プーログ

ジャーナリストから転身 40代妻子持ちが自由な生き方を提案

大人の常識は子供の非常識【40代妻子持ち脱サラ男】子育ての視点

 

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「大人の常識」を子供に押し付けることなかれ――。

 

「ありのままに世界を見る力」というのは、ある意味で、先入観のない子供だけが持つ「期間限定の特殊能力」といえるかもしれません。

 

最近、娘の宿題を通じて痛感させられたことです。

 

無秩序でとりとめのない子供の感性をむやみに奪う行為は、「実は子供を理解しようとしない、大人の怠慢なのではないか」とさえ思うようになりました。

 

今回のプーログは、そんな話題です。

 

 

買い物の宿題で

先週、小学校3年生の娘が「お店で買い物をする」という宿題を持って帰ってきました。

 

商品のレシートと一緒に、「気づいたこと」「感じたこと」をプリントに書いて提出するといった内容です。

 

ちょうど玉子を切らしていたので、半分遊びがてら、僕ら一家は隣町の大型スーパーまで足を延ばし、この宿題に協力することに。

 

 

妻:「じゃあ、10個パックの玉子を探して買ってくれる?」

 

娘:「うん、わかった」

 

 

近所の駄菓子屋さんの常連で、すでに何度も「おつかい」を経験している娘からすれば、この程度の宿題、造作もないはずです。

 

図らずも、隣町のスーパーは「無人レジ」を採用する数少ない店舗のひとつでした。

 

この宿題をこなすには、「とてもおいしいシチュエーション」といえそう。

 

「気づいたことを書く」という点では、もはや「無人レジ」一択だからです。

 

 

さて、娘はきちんとそこを理解し、「正解」を提出することができたのでしょうか。

 

お店を出たところ、さっそく宿題の「答え合わせ」をしました。

 

 

的外れの指摘に困惑

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僕:「ねえねえ、いつものスーパーとはちょっと違ったね」

 

娘:「うん、凄い広かった」

 

僕:「え、レジについてはどんな風に思った?」

 

娘:「たくさん並んでた!」

 

僕:「…」

 

 

娘はもうすぐ9歳です。

 

僕と娘の歯がゆいやり取りに業を煮やし、妻もこの問答に参戦してきます。

 

 

妻:「いや、もっと決定的に違うところがあったでしょ!?」

 

娘:「え?ああ、レジにボタンがなかったね」

 

妻:「キィー!」

 

 

無人」というキーワードに固執する両親の期待にこたえられず、娘の顔色はみるみる曇りはじめました。

 

 

子供がみている世界

目に映るものに「正解の意味」を見つけるのは、先入観の塊である大人の目線です。

 

これは、人間が社会のなかで生きていく以上、必要不可欠なセンスといえるのでしょうが、自分が何をどう感じるかは、他人が決めることではありません。

 

ましてや、「気づいたいこと」「感じたこと」を評価するなど、ナンセンス以外の何物でもないように思います。

 

「違う」

「駄目」

「そこじゃない」

 

こんなことを平気で言ってしまうのが、僕のような「親」という生き物です。

 

子供を大人に近づけようとするばかりではなく、大人が子供の世界に近づく努力もときには必要なのではないでしょうか。

 

「教育」という大義名分を振りかざしてばかりいると、子供もいつか「下らない大人」になりかねません。

 

事実、大人の顔色をうかがって書いた子供の感想文ほど、つまらないものはありません。

 

そこに「自分」がないからです。

 

あるのは「子供なりの打算」に過ぎません。

 

 

まあ僕のような「ダメな大人」になるよりずっとマシかもしれませんが、日本をとても窮屈にしている原因は、案外、同調のなかに安心感を見いだす「教育の形」にあるのかもしれません。

 

 優れたアイデアをつぶしてしまう保守的な会社組織のなかでも、これによく似た構図がみられますが、きっと源流は同じです。

 

 

読み解きづらい「感じ方」

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みえる景色を「意味」の中に閉じ込めてしまう大人に対し、ビジュアルとしての印象を大雑把に捉えるのが子供。

 

大人になってしまうと、いい意味でも悪い意味でも、これができなくなってしまいます。

 

 

「常識の押しつけ」を反省した僕は、お風呂に入った後、机に向かう娘にあらためてこう伝えました。

 

 

僕:「さっきはごめん。一切何も気にせずに、何でもいいから、買い物をして一番強く感じたことを書いてごらん」。

 

娘:「うん、わかった!」

 

 

3分後、出てきたのがこの答え。

 

 

「玉子のある場所が思ったところになくて、笑えました」

 

 

僕:「…え、ナニコレ?」

 

娘:「玉子を売っているところがなかなか見つからなくて。(売り場が)パッと出てきたときに、びっくりしたような感じ。笑えるでしょ」

 

僕:「う、うーん…」

 

 

思いがけない「事実」

笑えました」といわれても、イマイチ意味が理解できません。

 

仕方がないので、僕は娘がみた景色に少しでも近づこうと、「玉子売り場」をググってみることに。

 

すると、意外なヒントが浮かび上がってきました。

 

 

生活必需品といえる玉子の売り場は、あえて「奥まった場所」や「分かりにくいところ」に設けられているそうです。

 

これは、玉子売り場にたどり着くまでの間、「より多くの商品も見てもらうための仕掛け」なのだとか。

 

娘の書いた感想文は、「とても分かりにくく、意外なところにある玉子売り場」の実態を見抜いた内容だったわけです。

 

 結局のところ、この発見ですら「大人目線での評価」ということになるのでしょうが、否定よりも肯定のなかでこそ、個性を持った子供の感性は磨かれていくに違いありません。

 

表現力うんぬんを考えるのは、きっとそのあとです。

 

僕は大いに反省し、嫌がる娘を力いっぱい抱きしめました。 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。