プーログ

ジャーナリストから転身 40代妻子持ちが自由に生きてみた

連載㉖40代妻子持ちが脱サラ生活へ 中国ビジネスでの大失敗(2)

この連載は2017年に脱サラして無職になった僕の歩みをまとめています。この体験談はリアルタイムにまだ追いついていません。

脱サラして無職になった僕が生きる道を見出そうとした店舗は悪質な犯罪行為を受けて潰されてしまった

中国人セラーからの脅迫文が届いた翌日、他の出品者からも同様の「脅し」を受けた。

 

こちらの方がまだ理路整然としたクレームだったのだが、相手の素性を調べていると、また中国系セラーだった。

 

同様にAmazonのテクニカルサポートに連絡を入れると、むしろ相手の方に「注意喚起する」と頼もしい返事が頂けた。

 

ひとまず妻も、取り合わない方向で販売を続けることにしたのだが、ここからが、僕たち一家にとっての試練の始まりとなった。

 

Amazonによる注意喚起はまるで役に立たず、僕のセラーセントラルには、連日のように赤い旗が立った。

 

ついに、最も恐れていた顧客からのクレームが入り、Amazonから至急対処するよう、通告が届いたのだ。

 

そして、商品の販売を止められてしまった。

 

 

中国人セラーの嫌がらせ Amazonビジネスの穴

Amazonは「カスタマーファースト」という理念のもとに、顧客を全面的に保護する立場をとっており、こうなると、手のひらを反すように、どこまでもセラーに冷たい態度に変わる。

 

初めてついた評価は「1」。

 

しかも販売された商品は、返品されているらしい。

 

アカウントに傷がつきまくると、「カート」の獲得もおぼつかず、最悪の場合は永遠にAmazonでの販売権利をはく奪されてしまうのだ。

 

「アカウント停止」という、世にも恐ろしい仕打ちだ。

 

緊張で口が乾く。

 

恐る恐る、クレームの内容を確かめてみた僕と妻は、その文面に驚愕した。

 

「違う商品きた。破れていたなぜか。これは人は駄目で、はじめてひどい」

 

明らかに無茶苦茶な日本語だ。

 

すぐにピンときた。

 

中国人セラーの仲間が顧客になりすまし、悪質な嫌がらせを始めたのだ。

 

 

「なりすまし客」評価1の攻撃 追い込まれる“脱サラ店舗” 

なりすましの客による嫌がらせにAmazonも打つ手がない。僕は再び無職の身に戻った

連日のように続く「なりすまし客」からのクレームと返品――。

 

評価がマイナスにまで下がり、もはや「カート」も獲得できず、売り上げも完全にストップしてしまった。

 

カスタマーサポートに対応を求めても、「打つ手がない」のが実情だった。

 

挙句の果てには、「相乗りするから悪い」と言わんばかりにこちらを責める担当者まで出る始末だ。

 

相乗りは値下げ競争を促す仕組みとして、Amazonが決めたルールであるはずなのに…。

 

「写真と異なる商品が届いた」というクレームには、いくら状況証拠を示したところで、Amazonからは「罪人扱い」された。

 

もちろん、違う商品が届いたという事実など一切ないのだが、「こちらの品質管理に問題がある」として、再発防止策まで提出されられる羽目になった。

 

これに応じねば、アカウント停止措置も辞さないというのだ。

 

ただある意味で、最初に迎えた試練は、長い目で見ると最高の勉強材料にもなる。

 

僕は、いきなり最悪の事態に直面したことで、「防衛策の必要性」を痛感することができたのだ。

 

連日、セラーセントラルとのやり取りを経て、なりすましのクレームを消すことができ、逆に中国人セラ―の仲間と思われる人物のアカウントは抹消された。

 

 

Amazon撤退 再び無職に

ところが「違う商品が届いた」というクレームに関しては、いくら資料を提出したところで、最後まで、こちらの言い分が認められることはなかった。

 

このまま嫌がらせが続けば、本当にアカウントを抹消されてしまう。

 

一カ月弱で半数以上の商品は売却できたものの、マイナス評価のセラーからモノを購入する酔狂な顧客はいない。

 

