プーログ

ジャーナリストから転身 40代妻子持ちが自由に生きてみた

連載㉕40代妻子持ちが脱サラ生活へ 中国ビジネスでの大失敗(1)

連載では僕が会社を辞めてからの体験をつづっています。現時点でリアルタイムに追いついていません。

Amazonでの大失敗を経験した僕ら一家

Sに習った通り、中国の仲介者「Iさん」経由でAmazonに商品を収め、販売を開始した。

 

当時の僕に代わって妻が手掛けたのは、既存の商品ページで他のセラーと競いながらモノを売る、いわゆる「相乗り」という方法だ。

 

Amazonは、同じ商品を複数人のセラーに販売させることで、価格競争を起こさせるシステムを採用している。

 

大まかに言ってしまえば、最も安値で提供するセラーの商品が「ページ上の一番有利な位置」に表示されるしくみだ。

 

この有利な位置というのが、商品ページの右上にある「カートに入れる」というボタンにほかならない。

 

他のセラーは、「こちらからもご購入いただけます」と隅っこの方に追いやられてしまう。

 

妻はメールでIさんとやりとりし、20万円程度の仕入れを行ったのがだ、最初にここで躓いた。

 

国際送料の計算ミスだ。

 

 

痛恨のミスも「序章」に過ぎず…

国際送料は重量で決まるのだが、実重量のほかに「容積重量」という聞きなれない基準がある。

 

ざっくりというと、大きさを重量に換算するもので、物流の世界では、実重量と容積重量のいずれか重い方を採用しているのだ。

 

そんな基本すら知らなかった僕らは、比較的大きな商品を仕入れたのだが、その国際送料がとてつもなく高くついたのだ。

 

利益が吹っ飛ぶぐらいの水準で、想定よりも10万円ほど高い。

 

こともあろうに、僕はIさんのピンハネを疑ったのだが、幸い、まだ仮払いした商品代金以外、入金していない。

 

妻に対応を迫られたIさんは、輸送業者に掛け合って、大幅値引きに成功した。

 

ようやく利益はトントンといったところに落ち着いた。

 

 

Amazonの販売力

そんな「すったもんだ」の末に、いざ、販売が開始されると、Sの言ってた通り、モノが飛ぶように売れるではないか!

 

初日から、いきなり10万円の売り上げが上がった。

 

モノがどの程度売れるのかは、Google拡張機能を少し追加するだけで、ある程度読めるのだが、まさににデータ通りだった。

 

なんというお手軽さだ。

 

すべてが手作業となるメルカリと違って、Amazonの販売力はすさまじい。

 

3000円を超える商品がどんどん捌けていく。

 

まるで学校に面した場所にあるコンビニのようだ。

 

「なんとかなりそうだ」

 

僕も妻も、そう思った。

 

 

不吉な赤い旗 競合相手からのクレーム

ところが翌日、「重要なお知らせ」がセラーセントラルに届いていた

 

僕の脳裏に、とてつもない嫌な予感がよぎった。

 

「セラーセントラル」というのは、販売する商品の登録、価格設定、納品などを行う機能を備えたいわば中央制御室で、売り上げの実績、在庫数などの必要情報の登録、閲覧ができる。

 

そのセラーセントラル左上に赤い旗印が立っていて、緊急事態を彷彿させる物々しい雰囲気を漂わせている。

 

「なんだろう」

 

これをクリックした妻の顔面が蒼白になった。

 

それは、同業他社からのクレームだった。

 

相手は競合の中国人セラーだ。

 

たどたどしい日本語で、アカウント停止のリスクをちらつかせながら、「権利侵害」を訴えている。

 

もはや脅迫文に近い。

 

すぐに事実確認を行うべく、Amazonテクニカルサポートに問い合わせた。

 

連載㉖に続く。

【体験談】家族に負担と迷惑をかける「脱サラ」 夫婦仲の不和の原因は別?

