まだ痛みは襲ってこないものの、腰の異変は明らかです。

 

「やってしまった」

 

後悔するも後の祭りです。

 

 

ダメージの程度

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こうなると、気になるのはダメージの程度です。

 

何より、丸く動かぬ父の姿を我が子にさらすわけにはいきません

 

そう思い、恐る恐る立ち上がると、明らかな違和感が背中を通り抜けていきました。

 

ただ、体をひねったり、屈んだりする動作は、本能がストップをかけて許してくれず、ダメージの大きさはこの時点で未知数です。

 

そこで仕方なく、ペンギンのような直立の姿勢で家族のもとに戻りました。

 

 

妻の反応

よちよち歩きで中古車屋さんのカウンターにたどり着いた僕。

 

妻はけげんそうな面持ちで、こう言いました。

 

「何してるの?」

 

旦那の人生そのものを否定する深い一言でしたが、こちらとしては妻のお説教どころではありません。

 

簡単に事情を説明しつつ、目の前の丸椅子に腰を掛けたとたん、この日初めて腰が悲鳴をあげました。

 

「あっ…」

 

情けない声を出しながら、僕はこのとき初めて、いろんなことを後悔しました。

 

 

整形外科で

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当日駆け込んだ病院の対応が余りにも適当だったため、翌朝、あらためて僕は整形外科に足を運び、レントゲンをとってもらったところ、「第四腰椎の圧迫骨折」と診断され、「全治2か月の重症」と宣告されました。

 

胸まである頑丈なコルセットを巻いて、この先2か月、直立不動の体勢で生活していかねばなりません。

 

コルセットは3万円近くするオーダーメイドで、銅と亜鉛の合金でできた平板が縦に8本通された代物です。

 

ヘルニアにあえぐ名倉潤さんほどではないにせよ、僕は体の自由を奪われ、精神的に参ってしまいました。

 

そこに、神社仏閣系のブログの不調が重なり…。

 

「もうどうにでもしてくれ…」

 

これが2か月前の心境です。

 

 

反省の先に

どこまでも卑屈になった僕は、成功している人を妬む気持ちを起こし、離職を後悔し、お金を得るためのズルい手段を夢想したりもしました。

 

そんな「か弱い自分」がいることを思い知らされるなかで、「大人とは何か」について考えました。

 

とても40歳を過ぎたおじさんの行動とは思えませんが、せんべい布団のなかで真剣に思考を巡らせました。

 

そこで、自分なりにたどりついた一応の結論というのが「大人と子供の境目は、自分の行動に対する責任がとれるかどうか」という点でした。

 

いわずもがな、限りある時間のなかで人は何をするにも「自由」です。

 

成功しようが、失敗しようが、けなされようが、ほめられようが、自分の行動に責任を持ち、その結果を受け止めることが「大人の心構え」なのではないでしょうか。

 

 

 

大人というのは、社会の規制を受ける存在というより、すべての責任を負う限りでもっとも自由な立場なのではないか。

 

結果がどうであれ、まわりの評価がどうであれ、最後に笑って死ねる人こそが、人生の勝者ではないか。

 

 

そう感じたときに、びっくりするほど気持ちが軽くなりました。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。