かくして、僕ら一家が希望を託した最初の店舗は、中国人セラーによる悪質な嫌がらせによって、事実上、つぶされてしまったのだ。

 

僕は精神的に参ってしまった。

 

防衛策を講じるにも、一人ですべてを行うにも、限界があるのだ。

 

僕はアカウント停止を食らう前に、一から出直すことにした。

 

この時ばかりは、さすがの僕もひどく落ち込んだ。

無職の体験談 厳しい現実と卑屈な気持ちに「生きる価値」を見失う人へ

両親が冷たくなるのはもはや無職体験談のあるある話だ

無職の体験談をつづるサイトを見ていると、悲惨な状況を強調する内容ばかりが目立ちます。

 

正確な情報提供というより、何か別の意図が読み取れるものも少なくありません。

 

とはいえ、家庭持ちの場合、本当に惨めな思いをしている人が多いのも事実です。

 

・家族に冷たくされた

 

・世間に後ろ指をさされた

 

・友人に馬鹿にされた

 

・再就職先が決まらず卑屈になっていった

 

・会社勤めのありがたさが身に染みてわかった

 

・自分に生きる価値がないと感じた

 

こうして字にしてみると、身につまされる思いがします…。

 

ただ、「無職の者に生きる価値がない」というのは完全な誤りです。

 

無職を責め立てる人も、責め立てられて自分を見失う人も、単に近視眼的になっているだけです。

 

そんな自己嫌悪はまったくもって、不要です。

 

大丈夫です。

 

周囲も自分も、恐怖と古い常識に飲み込まれて「大切なもの」が見えなくなっているだけです。

 

社会の空気や複雑な構造はちょっと横に置いておき、物事をシンプルに捉えると「本当に大切なのは何か」が単純明快にみえてきます。

 

むしろ、本当に注意すべきは無職の立場の居心地が良くなってしまうことです。

 

無職というのは、早起とも満員電車ともスーツとも無縁となり、とても楽なのです。

 

バイトと妻の収入で何とかなってしまう分、「怠慢地獄」に陥りかねません。

 

こうなると、全てが面倒になり、なかなか脱するのが難しくなるものと思われます。

 

今回は、40代妻子持ちである僕の体験談を含めて、そのあたりを解説してまいります。

 

 

 

肩身の狭い無職の立場

脱サラ後、いったん無職の身になると、肩身の狭い思いをすることも少なくありません。

 

いまだに母は僕を罪人のように扱います。

 

娘とうまい棒の取り合いをしているだけで、「あんたに食べる権利はない」とすごい剣幕で叱られたりもします。

 

別に子どもとジャレているだけなのですが、駄菓子を食べる権利がはく奪されるのも妙な気持ちです。

 

家族の将来を顧みず、無責任に仕事を辞めて、へらへらしているのが許せないのでしょう。

 

ただ、家族の幸せそうな姿に怒りがこみあげてくるなんて、どう考えても異常です。

 

もっとも「孫のことを思うと」という理屈なのでしょうが、「仕事を続けていれば明るい未来が保証される」などということは、絶対にありえないのです。

 

この手の怒りは、「思い込み」や「思考放棄」からくる不安の産物に過ぎません。

 

そして、いまだに根絶されない古い社会常識の一部ともいえます。 

 

 

甘いリスク計算

人はリスクに対してとても寛容な生き物です。

 

株の「損切り」ができない心理と同じです。

 

・苦しくても乗り切れるだろう。

・何とか頑張ってくれるだろう。

 

残念ながら、日本の自殺死亡率は世界でワースト6位に位置します。

 

そんな事実を知ったところで、「うちは大丈夫」と高を括るに違いありません。

 

それは、リスクに寛容というより、むしろ、心や体が壊れる直前まで人を酷使しようとする、第三者のエゴです。

 

経済を優先するための「少しの犠牲」も、家族にとっては「すべて」であることを、忘れてしまっているのです。

 

 

「人の価値」と「社会的価値」

僕たちみたいな無職の人間は、古い世間の目から見ると、どうやら「社会的価値」が低いところに組み込まれているようです。

 

ただし、あくまでもバイアスのかかった人からみた「社会的価値」です。

 

いずれにしても、「人が生きる価値」ではないわけです。

 