脱サラすると家族に迷惑がかかるのは確か。その後は信頼関係が肝になる

脱サラすると、家族や職場に迷惑がかかるかもしれない――。

 

こんにちは。

 

40代家庭持ちの立場でありながら、突然会社を辞めてしまったプーです。

 

僕のようないい加減な男と違って、「周囲に迷惑をかけたくない」と脱サラに二の足を踏む人は少なくありません。

 

結論からいえば、脱サラすると確かに家族や職場に迷惑がかかります。

 

恨む人も出てきます。

 

職場は貴重な戦力を、家庭は確たる収入源を失うわけですから、当然です。

 

ただ、とても無責任な言い方ですが、職場に対する後ろめたさは時間が経つにつれて消滅していきます。

 

何より、職場のキーマンが一人抜けたところで、仕事の質が多少下がる程度で、実は何とかなります。

 

詳細は割愛しますが、組織の欠員は必然的にどうにかなるものです。

 

むしろ問題は家族への「迷惑」と「負担」です。

 

こちらは収入が得られるまで、ずっと続きます。

 

稼ぎのない旦那に妻の態度はどんどん冷たくなっていくかもしれません。

 

妻に同情票が集まり、一段と孤立した立場に追い込まれる可能性もあります。

 

ダメ男の烙印が押されるかもしれません。

 

もしそんな窮地に立たされた場合、どうすればいいか。

 

僕は、これまで以上に自分を大切にするべきだと思います。

 

なぜか。

 

「共倒れ」になるからです。

 

むしろ怖がらず、もっと迷惑をかける覚悟を持つべきです。

 

何より、夫婦仲が険悪になるのは、きっと脱サラが「原因」ではありません。

 

今回はその理由を解説してまいります。

 

肩身の狭い脱サラ

脱サラすると、基本的に肩身の狭い思いをします。

 

ともすると、僕のような40代での退職は「ドロップアウト」に映るかもしれません。

 

ただ、脱サラを夢みる圧倒的多数の人が行動に移さないのは、リスクを負うのが怖いからではないでしょうか。

 

まずこの恐怖を克服しなければ、脱サラは叶いません。

 

むしろ、そんな恐怖に打ち勝った人に、僕は賞賛を贈りたいと思います。

 

ただし、脱サラ後は「お金にまつわる恐怖」と「焦り」につきまとわれます。

(詳細はこちらの記事に)

 

そして、勇気が試されるシチュエーションは、脱サラ後もまだまだ続きます。

 

 

一年足らずで消し飛んだ退職金

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仕事を辞められない理由として、「どうしても家族を巻き込んでしまう」点も大きいところです。

 

脱サラしないのは「家族のため」というわけです。

 

実際、学費も習い事や塾の月謝も必要になる中で、お金は容赦なく減り続けます。

 

税金も年金も健康保険も、一切合切、全部自分で払わなければなりません。

 

僕の場合、昨年は退職した年ということもあり、税金、社会保険、健康保険などの支払いに120万円ほどかかりました。

 

確定申告の申請書を作る過程で、目をそむけたくなるような、かくも恐ろしい事実が明らかになったわけです。

 

これではまるで、税金や社会保険料を支払うために妻がパートに出ているようなものです。

 

あれだけあった退職金も、1年足らずで消し飛んでしまいました…。

  

いずれにしても、脱サラ男の貯えというのは、噴水のように勢いよく放出されていきます。

 

 

夫婦仲の不和

一年ほど様子見した後、貯金の底が見えてくると、夫婦仲も険悪になってくるというのがセオリーです。

 

・夢より生活費を

・好きな仕事探しより収入源の確保が先決

・定職についてほしい

 

そんな訴えが奥さんの口から出てくるかもしれません。

 

仮に、こうした要望が出てこなくても、自分がそうしたくなります。

 

お金がないというのは、「家族の安全保障」にかかわる問題ですので、狼狽えること必至です。

 

ただ、萎縮が始まると、必要経費ですら渋るようになるかもしれません。

 

蛇に睨まれた蛙のように、動けなくなってしまいます。

 

お金の亡者になる人もいます。

 

正直なところ、僕もたまになりかけます。

 

そんな人は、蛇ではなく、甘い儲け話に飲み込まれます。

 

実際、驚くほど稚拙なうたい文句にはめられ、静かに沈んでいく人もいました。

 

甘い儲け話に飛びつかないためにも、冷静な目はなくすべきではありませんし、最初から高額の投資は避けるべきです。

 

むしろ、コツコツと「失敗慣れ」していくのが成功への近道だと思います。

  

 

脱サラ後の窮地

しあわせを求めて脱サラしたのに、妻との仲が険悪になり、お金もどんどん減っていって、生活不安ばかりが大きくなる――。

 

ここで元の道に引き返すと、人生改革は失敗に終わります。

 