「社会的価値」と「人が生きる価値」、どちらが重いのか。

 

無職の身を責める人も、卑屈になる人も、図式にすると、こういうことになっています。

 

社会的価値>生きる価値

 

つまり、「宝」と「宝箱」の値打ちが逆転しているわけです。

  

いわずもがな、人にとって、生きることが価値そのものなのです。

 

社会的価値なんて、その器に過ぎません。 

 

 

人生はプロセス

とはいえ、無職でいると、焦りや恐怖はなかなか消えないかもしれません。

 

「お金がほしい」

「安定したい」

「安心させたい」

 

退職金が底をついた僕だってそうです。

 

ただ、忘れてならないのは、人生はプロセスということです。

 

人は自由です。

 

どう生きようが、何をしようが、罰せられることはあっても、真に誰にも止める権利はないのです。

 

未来に続く道は無数に用意されています。

 

足かせのない人にとって、どれを選ぶかは完全に自由です。

 

ももクロの追っかけに命を懸けるもよし。

 

キャンピングカーで日本をめぐる夢を追うもよし。

 

海外に移住するもよし。

 

農家になるもよし。

 

在宅ビジネスで生計を立てるもよし。

 

決してはき違えてはいけません。

 

食べていくために生きるのではなく、生きるために食べていくのです。

 

お金も生きるための目的ではなく、手段というわけです。

 

ありたい自己の姿を描く「夢の形」が、人生の昇るべき階段を示してくれるはずです。

 

 

注すべきは怠慢地獄

無職の本当の敵は怠け癖。気持ちよく沈んでもいいが再浮上できる程度に沈むのが得策

ただ無職も慣れてしまうと、 余りの楽さに行動力が鈍ってきます。

 

僕も一度、足をはまらせそうになりましたが、パチンコの犯行現場を義理の母に押さえられ、窮地を脱した経験があります(詳しくはこちら)。

 

無職の快適さになれると「社会から隔絶されたぬるいお風呂」から出られない状態になります。 

 

昼まで寝ていようが、一日中ゲームをしようが、漫画を読もうが、DVDを見ようが、誰にも叱られない。

 

自己管理ができなくなれば、もう終わりです。

 

物事を先送りする癖がついている人は、注意が必要です。

 

とはいえ、自己嫌悪に陥る必要はありません。

 

別に、いろんなことから逃げてもいいんです。

 

人間なんてみんな弱いんです。

 

むしろ、逃げることをきちんと認めるべきです。

 

そのうえで「あんまり逃げないように努める」のが、妥当な線だと思います。

 

「軽蔑されながら一生ダラダラ家で過ごす刑」は、地獄に違いありません。

 

そうした意味で、無職にとっての真の敵は、おのれの卑屈な気持ちでなく、だらしなさを呼ぶ心なのかもしれませんね。

 

 

まとめ

  • 無職の子を持つ一般的な親は冷たい態度をとる
  • 偏見はしあわせの本質を曇らせる
  • 幸せの形が見極められるのは自分自身だけ
  • 人が生きる価値>人の社会的価値
  • 人にあるのは権利のみ
  • 食べていくために生きるのではなく、生きるために食べていくのが正解
  • 逃げる行為を素直に受け入れ、あまり逃げないように努めるのがポイント
  • 怠慢地獄こそ真の敵

 

いかがでしたでしょうか。

 

体験者ならではの理解をもとに、まとめたつもりです。

 

決して自己弁護ではありません。

 

無職の方は、お互い頑張りましょう…。

 

長文をお読みいただき、ありがとうございました。

連載㉕40代妻子持ちが脱サラ生活へ 中国ビジネスでの大失敗(1)

連載では僕が会社を辞めてからの体験をつづっています。現時点でリアルタイムに追いついていません。

Amazonでの大失敗を経験した僕ら一家

Sに習った通り、中国の仲介者「Iさん」経由でAmazonに商品を収め、販売を開始した。

 

当時の僕に代わって妻が手掛けたのは、既存の商品ページで他のセラーと競いながらモノを売る、いわゆる「相乗り」という方法だ。

 

Amazonは、同じ商品を複数人のセラーに販売させることで、価格競争を起こさせるシステムを採用している。

 

大まかに言ってしまえば、最も安値で提供するセラーの商品が「ページ上の一番有利な位置」に表示されるしくみだ。

 

この有利な位置というのが、商品ページの右上にある「カートに入れる」というボタンにほかならない。

 

他のセラーは、「こちらからもご購入いただけます」と隅っこの方に追いやられてしまう。

 

妻はメールでIさんとやりとりし、20万円程度の仕入れを行ったのがだ、最初にここで躓いた。

 

国際送料の計算ミスだ。

 

 

痛恨のミスも「序章」に過ぎず…

国際送料は重量で決まるのだが、実重量のほかに「容積重量」という聞きなれない基準がある。

 

ざっくりというと、大きさを重量に換算するもので、物流の世界では、実重量と容積重量のいずれか重い方を採用しているのだ。

 

そんな基本すら知らなかった僕らは、比較的大きな商品を仕入れたのだが、その国際送料がとてつもなく高くついたのだ。

 

利益が吹っ飛ぶぐらいの水準で、想定よりも10万円ほど高い。

 

こともあろうに、僕はIさんのピンハネを疑ったのだが、幸い、まだ仮払いした商品代金以外、入金していない。

 

妻に対応を迫られたIさんは、輸送業者に掛け合って、大幅値引きに成功した。

 

ようやく利益はトントンといったところに落ち着いた。

 

 

Amazonの販売力

そんな「すったもんだ」の末に、いざ、販売が開始されると、Sの言ってた通り、モノが飛ぶように売れるではないか!

 

初日から、いきなり10万円の売り上げが上がった。

 

モノがどの程度売れるのかは、Google拡張機能を少し追加するだけで、ある程度読めるのだが、まさににデータ通りだった。

 

なんというお手軽さだ。

 

すべてが手作業となるメルカリと違って、Amazonの販売力はすさまじい。

 

3000円を超える商品がどんどん捌けていく。

 

まるで学校に面した場所にあるコンビニのようだ。

 

「なんとかなりそうだ」

 

僕も妻も、そう思った。

 

 

不吉な赤い旗 競合相手からのクレーム

ところが翌日、「重要なお知らせ」がセラーセントラルに届いていた

 

僕の脳裏に、とてつもない嫌な予感がよぎった。

 

「セラーセントラル」というのは、販売する商品の登録、価格設定、納品などを行う機能を備えたいわば中央制御室で、売り上げの実績、在庫数などの必要情報の登録、閲覧ができる。

 

そのセラーセントラル左上に赤い旗印が立っていて、緊急事態を彷彿させる物々しい雰囲気を漂わせている。

 

「なんだろう」

 

これをクリックした妻の顔面が蒼白になった。

 

それは、同業他社からのクレームだった。

 

相手は競合の中国人セラーだ。

 

たどたどしい日本語で、アカウント停止のリスクをちらつかせながら、「権利侵害」を訴えている。

 

もはや脅迫文に近い。

 

すぐに事実確認を行うべく、Amazonテクニカルサポートに問い合わせた。

 

連載㉖に続く。

【体験談】家族に負担と迷惑をかける「脱サラ」 夫婦仲の不和の原因は別?

脱サラすると家族に迷惑がかかるのは確か。その後は信頼関係が肝になる

脱サラすると、家族や職場に迷惑がかかるかもしれない――。

 

こんにちは。

 

40代家庭持ちの立場でありながら、突然会社を辞めてしまったプーです。

 

僕のようないい加減な男と違って、「周囲に迷惑をかけたくない」と脱サラに二の足を踏む人は少なくありません。

 

結論からいえば、脱サラすると確かに家族や職場に迷惑がかかります。

 

恨む人も出てきます。

 

職場は貴重な戦力を、家庭は確たる収入源を失うわけですから、当然です。

 

ただ、とても無責任な言い方ですが、職場に対する後ろめたさは時間が経つにつれて消滅していきます。

 

何より、職場のキーマンが一人抜けたところで、仕事の質が多少下がる程度で、実は何とかなります。

 

詳細は割愛しますが、組織の欠員は必然的にどうにかなるものです。

 

むしろ問題は家族への「迷惑」と「負担」です。

 