そんな時は、初志に返りましょう。

 

誰のため、何のための人生なのか。

 

つまるところ、その答えはどこまでいっても自分自身のためです。

 

家族を守る願いも、社会奉仕の心も、ゲームに熱中する気持ちも、本心だろうが偽善だろうが、すべて「自分」の中から生まれた「自分のため」の衝動です。

 

独立への志を持つ以上、自分という中心軸だけはぶれてはいけません。

 

 

家族は運命共同体

そもそも、家族とはどんな関係なのでしょうか。

 

従業員ではありません。

 

お客さんとも違う。

 

ペットでもない。

 

もちろん、飼い主や雇い主でもありません。

 

僕にとっての家族は、運命共同体です。

 

自分の夢に惜しまぬ協力を求めてもいい相手です。

 

「譲れない一線」があれば、譲らなくてはならない対等な関係です。

 

それが、人生を共に歩む運命共同体の宿命だと僕は思います。

 

大人の夢も子どもの夢も、一緒に向き合わざるを得ないのが運命共同体です。

 

 

夫婦仲の不和は別問題

退職金がなくなったことを機に、生きる道探しは「割のいい夜勤のバイトでもやりながら」と思いはじめていました。

 

ようするに、家族にこれ以上の負担と迷惑をかけるのが怖かったわけです。

 

ところが、この提案は妻からとがめられ、当面見送る結果になりました。

 

妻は、独自で収入源を確立する夢を追うよう、背中を後押ししてくれています。

 

脱サラして貯金がなくなるのが原因で、妻との仲が険悪になる訳ではありません。

 

両者の間に信頼関係がなくなれば、仲がこじれるのです。

 

つまり、家庭不和に根差す問題は、脱サラしようがしまいが、成功しようが失敗しようが、根本的なところでは関係ないのです。

 

実際、退職金がなくなっても、我が家の絆にひびが入ることはありません。

 

だからこそ、自由の身になったといって、ゲームばかりしていてはいけないのです。

 

妻以外との不純異性交遊もご法度です。 

 

そうすると、脱サラが「きっかけ」となって、夫婦仲が険悪になる流れができてしまいます。

 

責任感を維持したまま、どこまで自分勝手になれるのか。

 

残りの貯金150万円をはたいて「中古のキャンピングカーを買いたい」と言った時は、さすがに殴られそうになりましたが、ここが脱サラ後の肝です。

 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

 

今回は、脱サラと夫婦仲の不和をテーマに執筆しました。

 

まとめは以下の通りです。

 

  • 脱サラすると家族に迷惑がかかる
  • お金が減っていく恐怖に萎縮せず、自己実現への道に集中を
  • 家族は運命共同体。個々の大切なものを守るために互いに協力し合う関係
  • 夫婦仲が険悪になるのは状況の問題ではなく関係の問題
  • 捨てるのは責任感でなく遠慮。成功するまで自分勝手なまでに信念を貫くべき

  

今後も脱サラ実践者として、成功も失敗も、すべて包み隠さずご報告してまいります。

ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

 

プーについて

こんにちは。

 

プーです。

 

2017年にブログを綴り始めてから、僕の素性や経歴について、これまであえてぼかしてきました。

 

家族のプライバシーを守るためです。

 

記者時代、担当していた業界の中ではそこそこ有名だったので、「身元がバレておかしな噂が広まるのは嫌だ」などと心配していた節もあります。

 

ただ、実際にブログをやってみてよくわかりましたが、残念ながら「杞憂」だったようです。

 

 

何より、現時点で「分かる人にはバレる」レベルで書いていることに気が付きました。

 

その一方で、筆者の素性をモヤっとさせることで、ブログ自体に「怪しさ」が醸されるのも、本意ではりません。

 

そもそも、「詐欺師になった友達」だとか「中国ビジネス」だとか、いかがわしいワードも散見されるところですので…

 

このままでは「で、お前誰やねん。怪しいのぅ」みたいなツッコミをされてしまうのも避けられません。

 

そこで妻と相談し、ほんの少しだけ僕の略歴を公開することにしました。

 

・1974年生まれ

・関西出身、二流大卒

・98年某紙入社

・11年「福島原発構内作業の写真」を世界で最初にスクープ(翌日プレス公表)

・17年脱サラ、プーに至る

 