こちらは収入が得られるまで、ずっと続きます。

 

稼ぎのない旦那に妻の態度はどんどん冷たくなっていくかもしれません。

 

妻に同情票が集まり、一段と孤立した立場に追い込まれる可能性もあります。

 

ダメ男の烙印が押されるかもしれません。

 

もしそんな窮地に立たされた場合、どうすればいいか。

 

僕は、これまで以上に自分を大切にするべきだと思います。

 

なぜか。

 

「共倒れ」になるからです。

 

むしろ怖がらず、もっと迷惑をかける覚悟を持つべきです。

 

何より、夫婦仲が険悪になるのは、きっと脱サラが「原因」ではありません。

 

今回はその理由を解説してまいります。

 

肩身の狭い脱サラ

脱サラすると、基本的に肩身の狭い思いをします。

 

ともすると、僕のような40代での退職は「ドロップアウト」に映るかもしれません。

 

ただ、脱サラを夢みる圧倒的多数の人が行動に移さないのは、リスクを負うのが怖いからではないでしょうか。

 

まずこの恐怖を克服しなければ、脱サラは叶いません。

 

むしろ、そんな恐怖に打ち勝った人に、僕は賞賛を贈りたいと思います。

 

ただし、脱サラ後は「お金にまつわる恐怖」と「焦り」につきまとわれます。

(詳細はこちらの記事に)

 

そして、勇気が試されるシチュエーションは、脱サラ後もまだまだ続きます。

 

 

一年足らずで消し飛んだ退職金

f:id:ueaki:20180305163706j:plain

仕事を辞められない理由として、「どうしても家族を巻き込んでしまう」点も大きいところです。

 

脱サラしないのは「家族のため」というわけです。

 

実際、学費も習い事や塾の月謝も必要になる中で、お金は容赦なく減り続けます。

 

税金も年金も健康保険も、一切合切、全部自分で払わなければなりません。

 

僕の場合、昨年は退職した年ということもあり、税金、社会保険、健康保険などの支払いに120万円ほどかかりました。

 

確定申告の申請書を作る過程で、目をそむけたくなるような、かくも恐ろしい事実が明らかになったわけです。

 

これではまるで、税金や社会保険料を支払うために妻がパートに出ているようなものです。

 

あれだけあった退職金も、1年足らずで消し飛んでしまいました…。

  

いずれにしても、脱サラ男の貯えというのは、噴水のように勢いよく放出されていきます。

 

 

夫婦仲の不和

一年ほど様子見した後、貯金の底が見えてくると、夫婦仲も険悪になってくるというのがセオリーです。

 

・夢より生活費を

・好きな仕事探しより収入源の確保が先決

・定職についてほしい

 

そんな訴えが奥さんの口から出てくるかもしれません。

 

仮に、こうした要望が出てこなくても、自分がそうしたくなります。

 

お金がないというのは、「家族の安全保障」にかかわる問題ですので、狼狽えること必至です。

 

ただ、萎縮が始まると、必要経費ですら渋るようになるかもしれません。

 

蛇に睨まれた蛙のように、動けなくなってしまいます。

 

お金の亡者になる人もいます。

 

正直なところ、僕もたまになりかけます。

 

そんな人は、蛇ではなく、甘い儲け話に飲み込まれます。

 

実際、驚くほど稚拙なうたい文句にはめられ、静かに沈んでいく人もいました。

 

甘い儲け話に飛びつかないためにも、冷静な目はなくすべきではありませんし、最初から高額の投資は避けるべきです。

 

むしろ、コツコツと「失敗慣れ」していくのが成功への近道だと思います。

  

 

脱サラ後の窮地

しあわせを求めて脱サラしたのに、妻との仲が険悪になり、お金もどんどん減っていって、生活不安ばかりが大きくなる――。

 

ここで元の道に引き返すと、人生改革は失敗に終わります。

 

そんな時は、初志に返りましょう。

 

誰のため、何のための人生なのか。

 

つまるところ、その答えはどこまでいっても自分自身のためです。

 

家族を守る願いも、社会奉仕の心も、ゲームに熱中する気持ちも、本心だろうが偽善だろうが、すべて「自分」の中から生まれた「自分のため」の衝動です。

 