業界を怒らせる記事をたくさん書きましたが、提灯記事も同じぐらい載せました。

スッパ抜いたのは一度きりです。

ちなみに東電担当ではありませんでした。

書き飛ばさない記者だったため、取材先からの信頼は厚かったものと思われます。

その分、誰も知らないニュースの真相をたくさん知っていました。

世の中をおかしくしているのは、巨悪の権力などではなく、保身的で浅ましいサラリーマン思考です。

記者時代に得た情報は、道義上、絶対に口外しません。

 

「そもそもお前なんかに興味ない」など悲しいことを言わず、今後ともどうかご愛顧くださいませ。

 

40代脱サラ男の悲壮 人生はガム 迷子の夢を追いかけて

夢や志のない状態は迷子になった人生といえる

40代で家庭を持つサラリーマンの場合、大方の人が重視するのは、いわゆる「人並みの生活」ではないでしょうか。

 

そこは、僕も同感です。

 

特段、勝ち組にならずとも、それなにり食っていければよしとする。

 

ただ本当は、それだけでは良くないですよね。

 

一度きりの人生において、大切なものが欠けているはずです。

 

自分のポテンシャルに合致した「しっくりくる自分」に、もう一度会いたいのではありませんか。

 

そして、そこはかとない安らぎや、歌の中にあるような「魂の躍動」を渇望されているのではないでしょうか。

 

その手ごたえこそが、「自分という命」の実感だと僕は思います。

 

その感触は、人生における「ぜいたく品」ではなく「必需品」です。

 

まだ収入源が確立できていない状況だからこそ、いまのうちに胸を張って言っていっておきます。

 

今回は少し短いですが、そのあたりの理由についてまとめました。

 

 

自分の生まれた意義は「味気ない人生」にあるのか

改めまして。

 

プーです。

 

僕は全国紙記者という立場から無計画に脱サラし、目下、しあわせな生き方を模索しています。

 

少年のような甘さと、少女のような無謀さをもって、愚かにも、いばらの道を歩いています。

 

ただ、割と充実しています。

 

会社を辞めてみてはっきりしましたが、「人並みの生活」と「自己実現への挑戦」の2つがそろわないと、人生は片手落ちになります。

 

そもそも「人並みの生活」というのがどの程度の生活水準を指しているのかは不明ですが、どちらが欠けていても駄目なんです。

 

たとえるなら、人並みの生活というのが「ガム」、夢や志は「味」です。

 

「味だけが存在する」という状態は物理的に成立しませんが、逆に「味のないガム」であっても、まったく意味がないのです。

 

そんなものは、ガムではなくゴムです。

 

ゴムをガムだと思ってあきらめていると、自分を味わうことはできません。

 

 

自己実現」こそが目的地

マズローの欲求五段階説」というのをご存知でしょうか。

 

  1. 生理的欲求
  2. 安全欲求
  3. 社会的欲求
  4. 尊厳欲求
  5. 自己実現

 

ざっくりいうと、人はこの順番で欲が生まれるという考え方ですが、少し目先を変えれば、「振り出し」と「ゴール」は最初からはっきりしていることになります。

 

①~⑤へと流されながら、欲をレベルアップさせるのではく、最初から「自己実現の形」は明確にしておくべきです。

 

理由は2つあります。

 

第一に、足元の欲に振り回されていると、人生は近視眼的になります。

 

第二に、目的地を見失ったまま歩くのは、文字通り「迷子」と同じ状態だからです。

 

ただし、刺激的な欲望や甘美な満足に惑わされず、「しっくりくる方向性」が重要かと思われます。

 

 

人はなぜ生きるのか

少し哲学的になりますが、人が生きる理由や意味を見出すのはとても難しいことです。

 

ただ、はっきりしているのは、「生きている人にしかできないことをするために」生きている点です。

 

獣には獣の生き方があります。

 

木には木の役割があります。

 

そして人は、木でも獣でもありません。

 

人に生まれたのであれば、人として生きるのが筋です。

 

そして、自分に生まれたのであれば、自分として生きるのが道です。

 

ゴムを噛んでいては、あまりにももったいない。

 

せめて、クイッククエンチにしてください。

 

ビッグワンガムでも結構です。

 

…きっと40代にしか分かりませんね。

 

Amazonを一時撤退に追い込まれ、僕はいま、とても疲れているようです。

 

馬鹿っぽく終わってすみません…。

 

(長文にお付き合いいただき、ありがとうございました)

体験談「脱サラ」すると時間の経過が早くなる理由

このブログでは、2017年まで全国紙の記者だった僕が、実体験をもとに「脱サラの現実」をありのままに公開しています。

脱サラ後は時間の流れが間違いなく早くなる

こんにちは。

 

プーです。

 

何の当てもないまま脱サラしてみて、最近、ふと気が付いたのですが、日々の生活の中に「暇な時間」というのが一切なくなりました。

 

ただ、繁忙感にさいなまれているわけでもなく、特段大したこともしていません。

 

メルカリやAmazonに出品するレトロゲームのソフトを磨いたり、ブログを書いたり、あるいは、確定申告の勉強をしてみたり…。

 

まったりとしつつも変化のある生活の中にあって、なぜこうも時間の流れが早いのか。

 

そもそも、「暇な時間がない」というのは、良いことなのか、悪いことなのか。

 

ざっとポイントをお伝えすると、以下の通りです。

point
  •  暇がないのは「やりたいこと」と「やるべきこと」が多いため 
  •  時間がないのは「退屈がない」証
  •  義務がない分、ノルマを課す自助努力が重要

Amazonからの一時撤退を余儀なくされた、可哀想な僕の近況を含め、今回はそのあたりの話題を詳しくまとめます。

 

 

 

Amazonからの一時撤退 

僕はいま(2018年2月20日現在)、生活費を確保するための具体的な方法を一人で模索している最中なのですが、「駆け出しの立場」となるだけに、とにかくやるべきことが多い状況にあります。

 

確定申告や健康保険の任意継続手続きなど、慣れない事務作業もこなす必要がありますし、風呂掃除や洗濯、育児に家族サービス、さらには「レトロゲームの入念な動作確認」にも汗を流さねばなりません。 

 

そして「想定外の事態」にも遭遇します。

 

先週、悪質な嫌がらせ注文が1週間ほど続き、Amazonマーケットプレイスからの一時撤退を余儀なくされてしまいました…。

 

レトロゲームだけで週5万円程度の売り上げが立ち、練習がてらに始めた物販もそれなりに軌道に乗り始めていたのですが、やはり一筋縄ではいきません。

 

後日連載にまとめますが、僕(正確に言うと妻)は一度、Amazonで競合セラーから悪質な嫌がらせを受け、店をつぶされた経験があります。

 

今回はあくまでも一時的な撤退のつもりですが、いわゆるこの手の「偽計業務妨害罪」を受けると、免疫が乏しい分、精神的に参ってしまいます…。

 

毎日、空き家や「この世に存在しない住所」から注文が入り、購入者にメッセージを送っても一切返事なし。

 

まるで怪奇現象です。

 

Amazonのルールでは、購入者との電話でのコンタクトが禁じられているうえ、どんな場所であれ、必ず発送しなければならないことになっていますので、事実上、提示された住所に送る以外にすべはありません。

 

嘘みたいな事実ですが、お届け先に「東京都葛飾区亀有公園前 キン肉マンハウス」と書かれていた場合、番地の抜けたキン肉マンハウスに必ず発送を試みねばならないのです。

 

万一これを拒否した場合は、アカウントにキズが付きます。

 

こうなると、悪質な嫌がらせはもはや何でもアリです。

 

打開策がないわけでもないのですが、同一商品を複数人のセラーで販売する「相乗り出品」はお勧めしません。

 

やはり、自社のオリジナル商品を出品するのが正攻法です(←といっても、まだ何も持っていませんが…)。

 

少し話がそれました。

 

もとい、そんな形でどんどん時間が食われているわけですが、そんな異常事態への対処にかかる手間を差っ引いても、時間は足りずにいます。

 

これは、年齢的な問題でも、ルーチンワークからくる感覚的な問題でもなさそうです。

 

脱サラ後、なぜかくも時間の流れが早くなるのか、自分でもよくわかりませんでした。

 

それが今回、嫌がらせを受けたことをきっかけに、ようやく整理できたわけです。 

 

僕から「暇」な時間が消えたのは、いい意味でも悪い意味でも、「自由な時間」が増えたためです。

 

おかしな風に聞こえるかもしれませんが、本当に時間がありません。

 

 

やりたいこと偏重の「自由な時間

犯罪行為にへこまされる中で、改めて「自由」という意味を考えました。

 