独立への志を持つ以上、自分という中心軸だけはぶれてはいけません。

 

 

家族は運命共同体

そもそも、家族とはどんな関係なのでしょうか。

 

従業員ではありません。

 

お客さんとも違う。

 

ペットでもない。

 

もちろん、飼い主や雇い主でもありません。

 

僕にとっての家族は、運命共同体です。

 

自分の夢に惜しまぬ協力を求めてもいい相手です。

 

「譲れない一線」があれば、譲らなくてはならない対等な関係です。

 

それが、人生を共に歩む運命共同体の宿命だと僕は思います。

 

大人の夢も子どもの夢も、一緒に向き合わざるを得ないのが運命共同体です。

 

 

夫婦仲の不和は別問題

退職金がなくなったことを機に、生きる道探しは「割のいい夜勤のバイトでもやりながら」と思いはじめていました。

 

ようするに、家族にこれ以上の負担と迷惑をかけるのが怖かったわけです。

 

ところが、この提案は妻からとがめられ、当面見送る結果になりました。

 

妻は、独自で収入源を確立する夢を追うよう、背中を後押ししてくれています。

 

脱サラして貯金がなくなるのが原因で、妻との仲が険悪になる訳ではありません。

 

両者の間に信頼関係がなくなれば、仲がこじれるのです。

 

つまり、家庭不和に根差す問題は、脱サラしようがしまいが、成功しようが失敗しようが、根本的なところでは関係ないのです。

 

実際、退職金がなくなっても、我が家の絆にひびが入ることはありません。

 

だからこそ、自由の身になったといって、ゲームばかりしていてはいけないのです。

 

妻以外との不純異性交遊もご法度です。 

 

そうすると、脱サラが「きっかけ」となって、夫婦仲が険悪になる流れができてしまいます。

 

責任感を維持したまま、どこまで自分勝手になれるのか。

 

残りの貯金150万円をはたいて「中古のキャンピングカーを買いたい」と言った時は、さすがに殴られそうになりましたが、ここが脱サラ後の肝です。

 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

 

今回は、脱サラと夫婦仲の不和をテーマに執筆しました。

 

まとめは以下の通りです。

 

  • 脱サラすると家族に迷惑がかかる
  • お金が減っていく恐怖に萎縮せず、自己実現への道に集中を
  • 家族は運命共同体。個々の大切なものを守るために互いに協力し合う関係
  • 夫婦仲が険悪になるのは状況の問題ではなく関係の問題
  • 捨てるのは責任感でなく遠慮。成功するまで自分勝手なまでに信念を貫くべき

  

今後も脱サラ実践者として、成功も失敗も、すべて包み隠さずご報告してまいります。

ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

 

プーについて

こんにちは。

 

プーです。

 

2017年にブログを綴り始めてから、僕の素性や経歴について、これまであえてぼかしてきました。

 

家族のプライバシーを守るためです。

 

記者時代、担当していた業界の中ではそこそこ有名だったので、「身元がバレておかしな噂が広まるのは嫌だ」などと心配していた節もあります。

 

ただ、実際にブログをやってみてよくわかりましたが、残念ながら「杞憂」だったようです。

 

 

何より、現時点で「分かる人にはバレる」レベルで書いていることに気が付きました。

 

その一方で、筆者の素性をモヤっとさせることで、ブログ自体に「怪しさ」が醸されるのも、本意ではりません。

 

そもそも、「詐欺師になった友達」だとか「中国ビジネス」だとか、いかがわしいワードも散見されるところですので…

 

このままでは「で、お前誰やねん。怪しいのぅ」みたいなツッコミをされてしまうのも避けられません。

 

そこで妻と相談し、ほんの少しだけ僕の略歴を公開することにしました。

 

・1974年生まれ

・関西出身、二流大卒

・98年某紙入社

・11年「福島原発構内作業の写真」を世界で最初にスクープ(翌日プレス公表)

・17年脱サラ、プーに至る

 

業界を怒らせる記事をたくさん書きましたが、提灯記事も同じぐらい載せました。

スッパ抜いたのは一度きりです。

ちなみに東電担当ではありませんでした。

書き飛ばさない記者だったため、取材先からの信頼は厚かったものと思われます。

その分、誰も知らないニュースの真相をたくさん知っていました。

世の中をおかしくしているのは、巨悪の権力などではなく、保身的で浅ましいサラリーマン思考です。

記者時代に得た情報は、道義上、絶対に口外しません。

 