僕は脱サラ前、自由な立場に「突き抜けるような解放感」や「カタルシス」なんかをイメージしていましたが、いざ仕事を辞めてみると、あまりそんな感じでもありません。

 

どちからといえば、脱サラによって得られる自由というのは、「責任を一人で全部負う代わりに、好き勝手にやってよろしい」という印象です。

 

離職当初得られた解放感も、時間が経つにつれ、当たり前の状態になってしまいます。

 

以前、僕にとっての脱サラ最大のメリットは「生きた時間が得られる」(詳しくはこちら)と書きました。

 

どうやら、この自由な時間というのは、しっかり管理しておかねば「やりたいことに偏って割かれていく」性質を持っているようです。

 

たとえば、こういうことです。

 

  •  フリーになると「愛するわが子と遊ぶ時間」が増えます
  • 自由になると「趣味に費やす時間」も増します
  • 義務から解放されると「睡眠時間」も増やせます

 

その一方で、「分からないことだらけ」の世界を探訪するには、新参者のわが身にとって、勉強なり準備なりにかかる相応の時間が必要になるわけです。

 

つまり、脱サラすると、「やるべきこと」と「やりたいこと」に自動的に時間が割かれるため、「暇な時間」がなくなってしまうのです。 

 

そうした時間感覚のなかで「人の一生がいかに短いか」というのも見えてきました。

 

 

 「暇がない」のが良いか悪いか

現役の記者時代、そこそこあくせく働いていたのですが、仕事にはやはり波があって、暇な時間を持て余していたことも少なくありませんでした。

 

正直に告白しますが、公園のベンチで本を読んだり、マックでスマホのゲームにうつつを抜かしたり、漫画喫茶で瞑想にふけったりすることも、ままありました。

 

ところがいざ独立してみると、そんな時間はありません。

 

やるべきことの、実に多いこと…。

 

国や地方自治体に収める税金の情報も、梱包材など仕入れにまつわる情報も、独立開業に関連する情報も、人なり本なりネットなりから、自分で集めねばなりません。

 

そして、実践するのも自分です。

 

正直、面倒なことも少なくありません。

 

ただ、「忙しい」というより、むしろ「退屈な時間がなくなる」といったところです。

 

いくらやるべきことが多くとも、ペースは自分で決められるからです。

 

貯金が尽きてしまうと、割のいいバイトをしながら独立の道を探る形になるのかもしれませんが、もとより覚悟の上です。

 

多少時間がかかっても、必ず何とかしますし、何とかなります。

 

 

脱サラ後は時間の管理が重要に

かくして、脱サラすると時間の流れが極端に早くなるわけですが、スケジュール管理が極めて重要になってきます。

 

遅まきながら、その点に気が付きました。

 

退屈しない充実感はそこそこありますが、義務という足かせが解かれる分、自己管理が重要なファクターとなってくるのです。

 

自分に「ノルマを課す」というのがポイントになりそうです。

 

実はこの記事を書くのでさえ、徹夜で取り組んでもまだ追いつきません。

 

また、いまサラリーマン時代と大きく異なるのは、「きょう一日だけ頑張る」というシチュエーションに立たされることです。

 

極端に「暑い日」「寒い日」が続くと、モノがよく売れるようになります。

 

これは僕の肌感覚としても感じるところですが、そんな時は徹夜で出品作業を続けます。

 

自由というのは、それなりの充実感が約束される分、自助努力がどこまでも大切になってきます。

 

 

まとめ 

 

  • 脱サラすると「やりたいこと」と「やるべきこと」に時間が割かれるので暇がない
  • 最初のうちは「やるべきこと」の情報収集にも時間と手間がかかる
  • 意識せぬところで「やりたいこと」に時間をもっていかれる
  • 日々充実するもスケジュール管理が欠かせない
  • 「やるべきこと」に対して自分にノルマを課すのがポイント
  •  きょう一日だけ頑張るというシチュエーションが出てくる

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回は、脱サラすると時間が早くなる理由について解説を試みました。 

 

これからも自分の体験談を通じて、脱サラにまつわる情報を提供してまいります。

 

長文をお読みいただきありがとうございました。 

 

 

40代妻子持ち【無職】の気づき 新たな「変化」と「成長」を求めるならば

漫然の中に潜む気づきに思わぬ宝がある

新たな成長へ、相手や自分に変化を起こすには、いったいどうすればいいのか――。

 

さきほど大切なことに気づきましたので、急いで書きます。

 

あ、すみません、ごあいさつが遅れました。

 

プーです。

 

最近Twitterを始めた僕ですが、良識ある方々のツイートを拝見していくうちに、「明日を変えるには、今日を変えねばならない」ことを学びました。

 

さらにこの考えを深堀りして、今しがた、気づいた重要なことがあります。

 

それは「変化を起こすには、やり方を変えなければならない」ということです!