「そもそもお前なんかに興味ない」など悲しいことを言わず、今後ともどうかご愛顧くださいませ。

 

40代脱サラ男の悲壮 人生はガム 迷子の夢を追いかけて

夢や志のない状態は迷子になった人生といえる

40代で家庭を持つサラリーマンの場合、大方の人が重視するのは、いわゆる「人並みの生活」ではないでしょうか。

 

そこは、僕も同感です。

 

特段、勝ち組にならずとも、それなにり食っていければよしとする。

 

ただ本当は、それだけでは良くないですよね。

 

一度きりの人生において、大切なものが欠けているはずです。

 

自分のポテンシャルに合致した「しっくりくる自分」に、もう一度会いたいのではありませんか。

 

そして、そこはかとない安らぎや、歌の中にあるような「魂の躍動」を渇望されているのではないでしょうか。

 

その手ごたえこそが、「自分という命」の実感だと僕は思います。

 

その感触は、人生における「ぜいたく品」ではなく「必需品」です。

 

まだ収入源が確立できていない状況だからこそ、いまのうちに胸を張って言っていっておきます。

 

今回は少し短いですが、そのあたりの理由についてまとめました。

 

 

自分の生まれた意義は「味気ない人生」にあるのか

改めまして。

 

プーです。

 

僕は全国紙記者という立場から無計画に脱サラし、目下、しあわせな生き方を模索しています。

 

少年のような甘さと、少女のような無謀さをもって、愚かにも、いばらの道を歩いています。

 

ただ、割と充実しています。

 

会社を辞めてみてはっきりしましたが、「人並みの生活」と「自己実現への挑戦」の2つがそろわないと、人生は片手落ちになります。

 

そもそも「人並みの生活」というのがどの程度の生活水準を指しているのかは不明ですが、どちらが欠けていても駄目なんです。

 

たとえるなら、人並みの生活というのが「ガム」、夢や志は「味」です。

 

「味だけが存在する」という状態は物理的に成立しませんが、逆に「味のないガム」であっても、まったく意味がないのです。

 

そんなものは、ガムではなくゴムです。

 

ゴムをガムだと思ってあきらめていると、自分を味わうことはできません。

 

 

自己実現」こそが目的地

マズローの欲求五段階説」というのをご存知でしょうか。

 

  1. 生理的欲求
  2. 安全欲求
  3. 社会的欲求
  4. 尊厳欲求
  5. 自己実現

 

ざっくりいうと、人はこの順番で欲が生まれるという考え方ですが、少し目先を変えれば、「振り出し」と「ゴール」は最初からはっきりしていることになります。

 

①~⑤へと流されながら、欲をレベルアップさせるのではく、最初から「自己実現の形」は明確にしておくべきです。

 

理由は2つあります。

 

第一に、足元の欲に振り回されていると、人生は近視眼的になります。

 

第二に、目的地を見失ったまま歩くのは、文字通り「迷子」と同じ状態だからです。

 

ただし、刺激的な欲望や甘美な満足に惑わされず、「しっくりくる方向性」が重要かと思われます。

 

 

人はなぜ生きるのか

少し哲学的になりますが、人が生きる理由や意味を見出すのはとても難しいことです。

 

ただ、はっきりしているのは、「生きている人にしかできないことをするために」生きている点です。

 

獣には獣の生き方があります。

 

木には木の役割があります。

 

そして人は、木でも獣でもありません。

 

人に生まれたのであれば、人として生きるのが筋です。

 

そして、自分に生まれたのであれば、自分として生きるのが道です。

 

ゴムを噛んでいては、あまりにももったいない。

 

せめて、クイッククエンチにしてください。

 

ビッグワンガムでも結構です。

 

…きっと40代にしか分かりませんね。

 

Amazonを一時撤退に追い込まれ、僕はいま、とても疲れているようです。

 

馬鹿っぽく終わってすみません…。

 

(長文にお付き合いいただき、ありがとうございました)