 

……。

 

仰りたいことは分かります。

 

当たり前、ですよね。

 

ただ、やり方を変えずに変化だけを待っていることって、実は意外なほどたくさんあると思いますよ。

 

 

叱り続ける前に「立ち止まる」

例えば、何度叱っても直らない子供の悪しき習慣、あるいは、部下や後輩の悪い癖って、ありませんか?

 

  • 遅れるから早くしなさい!毎日毎日もう…
  • 連絡は密にしろって、何度言ったらわかるんだ!
  • だからぁ、毎回言ってるじゃないか…

 

この段階でピンと来た方もいるのではないでしょうか。

 

同じことを何度言っても「効果がない」という結果は、すでに出ているのです。

 

指導する側も、実は一緒になって同じ失敗を繰り返しているわけです。

 

そして、「言っても仕方がない」という結論の多くは、相手を否定するためではなく、自分に言い聞かせるべき言葉だったのです。

 

 

天真爛漫な娘のケース

では、毎朝テレビに没頭し、なかなか朝食もとらず、学校に行く準備を全然しない娘を諭すには、いったいどうすればいいのか。

 

毎朝、妻と娘のやり取りを他人事のようにはたから聞いていると、双方ともに気の毒に思えて仕方がありません。

 

妻: 「はやく用意しなさい。あと2分しかないのよ。給食ナフキン持ったの」

 

娘: 「まだだけど、わかってる。あ、お母さん、昨日の夜見た夢なんだけどね」

 

思わず噴き出す僕をよそに、ついに妻が大爆発を起こしてしまいました。

 

その夜、妻と話し合ったのですが、育児に対する僕の姿勢に彼女はとてもご立腹のようすで、まったく言うことを聞かない娘の振る舞いに、ため息をつくばかりでした。

 

 

条件反射のスイッチをOFFに

叱っても直らないのに、また叱る――

 

その原因は、きっと条件反射的に「叱るスイッチ」が入るからだと思います。

 

・またやってない⇒ポチッ

・あれだけいってもできていない⇒カチン

・何度言えば直るのか ⇒プチン

 

僕たちは大人になる過程で、同じようなことで親に何度も叱られ、上司に幾度も怒鳴られながら、気が付けばできるようになっていた感じですよね。

 

でもよく考えてみると、本当に叱られ続けたから、できるようになったのでしょうか。

 

もちろん、まったく影響がないとまでは言いませんが、もっと大切なのは、自分の経験から得た「気づき」にあるに違いありません。

 

成功なり失敗なりを経験し、自分にとってプラスになることさえ刷り込んでしまえば、マイナスの行動は段々変わっていくはずです。

 

誰しもが、そんな経験をしてきたはずです。

 

そしてこの夜、僕ら夫婦が達した結論というも「気が付くまで、もう何も言わない」ということでした。

 

つまり、おなかをすかせ、遅刻させ、先生に怒られるのを「見守る」方法を一度とってみることにしたわけです。

 

少し実践してみたところ、妻はついつい口出ししてしまい、娘も「叱ってほしい」と求めるようになってきました。

 

なかなか思うようにはいきませんが、このまま続けていくうちに、互いに多くの気づきが生れるに違いありません。

 

 

自分に起こす変化は「逆のアプローチ」で

もちろん、これは指導側の立場にとどまる話ではありません。

  

「伸び悩み」「行き詰り」「停滞」「鈍化」…。

 

ビジネスであれ、趣味であれ、新たな変化を求めるのであれば、「きょう」、「明日のために」、やり方、あるいは心持ちなんかを変えなければならないというわけです。

 

そして、実はこの考え方を逆流させるのも「あり」だと思います。

 

漫然と半自動的にとっている行動を一度意識的に変えてみる。

 

お弁当で美味しいものを最後に食べる癖、いつもの通勤ルート、夜型の生活リズム…。

 

日常の無意識を意識的に変えてみることで、思わぬ気づきがあるかもしれません。

 

長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。